第259話 ボクヤの戦い(1)
魔王軍あらため連合軍は、その翌朝にミハナを出発します。
ミハナのすぐ横を大きな川が通っています。運河にできそうなほど広く深い川で、ここで漁をしている人もたくさんいます。連合軍は漁師に金を払い、誰の船を何隻借りたかの記録をきちんと取って、不正を働いたものは罰しました。民は、クァッチ3世の苛政に苦しんでいたので、誰もが喜んで、競うように船を貸してくれました。兵士たちは次々と、それぞれの船に乗って広い川を渡ります。
川の向こう岸には多分に漏れず敵陣が張っているもので、連合軍にとって最初の戦いはこれになりました。魔王軍が中心となって、ヴァルギスとソフィーが指揮しながら大量の矢合戦を繰り広げます。兵力差は決定的ですぐに敵陣に風穴を開けると、そこから次々と連合軍の兵士がなだれ込み、敵兵を討ち、敵将を討ち取ります。
そうして相手の陣を陥落させ、連合軍が川を渡りきるまでに3日を要しました。
◆ ◆ ◆
もうすぐ正月です。
ミハナから近い王都カ・バサの王城では、年末最後の大きな催しが行われていました。
王城の広大な庭を掘って、そこに大量の酒を注ぎ込んで池を作ります。池の周りに並ぶ木に肉を吊るし、呼び寄せた貴族たちは男女関係なく服を脱いで裸になって、池の上に船を浮かべて酒を飲み肉を食べながら歌い踊っていました。
クァッチ3世はその様子を愉快そうな顔で眺め、家来とも集まって楽しそうに歓談していました。
「申し上げます」
1人の家来が血相を変えて、全裸で酔っている他の貴族たちを押しのけ、クァッチ3世のもとへ走ってひざまずきます。
「何事だ?こんな楽しい宴会の最中だというに、無駄な用件だったら承知せぬぞ」
「王様、それが。魔王軍が諸侯の軍とミハナで合流し、連合軍をつくってここへ向かってきております」
「なに」
3世はそれを聞くと真顔になります。
ミハナから王都カ・バサまではそれほど遠くもなく、あと3日もすれば敵軍はここへ到着するでしょう。その間に都市はなく、ボクヤと呼ばれる草原が広がっているだけです。ここまで来られると王都カ・バサの兵力を直接動員しないといけません。
「して、敵の兵力は?」
「はい、100万にも膨れ上がっております」
「そうか」
3世は酔いの冷めたような顔つきをします。
「どうしましたか?」
隣りに座っているシズカが尋ねます。
「うむ。敵兵がミハナに結集し、ここへ向かってきていると聞いた。ここはわし自ら迎え撃つしかないだろう。シズカや皆とここで遊ぶのは難しい」
「それは大変です。ぜひお防ぎなさいませ」
「任せてくれ。ここ王都には、100万の兵力がある。敵の連合軍と互角に渡り合えるだろう」
そうして3世は椅子から立ち上がり、上着を羽織ります。
「申し上げます、王様」
その会話を聞きつけた別の家臣が、3世のもとへ走りひざまずきます。
「どうした」
「100万の兵力があるとのことでございますが、ここ最近王都では行方不明になる兵士が多く、現在は80万に満たない状態です」
王都の政治や経済があまりにひどすぎて、兵士も民衆も次々と脱走していたのです。
「受刑者、奴隷、一般市民を集めて穴埋めしろ。そうだ、ついでに兵管理の責任者は死刑にしておけ」
「ははっ」
3世の命令を受けて、その家臣は走ります。
◆ ◆ ◆
連合軍は低くなだらかな山を抜け、広大な草原に足を踏み入れました。ボクヤです。
「申し上げます」
先鋒のほうから馬が飛んできて、前陣の中でも比較的後ろの方にいる魔王ヴァルギスの馬車まで来ます。
「どうした」
馬車の窓を開けてヴァルギスが尋ねると、兵士は馬から降りてひざまずきます。
「はい。敵軍がボクヤの向こう側に陣を築いています」
「なに。そうか。敵はボクヤで戦うつもりだな。妾たちもここに陣を築く。そう下知せよ」
