第258話 ミハナの会盟
「ハギスよ」
「どうしたなの?」
「妾はここにあった椅子に座って、ハクを食べた」
ヴァルギスがそう言うと、ハギスは表情を引きつらせます。
「思い出したくなかったら申し訳ない。妾にとってこの部屋は思い出深く、そして屈辱の場でもある。今は人のものだからどうともできんが、誰のものでもなければ燃やしていたところだ」
「‥‥」
「それにこの場は、多数の罪のない魔族を妾が殺した場所でもある。自分が生き残るためとはいえ、妾に人を殺した罪はまだ残っている」
ヴァルギスはそう言って、目を閉じます。
黙祷している様子です。
私もヴァルギスの横に並んで、両手を組んで、黙祷します。
ヴァルギスにとってこの部屋には悔しい思い出でいっぱいでしょう。
7年間ずっと国にも帰れず、ここで死ぬかもしれなくて、とてもつらい日々を送ったことは想像に難くありません。
黙祷が終わると、ヴァルギスはぎゅっとハギスの体を抱きます。
「だが妾はこうして生きて国に帰れたし、こうしてハギスと再会できた。そしてクァッチ3世の暴政がなければ、聖女様やナトリ、メイ、ラジカと会うことも出来なかった。妾はこの部屋を憎んではいるが、この部屋がなければ今の妾もなかった。むしろ感謝している」
ハギスは黙って、ヴァルぎすの体を抱き返します。
「妾がハクを食べたこと、怒っておるのか?」
「怒ってないの」
ハギスは顔をヴァルギスの腹にうずめたまま言います。
「父さんを殺して、姉さんにこんなことをさせたクァッチ3世を殺したいの」
「子供が殺すという言葉を使ってはいけないぞ」
ヴァルギスはそう言いつつ、ハギスの頭を撫でます。ハギスは口を閉じて、しばらくじっとしていました。
◆ ◆ ◆
会盟の日になりました。
川のほとりの草原に立派な絨毯がしかれ、豪華な小さい1人用のテーブルがいくつも並んでいます。テーブルの上には何も乗っていません。
ヴァルギス、そして付き人として指名された私の2人は、そのテーブルの手前に集まって、諸侯たちと軽く歓談したり、自己紹介したりします。それぞれの国の王様、大臣たちがこの地に集まっているのです。
「アリサ・ハン・テスペルクと申します」
「あなたが聖女様ですか?」
私の名前を教会を通して聞いたという人が何人かいて、私はその対応に追われました。とにかく挨拶されるので、私は相手の名前と顔を一生懸命覚えます。聖女として失礼なことをしてはいけませんからね。
「そろそろですな」
ヴァルギスが敬語を使って、周りに呼びかけます。王様同士の場ですから敬語を使うのが適切といえば適切ですが、ヴァルギスが敬語を使っているところはめったに見たことがなくて、違和感もします。
「そうですね」
他の王様たちも答えます。
そして、王様たちはヴァルギスに、1つの席を案内します。小さいテーブルが並んでいるのですが、その一番端にとりわけ大きく立派なテーブルが置かれています。
「これは上座ではありませんか。全ての諸侯が平等に同じテーブルに座るとお聞きしていましたが、どうして上座が用意されているのですか?」
ヴァルギスがそう言って何歩か下がって辞退する仕草を見せますが、諸侯たちは口々に言います。
「いえいえ、こちらには魔王様がお座り下さい」
「とんでもない、妾は一介の国の王に過ぎません」
「いくつかの魔族の国を束ねる連邦王国の王でございます」
「ですが‥」
ヴァルギスがためらうと、諸侯の1人が言葉を続けます。
「私は大イノ=ビ帝国で場所をお借りしていた、旧クロウ国亡命政府の王でございます。我々は旧クロウ国とその周辺の国の領土が回復できれば、それで十分でございます」
「私はハールメント連邦王国を構成する国の1つの王でございますが、これ以上領土が欲しいという欲はございません。すべて魔王様にお譲りいたします」
「私は人間の国の王でございます。私たちも軍をおこし、ウィスタリア王国と戦いましたが、魔王軍と比べると軍事力でも人材でも力及ばないと実感いたしました」
「私も人間の国の王でございます。我々も自国内で民のための政治をおこなうよう努めておりますが、魔王様の仁政の話を聞くたびに自分はまだまだであると感じます。ウィスタリア王国なき後の領土を治められるのは、魔王様しかおられません」
口々に上座を勧めてきます。ヴァルギスは困った顔をして、諸侯の1人の獣人に声をかけます。
「あなたはグルボンダグラード国の王でしょう、ウィスタリア王国を滅ぼした後は妾の国と領土を二分する密約を結んでいたはずです。そう言う意味では妾もあなたも平等です。あなたが上座にお座り下さい」
「とんでもござりません。あの密約は形だけ結んで、後から全てあなたにお譲りしようと考えておりました。もともと我々獣人は人間に差別されつつも受けてきた恩も大きく、とても人間たちの上に立って統治する気持ちも度胸もございません。魔王様がお座り下さい」
この返事です。ヴァルギスはしばらく目をつむってから、決心したようにそのテーブルへ歩いていって、立派な椅子に座ります。諸侯たちも次々と椅子を見つけて、座ります。私はヴァルギスの椅子の近くまで移動します。
ヴァルギスがテーブルを軽く叩いて、諸侯たちの注目を集めます。
「‥‥貴様らは妾に上座を勧めた。妾はウィスタリア王国を討伐する連合軍のリーダーとして、貴様らと共に進む。さて、貴様らの中にはこれまでウィスタリア王国に忠誠を尽くし、ウィスタリア王国の繁栄のために尽くしてきたものもおる。そこで、改めて妾に従いウィスタリア王国を打倒する決心の固さを確かめるために、儀式を行いたいのだがよろしいか?」
「はい、大丈夫です」
「異論はございません」
諸侯たちの返事を確認して、ヴァルギスは近くにいる兵士に命令します。
「聖牛を連れてまいれ」
「ははっ」
少し経って、頭と胴体に立派な飾りのつけられた牛が連れてこられます。
ヴァルギスが肘で私の体をつつきます。私が腰をかがめると、ヴァルギスは私に耳打ちします。
「貴様、まともな常識はないと思うが、聖牛の儀式を知っているか?」
「い、いえ、恥ずかしながら‥‥」
「そうか。聖女にやってほしかったのがな、妾が進行する」
「分かりました」
ヴァルギスはそれから、聖牛を連れてきた兵士に命令します。
「耳を切り落とし、皿に血を集めろ」
「はい」
すぐに聖牛の耳が切り落とされ、耳の中の血や、耳のあった場所から溢れ出る血が丁寧に皿に集められます。
そのあとは、人の数だけのカップが用意され、それらの血が何滴か入れられます。それだけでは少ないので、いくらか酒で薄められます。カップは、それぞれの諸侯のテーブルに配られます。
ヴァルギスをはじめ、諸侯たちはその血をすすります。
カップを置いたヴァルギスが言います。
「妾たちは同じ牛の血を飲んだ。妾たちは心を1つにし、必ずやウィスタリア王国を討伐する。そして、滅んだ後の土地は妾が責任を持って立て直す。貴様らは討伐でも、討伐が終わった後も、妾の手添えをしてくれ。よろしく頼む」
諸侯たちはカップをテーブルに置くと、拍手を始めます。
拍手の音は遠く、川の向こうまで響きました。
最終話まであと23話です




