第260話 ボクヤの戦い(2)
その日の朝は小雨が降っていました。将軍たちは朝早くに起きて、ヴァルギスの作戦を聞くために大きな幕舎へ集まっていました。
すでにヴァルギスとソフィー、そして私のいるテーブルには大きな地図が広げられ、所狭しと将軍たちが並んでいます。魔王軍だけでなく、外国の軍隊の代表者も集められています。
やがてヴァルギスが作戦を話そうと口を開いたところで、1人の将軍が手を挙げます。
「申し上げます、魔王様。1つ質問してよろしいでしょうか?」
「構わん、どうした」
「現在雨が降っています。雨の日は軍隊の移動に時間がかかり、特に間合いをとっている敵と戦うには不利であるといいます。それを考慮した作戦になっているでしょうか?」
「ふむ‥心配は無用だ。この雨はすぐにあがり、攻撃が始まる時刻には晴れ間が広がっている。このまま進めるぞ」
「はい」
ヴァルギスは一度作戦を話そうとした口を止め、将軍たちを見回します、みな、雨が降っているからか、どこか不安そうにしていました。これから晴れると分かっているものの、その不安は消えないものです。
「貴様ら、1つ話しておこう。貴様らは、ハールメント王国の始祖となった伝説の魔王、ウェンギスを知っているか?」
「はい」
魔王軍の将軍を中心に、返事が返ってきます。
「ウェンギスは多数の人間と戦い、次々と奴隷にしてきた。その戦いの中でもひとぎわ大きかった戦いに、このボクヤの地が使われていたのを知っておるか。そして、その日の天候も今日と同じ雨だったという。そして雨の中、ウェンギスは見事に人間に勝ってみせたのだ。そう考えると、今日の雨はむしろ幸先がいいのではなかろうか。今は人間を無条件で奴隷にすることはなくなったものの、魔族の闘争心が眠っているということはあるまいな?魔族の血を思い出せ、誇り高きハールメント連邦王国を取り戻せと、それぞれの兵に言って聞かせよ」
それからヴァルギスとソフィーは、大きな地図を指差しながら、将軍たちに次々と作戦を説明していきます。命令を受け取った将軍たちは次々と幕舎から出て、それぞれの部隊へ指示しに行きます。
私はヴァルギスの付き人として、本陣の先頭に立ち、後方で戦いの様子を見守ります。私たちの本陣のそばにはルナもいて、後方支援にあたります。先鋒には、前陣にいる何人かの将軍が選ばれました。
先鋒は伏兵に警戒しながら、じりじりと敵陣と距離を詰めていきます。
すでに雨は上がっており、空からは晴れ間がさしていました。
◆ ◆ ◆
ウィスタリア王国の軍隊は、前陣、中陣、後陣にわかれて陣取っていました。
前陣の櫓で敵の様子を監視していた兵士が、連合軍の先鋒の部隊の姿を認め、叫んで地面にいる将軍たちに報告します。
「申し上げます。敵軍が近づいております!」
将軍たちはそれを聞きますが、動こうとしません。
「早くしないと敵が攻め寄せてきますよ」
近くにいる兵士が焦りますが、将軍は首を横に振ります。
「俺は戦いたくない」
「ええ?」
将軍は、周りの兵士たちが驚くのを見て、地面を足で強く蹴って注目を集めます。
「いいか、この戦いは、ウィスタリア王国が生き残るか滅ぶかの戦いだ。この戦いに勝てば、俺たちにはまたもとの日常が戻ってくる。だが、それでいいのだろうか?王様は暴政を繰り返して周囲の家臣を殺しただけでなく奸臣佞臣を跋扈させた。彼らは経済を疲弊させ、人民を疲弊させ、外交を混乱させ、こうして敵の侵略を許した。だが、家来たちが敵と戦っている間、王様はずっと豪華な宮殿にこもり、家臣たちと連日のように宴会を開き、シズカ様と遊んでおられた。ついにエスティクを除いて、援軍など支援を講じることなかった。こんな王様のために、俺たちはまだ戦わなければいけないのか?噂では、ハールメント王国の魔王は仁政を敷き、人から慕われ、かつての魔王のように人間を奴隷にせず魔族と平等に扱うと聞いた。そのような人を王に戴いたほうが、今よりよい生活ができるのではなかろうか。俺は武器を捨てる」
