第252話 王都からの援軍
エスティクのニナ率いる軍は、魔王軍相手に善戦しているものの、被害は大きいものでした。
被害を受けた兵士数は数字こそ魔王軍のほうが多いのですが、全体の兵士数と比べたときの割合はエスティクの軍のほうが上です。これは、エスティク軍が魔王軍より先に壊滅することを示します。ニナは領主とも相談して、王都カ・バサへ援軍を依頼する使者を出します。
数日後、王都へ着いた使者はクァッチ3世に顛末を報告します。3世は例によって、ハール・ダ・マジ宮で貴族たちを呼んで宴会を開いていました。その宴会の会場に使者を直接入れて報告させます。普段なら宴会全体の雰囲気を壊す異様なこの光景も、宴会の中断を嫌う3世のために今や当たり前になっていました。
「なに、マシューを倒しただと!?」
3世はその名前を聞いて、嬉しそうな声を上げます。
「はい。それだけでなくあのナハルボ家の末裔も倒し、首級をあげました。にもかかわらず我々エスティクの防衛隊は大きな被害を出して、これ以上エスティクを守るのが難しくなっています。どうか援軍をお出し願いたいです」
「これまでの援軍の使者はどれも、ろくに抵抗しないまま兵数をたかる恥知らずばかりだった。だがエスティクは違う。しっかり結果を出した上で援軍を要請している。これは素晴らしいことだ。ぜひ援軍を出そう。これより検討するから下がれ」
「ははっ」
そう言って使者は下がって、会場を出ます。3世は早速、周りにいる家臣たちに諮ります。
「というわけだ。誰か援軍に行ってくれる人はいないだろうか」
しかし誰も手を挙げません。援軍に行って、万が一負けるようなことがあれば厳罰が待っているからです。クァッチ3世であれば何でもやりかねないと、誰もが思っていました。
「いないのか」
3世は誰も挙手しないのを見るとため息をついて、椅子に座ります。椅子には座布団代わりに、妊婦の腹を切り裂いて無理やり取り出した胎児がしいてあります。胎児はまだ骨も柔らかく、胎児の上に座ったときのシャキシャキという何かが折れて壊れたような感触がとても気持ちいいとして、3世の最近のお気に入りなのです。もちろんこれを諌める人もいましたが、3世は「聖人は体内に7つの心臓を持つという。お前なら心臓を1つくらい取っても大丈夫だろう」と言ってその人から心臓を取り出してしまったのです。3世の行為をこれ以上止める人はいませんでした。
「おらぬのか」
3世はまた家臣たちに尋ねますが、誰もが全く反応しません。動いたら負けとでもいわんばかりに、食事する人は手を止め、飲み物を持っている人はそれをテーブルにも置かずずっと手に持ったまま固まっていました。
「本当におらぬのか」
業を煮やした3世は、ある2人の家臣を指差します。
「なら、お前らがやってみろ」
「ひい!」
2人の家臣は顔を真っ青にして、数歩下がります。ハラギヌスとウヤシルでした。2人はシズカに利用され3世の正室を粛清しただけでなく、ハージ・タ・マジ宮の建設費を中抜きして多数の民衆を苦しめた佞臣中の佞臣として有名な2人でした。
とはいえ3世が2人を指名した理由はもちろんそれではありません。
「お前ら、わしのことが好きと言ったな。命をかけてでもわしを守ると言った。わしのことを大切に思ってくれるお前らには、ぜひ功績をあげてもらいたいと思っている」
2人はこれまで幾度もクァッチ3世に取り入り、自分たちに富が集まるような政策を何度も通してきました。その過程でクァッチ3世に言った大量の耳触りの良い言葉の数々が、このときばかりは仇となって2人に降り掛かってきたのです。
「い、いえ、お言葉はもっともでございますが、私たちは文官でございます」
「私よりももっとよく、活躍できる武官が他に多数いらっしゃいます。そちらをご検討なさってはいかがかと」
2人はやんわり断りますが、3世は乗り気になって身を乗り出します。同時に自分の座っている胎児が潰れたので、近くの家臣に「おい、代わりの胎児を持ってこい。いなければまた町中から女を見つけて取ってこい」と前置きしてから、改めて2人に説明します。
「これまでの家臣は、みなわしに楯突く者ばかりだった。そのような奴らはことごとく処刑したが、この宴会に参加している他の貴族たちの中には、わしに翻意を持っている者も含まれるのではないかと危惧している。そのような奴らに兵権を与えるのは危険だ。そのぶん、お前らは違う。前からわしとよく仲良くし、何度もわしに忠誠を誓っている。お前らになら安心して兵を預けられるのだ」
