第254話 エスティクが陥落しました
午前10時になる頃、一気に軍鼓が大きく鳴らされます。同時に魔王軍全体が前進を始めます。
敵兵は大量の矢を浴びせて抵抗するのですが、私たちは結界を作ってなんとか防ぎます。結界って球形ですから念入りに作らないと結界の中に入れない兵士たちがいっぱい出るのですが、今回は違います。兵士たちはただ一点、まだ開かれていない城門へ向かって、走っていきます。
約束の時刻になりました。少しずつ、城門の前にある橋が下がり、空堀の上にかかります。そうして、ゆっくり鉄扉が開きます。
「何事なの、城門を開けたのは誰?」
砦の上で指揮をしていたニナが、近くの兵士を呼び寄せます。
「今すぐ城門を閉じなさい」
「はっ」
命令を受けた兵士が走ります。
巨大な城壁の開閉は、城門の真上にある巨大なレバーを2つ、それぞれ4人かかりで回して行います。兵士はそこまで走っていって、レバーを回している兵士たちに叫びます。
「ニナ将軍が、今すぐ門を閉じよと命令している。閉じてくれ‥あっ!?」
兵士は背後にいる別の兵士から背中を切られて倒されます。
その兵士のすぐ後ろにいたハラギヌスが不敵な笑みを浮かべて、その死体を蔑む目で見下ろします。
「こんな小さい砦で徹底抗戦するとは、ニナ将軍には先見の明がない。さあ早く門を開けよ、魔王軍を引き入れろ!」
ドドドと地を鳴らすほどの足音を立てて、魔王軍の兵士たちが次々と砦の中へなだれ込みます。
そして砦の壁を登り、向かってくるウィスタリア王国の兵士たちを次々と切り倒し、屋上まで到着すると、まず門を開閉するレバー周辺を掌握して確保します。
「敵兵が来たの!?くっ!」
ニナは近くにいた兵士から剣を借りると、それを片手に、魔族の兵士たちの中へ切り込みます。
剣に魔法を込めて次々と兵士を切っていくのですが、さすがに1人で無数の兵を捌くことはできないと悟ったのか、そのまま階段も使わず直接地面まで飛び降りると、近くにあった馬に飛び乗ります。
エスティクの砦を守っていた兵士たちは、その多くがあくまで抵抗を試みて魔族の兵たちと戦いました。しかし戦線はじりじりと押し下げられます。エスティク市街の建物に次々と火が付きます。煙る町中で兵士たちは戦い、次々と息絶えていきます。
頃合いを見て、馬に乗ったヴァルギスと、隣で浮遊しながら移動する私の2人は、砦の城門をくぐり抜けて中に入ります。砦周辺はほぼ掌握し終えていて、何千人ものウィスタリア王国の兵士たちが上半身の鎧を脱ぎ正座して降伏の意思を示していました。
「ニナちゃんはどこ?」
私が尋ねると、兵士の1人が答えます。
「領主城のほうへ逃げました」
「分かりました!」
私はぴゅっと風のような速さで飛びます。
ヴァルギスも、馬では追いつかないとみたのか、自分も馬から降りて、浮遊の魔法で猛スピードでとんで私の後を追います。
城へ飛ぶ途中、エスティクの町中が目に入りました。行きつけの本屋、あの時ヴァルギスやニナたちと食事に行った店。あそこはニナと2人でお出かけした時に行った店です。何もかもがなつかしく、光景は1年半前に亡命する時とほとんど変わっていませんでした。もう少しこの風景を吟味していたかったのですが、今大切なのはニナの確保です。ヴァルギスとも、ニナを捕縛した時は処刑したりしないと約束してもらいました。
やがて城へ着いた私は、守衛の兵士に怒鳴るように尋ねます。
「ニナちゃんは、どこにいますか?」
「お前たちに答えることはない」
そう言って兵士は私に槍を向けます。どうやらこの周辺はまだ掌握できていないようです。
私は後から追いかけてきたヴァルギスの顔を見つめます。ヴァルギスは「やれやれ」と言うと、目を大きく見開いて兵士をにらみます。兵士は「あ‥う‥」としばらく固まった後、槍を捨てて柔らかい声で返事します。
「ニナ将軍は、領主と一緒に王都へ向けて逃亡しました」