「ははっ」
連合軍はボクヤの入り口周辺に陣を張り、敵陣を偵察すべく斥候を放ちます。
やがて斥候たちの偵察結果がまとまりヴァルギスのほうへ返ってくる頃には、翌日の夕方になっていました。ヴァルギスは幕舎にソフィーと私を集めて、ボクヤと王都カ・バサ周辺の大きい地図を広げて作戦会議をします。といっても私に兵法の知識はないので、ヴァルギスの話し相手はほとんどソフィーに任せて私は聞いているだけです。
「報告によると、敵兵は100万規模ということですね」
ソフィーが地図を指差しながら、重々しい声で話します。
「うむ。しかも、我々連合軍は悪く言うと寄せ集めだ。うまく連携が取れるかと言うと、正直心もとない」
「そこは各国の軍に任せるしかないですね。我々魔王軍だけで主力を倒せるよう努めましょう」
そうやって、ヴァルギスとソフィーは次々と地図を指差して、配置する武将を決めていきます。
「報告によると、敵軍も立派な武器を揃えています。エスティクで経験した強力なチャリオットも、そしてミニドラゴンさえも何匹かいるという報告を受けています」
「うむ。しかも兵力は互角だ。確実に今までで一番激しい戦いになるだろう」
「多数の死者は覚悟しなければいけません」
「うむ‥」
2人の話は少しずつ重くなっていきます。体の動きも少しずつ鈍くなっていきますし、その様子を観察していた私も、顔の角度が少しずつ下へ垂れ下がっていました。
またラジカやニナのような悲劇が起きてしまうのでしょうか。兵力は互角ということですから、中陣や後陣の将軍も戦わなければいけないことになります。その時はナトリやメイ、ハギスも‥‥。考えたくありません。私は背筋が凍るような感覚を覚え、身震いします。
なにせ100万の兵士と大量の将軍を配置するのです。作戦会議は食事を挟んで深夜まで続きます。
やっと終わった頃には、午前2時を過ぎていました。私はふああと腕を伸ばしてあくびします。
「眠いか」
地図を片付けるソフィーを見ながら、ヴァルギスは私を気遣います。私は慌てて頭を下げます。
「あ、あっ、人前であくびをしてしまい失礼いたしました」
「よい、よい。夜襲以外でこんな遅くまで起きていたのもこれまでなかっただろう。もう休め」
「はい」
やがてソフィーが一礼して幕舎を出ていくと、私は棚から取り出したパジャマに着替え始めながら、ヴァルギスを見ます。
「ねえ、ヴァルギス」
「どうした」
「ナトリちゃん、お姉様、ハギスちゃん、みんな無事に生き残れる‥?」
ヴァルギスはふうっとため息をつくと、私に近づきます。
「分からぬ。100万対100万の戦闘だ、何が起きても不思議ではないと思え」
「そんな‥‥」
ヴァルギスもまた目を伏せていました。しかしそれを無理やり押しのけるかのように、私の肩を叩きます。
「だが、妾は生きる。貴様と結婚すると決めたからな」
「ヴァルギス‥」
私はヴァルギスの顔を見上げます。ヴァルギスは私に向かって、優しく微笑んでいました。
もうここまで来たら仕方ありません。何が起こっても、運命として受け入れましょう。私はぎゅっと、ヴァルギスの体を抱きしめます。
「私もだよ、ヴァルギス。私はボクヤの戦いで絶対生き残って、ヴァルギスと結婚する」
「アリサ。武運を祈る」
「ヴァルギスこそ」
私とヴァルギスはお互いの顔を見合わせ、そしてしばらく唇を合わせていました。
舌は入れませんでしたが代わりに手を固く握りあい、お互いの健闘を祈っていました。
「それにこの戦いで負けたら、今まで積み重ねたものがすべて無駄になる」
「私も、ラジカちゃんやニナちゃんの死を無駄にしない。最後まで諦めずに戦う」
明日の‥今日の戦い、絶対に生き残りましょう。ナトリもハギスも、きっと覚悟を決めているはずです。