そう言って、手に持っていた大きく立派な斧の刃を下にして、地面に突き刺します。
それを見ていた兵士たちも一時の間を置いて、お互いの顔を見合わせて、そして持っていた槍や剣を、次々と地面に刺していきます。
◆ ◆ ◆
連合軍の士気は高いものでした。
必ずこのボクヤで敵を討ち、王都カ・バサを落として、ウィスタリア王国を滅ぼして新しい時代を作ろう。
自分たちならできる。
すでにそれが実現できるところまで迫ってきています。
魔王軍は王都ウェンギスを出発して、長い旅を経て次々と敵の都市を落としました。これまでに何度も障害があり、被害もありましたが、それにめけず頑張ってここまで来れたのです。ゴールが近いのですから、奮い立たない兵士はいませんでした。
やがて先鋒の先頭を歩く兵士たちが、武器を構えて敵陣に近づきます。
「様子がおかしいですね」
それを最初に言ったのは、将軍の近くにいる付き人でした。
普通であれば敵陣に近づくと敵は矢を射てくるものです。もしくは陣から打って出てくるかのどちらかです。それが、全く動いてこないのです。
やがて先頭の方から、1人の兵士が走ってきて将軍に報告します。
「申し上げます。敵は将軍も兵士もみな、武器を地面に突き刺したまま動きません」
「なに。‥‥いや、何らかの罠かもしれん。周囲に警戒しつつ、陣の中に少しずつ兵士を入れていけ」
「はっ」
しかし兵士が次々と陣に入ってくるのをウィスタリア王国の兵士たちは黙って通します。遠くで誰かが不穏な動きをしているのではないかと思いましたが、櫓に登ってみてもそんな様子は見られません。
将軍は呆気にとられて、今度は試しに付き人や副将を陣に入れてみます。するとウィスタリア王国の将軍は次々と馬に乗った副将にひざまずきます。
「我々は降伏いたします」
これを聞いた副将が出した伝令の報告を聞いた将軍は、近くの兵士に言います。
「魔王様に報告せよ」
先鋒は次々と進んでいきますが、前陣にいるどの部隊も、どの将軍も、どの兵士もみな武器を逆立ちさせて、こちらの兵士を黙って通します。それは前陣だけでなく、中陣も同様でした。後陣に近づくとさすがに矢を射てきましたので、連合軍は先鋒や前陣にいる将軍たちが中心となって、ウィスタリア王国の前陣や中陣を隅まで検めましたが、ついに抵抗する兵士や将軍は見つかりませんでした。
◆ ◆ ◆
「なに、前陣と中陣が降伏しただと!?」
その報告は、すぐに後陣で武装して敵の攻撃を待ち構えていたクァッチ3世の耳に届きます。
「はい、敵はすでに中陣まで掌握しています。このままではこの後陣に攻め寄せてきます」
「くうう、こうなっては我々後陣だけでも迎え撃て!」
3世はそう怒鳴りますが、周りの家臣たちが止めに入ります。
「落ち着きなさいませ、前陣と中陣あっての後陣の構えでございます」
「前陣、中陣あっての後陣の備えでございます。それらがなくなった時点で我々に反抗する力はもはやございません。王都まで戻り、態勢を立て直すしかございません」
家臣たちが次々と諌めてくるので、3世は激昂して何度も地団駄を踏みます。
「くうう、今回は仕方ない。前陣も中陣も後で覚えておれ。王都へ撤退する!」
こうしてボクヤでは一戦も交えることもなく、誰かが死ぬこともなく、ウィスタリア王国の軍勢の撤退で終わりました。
王都カ・バサからは他の都市へ引っ越すことが禁止されているのですが、王都を行き来する民衆たちを監視する関所を壁代わりにして、ウィスタリア王国の軍隊は立てこもることになりました。