「よし、わかった。行こう、聖女様」
「ありがとう。まおーちゃんの洗脳の腕は本物だよ」
私とヴァルギスはそう言葉をかわしてから、ジャンプするようにその場を離れ、猛スピードで飛びます。
ヴァルギスはこのエスティクのことをあまり知らないので、私が先頭になって道案内をします。ヴァルギスは私に付いてこずに軍の指揮に専念してもよかったのですが、ニナがハラスの弟子であること、私がハラス本人や他のハラスの弟子に負けかけたこと、私が魔王軍の中でもとりわけ強く勝敗を左右するほどの戦力であることを考えると、誰かが後ろについていかなければいけなかったのです。
私はただ、一刻も早くニナに会いたくてとんでいました。浄化の魔法をかければ洗脳を解くことができますが、魔族に浄化の魔法をかけると体を壊してしまいます。ウィスタリア王国は人間の国とはいえど、少数ながら魔族も住んでいます。なのでギフの時みたいにエスティクの町全体に浄化の魔法をかけることはできないので、ニナただ1人を狙って魔法をかけなければいけません。
過ぎ去る風景、どの建物からも、ニナの思い出が蘇ってきます。私とニナは親友同士で、エスティクの隅から隅まで歩き回って、よく遊びました。しばしば、止まって懐かしい建物をじっくり見たい衝動にかられますが、振り切るように進みます。
「待っててね、ニナちゃん」
建物の数が減り、畑や荒れ地が増えてきます。エスティクの郊外に出ました。
それからいくらかすると完全にエスティクを離れたようで、周りには家がほとんどなくなり、街道と草原だけが広がっていました。
「王都へはこの道で合っているのか?」
不安になったのか、ヴァルギスが尋ねてきます。
「合ってるよ!私が亡命する前に王都へ呼ばれた時、この道を通ったもん」
そう答える私も、少し不安になってきます。追っても追っても、ニナの姿が見えません。チャリオットの激しい戦いぶりといい、エスティクの馬にはニナが強力な魔法をかけていた可能性があるという話ですから、きっとニナが乗っている馬も相当なスピードで進んでいるのかもしれません。そうでなければ、私たちが道を間違えたということです。
「あっ」
目の前の大きな池の手前に、誰かが馬を降りて休んでいるのが見えます。
「領主様!」
その後ろ姿で分かります。男は、いつか会ったエスティクの領主でした。
「誰だ!?」
男は立ち上がって振り返ると、私とヴァルギスが並んで浮いている姿を認めます。
「久しぶりだな、貴様」
ヴァルギスが手を組みます。領主は顔から血の気が引いていきます。
「まおーちゃん、領主様はほっといて行こう。領主様と一緒に逃げたという話だから、すぐ近くにニナちゃんがいるはずだよ」
「それはそうだが、敵将として捕らえておかなければいけない。それに、妾は個人的にこやつに用がある、少し待ってくれ」
そう言うとヴァルギスは地面に降り立ち、一歩一歩、領主の方へ歩み寄ります。
「な‥何だ!?」
「貴様、妾を呼び出したときのことは覚えているか?」
「‥‥覚えている」
「いい返事だ」
それから、ヴァルギスは目を大きく見開いて、領主を見下すようににらみます。
「貴様、あの時はよくも妾の大切な人を洗脳しようとしたな。その代償は高く付くぞ」
「ひ、ひいいい‥‥」
領主は恐怖から尻もちをついてしまいます。次の瞬間、ヴァルギスが手を鳴らすと、領主はスイッチの切れた人形のように、ばたんと倒れて動かなくなってしまいます。
「り、領主様、どうしたの?」
「眠らせた。今頃、悪夢を見ているのだろう。闇の魔法を使えばこういう呪いもできるということだ。まあ今のは個人的な恨みに過ぎないから、体を傷付けたり精神を害したりするには及ばないだろうがな。あとは兵たちに連行してもらおう」
ヴァルギスはそう返事して、また浮かび上がります。
そして、私と目を合わせます。
私はヴァルギスと、目と目で会話します。
そして、同時にうなずきます。