2人はお互いの顔を見合わせます。明らかに困惑している表情ですが、これ以上反抗すると次は自分たちが処刑されかねません。しぶしぶうなずきます。
◆ ◆ ◆
王都カ・バサから派遣された援軍は、5万の兵力でした。普通に考えれば十分な大軍なのですが、60万を擁する魔王軍に対しては雀の涙でしょう。それでも命令は命令です。ハラギヌスとウヤシルは2人、援軍の軍隊の先頭近くを走る馬車に乗って、今後どうするかを相談していました。
「魔王軍は60万という。たかだか5万で対抗できるとは思えない」
「俺もそう考えていたところだ。ここは、魔王に降伏するしかない」
「なに、今までウィスタリア王国の中で築き上げたものを捨てるというのか?」
「いやいや。ハールメント王国は間違いなく、ウィスタリア王国を滅ぼすだろう。我々が最後までウィスタリア王国についてすべてを失うよりは、いったんハールメント王国の軍門に下り、魔王が王都カ・バサを制圧するのを待てばいい。王都が陥落しても我々と仲のいい商人たちが皆殺しにされるわけではない。その時は我々が今度は魔王に取り入って、商人たちを保護すればいい」
「それはいい考えだ。確かにあんな王の統治する国はまもなく滅ぶだろう」
相談はいったん決まればあっけないもので、いつどのような方法で裏切るか、という方向へ話は進んでいます。
◆ ◆ ◆
援軍がエスティクへ到着したのは3日後でした。
援軍の将との面会を終えたニナは、あまりいい表情をしませんでした。
「どうした、ニナ。悩み事でもあるのか」
領主城の一室でふかふかの椅子に座って紅茶を飲みながら窓の外の夜空を眺めているニナに、横に立っている領主が尋ねてきます。
ニナは紅茶のカップをテーブルに静かに置くと、手で自分の胸を押さえます。
「‥胸が痛いです」
「病気か?病気なら医者を呼ぶが‥」
「いえ」
ニナは自分の表情が窓ガラスに映っているのに気づいて、うつむきます。
「敵を倒すたびに、こんなことをするのは私じゃないって、もう1人の私が叫んでいるような気がします」
「‥そういえば、敵将のうち1人の首を別の場所に埋めたと聞いたが、あれもお前か?」
「はい」
ニナの胸にあてた手が震えています。
「‥お前の役目はエスティクを悪しき魔王軍から守ることだ。余計なことは考えるな」
「はい‥」
ニナの返事を確認すると、領主は何度かニナの肩を叩いて、「早く寝ろ」と言ってゆっくりとした足取りで部屋を出ていきます。
◆ ◆ ◆
ミハナでの会盟まであと1週間半程度です。魔王軍は移動時間も考えると、残り7日以内にエスティクを落とさなければいけません。
魔王軍はこの3日間、連日砦を攻めていました。砦のほうも兵士が減るのを気にするようになったのか、打って出ることはやめ、ひたすら籠城するようになりました。砦の壁はニナのかけた結界によって守られており、普通の兵士は近づけません。
かといって戦略魔法を使うと、砦の後ろに住んでいる一般市民にも被害が及びます。魔王や私はその結界を都度壊しながら、これからどうしようかと考えあぐねているところでした。
ミハナでの会盟まで残り9日となった朝、私とおはようのキスを終えたヴァルギスが起き上がり、幕舎を出て日光を浴びていると、1人の兵士がヴァルギスに駆け寄ります。
「魔王様、申し上げます。敵に王都からの援軍が到着したようです。その数5万です」
「‥‥そうか」
ヴァルギスは何かを懸念しているかのように、眉をひそめます。
「どうしたの‥‥どうしましたか、魔王様」
パジャマから着替え終えた私が幕舎を出ると、ヴァルギスはまさにその兵士と話している途中でした。
「ああ、聖女様か。敵の援軍が到着したらしい。5万だ。これくらいの増援であれば蹴散らせるが、この調子では会盟には間違いなく遅れるだろう」
「ですよね‥‥あーあ」
私はため息をついて、天を仰ぎます。
「かといって無理に戦略魔法を使って一般市民を危険に晒すのも、なんだか違うんですよね」
「うむ。我々魔王軍は、暴政を繰り返すクァッチ3世に対して正義を大義名分にしているのだ。一般市民を害するようなことがあれば、兵たちやウィスタリア王国の国民からの不信を買う。どうしたものか」
そう言ってヴァルギスは頭を抱えます。




