第250話 体制を変更しました
「マシュー将軍がいなくなって、前陣の指揮系統が崩壊したのではないかと思ってな」
「確かに‥そうですね」
マシュー将軍はこれまで前陣をまとめあげ、全体の総指揮役もつとめてきました。前陣や中陣にいる大勢の将軍たちの顔、性格、長所、短所をすべて覚えて、うまく手足として使って戦争に活かしてきました。マシュー将軍の指揮によって、私たちはハールメント王国の王都ウェンギスを出発してからここエスティクまで、うまくやってこれたのです。
そのマシュー将軍がいなければ、私たちはウィスタリア王国の王都カ・バサまでたどり着く自信がありません。
「妾だ」
「えっ?」
「妾がこれより、マシュー将軍の代わりを務める。将軍たちを今すぐここに集めよ。緊急の会議を行う」
「は、はい」
私とルナはすぐに幕舎から出て、近くにいる兵士を呼び止めて将軍たちを集めに行ってもらいます。
「兵士に言いつけました」
私が報告するとヴァルギスは「うむ」と言います。
「これから魔王様が直接前陣を指揮なさるのですか?」
「うむ。総指揮役に必要なのは、能力だけでなくカリスマもだ。それらを併せ持っているのは、妾しかいないだろう。マシュー将軍が離脱した後の体制は、あらかじめマシュー将軍本人とも相談して決めておる。備えなしではこれほどの大戦も生き残れぬからな」
「そうだったんですね」
ほっとする私をよそに、ヴァルギスは続けます。
「そうだ、1つ大切なことを言い忘れていた。妾の付き人は、ソフィー、そして聖女様だ」
「‥‥えっ、私?」
思わず敬語もつけずに返事します。
将軍の付き人というと、今後の作戦をどうするかとか、全体の指揮をどうするかとか、作戦を決めるのに重要な役割を果たします。マシュー将軍の付き人には作戦の立案や部隊の配置を得意とするソフィー、諜報を得意とするラジカがいました。でも私には兵法に関する知識もありません。
「ま、待ってください、私に付き人は務まらないかと」
「何を言う。聖女様は妾と互角の力を持って戦うことができる。妾の護衛も兼ねているし、何よりこの戦いには聖女がついているということを全軍、敵軍に知らせ渡らすにはふさわしい役目だと思うが?」
「ええっ‥」
私は一歩後ろに下がってためらう素振りを見せますが、そばにいたルナがひじで私の腕を付きます。
「受けてやれ」
「で、でも‥」
「ずっと魔王様のおそばにいられるのだぞ?」
ううっ。ルナが痛いところをついてきます。ヴァルギスの頬が緩んでいるのも見えます。この混乱に乗って、私をずっとそばに置いておくつもりなのですね。それはそれで私は嬉しいけど、自分にこの役目が務まるか分からず複雑な気持ちでもあります。ていうかルナも私とヴァルギスが特別な関係なの知っているでしょう。その顔をちらっと見ると、やはりルナもにやつきながら私を見ていました。
「‥‥わ、分かりました。私で良ければ‥‥」
「うむ、いい返事だ」
少々やけになった私は、むすっと唇を尖らせます。
「そういうことだ。これからの緊急会議で妾が総指揮を取ること、聖女様が妾の付き人になることを全軍に伝える。貴様も覚悟を決めろ」
「分かりました」
もうどうにでもなれと思って、私は返答します。
その後、ヴァルギスは将軍たちを集めて今後の体制について説明します。私はヴァルギスの付き人になってしまいましたので、ヴァルギスが説明している間、ずっとヴァルギスのそばにいます。ソフィーもヴァルギスの魔法がとけて気持ちも落ち着いたのか、私のそばに並んで立っていました。
「マシュー将軍が死に、敵も妾たちを討つのは早いほうがいいと考えるだろう。夜襲に警戒しろ」
ヴァルギスのこの指示をもって、緊急会議は解散になりました。
ヴァルギスの幕舎はその日のうちに後陣から前陣へうつされ、後陣はヴァルギスの代わりに副営長の中でも一番年長の人が代理となっておさめることになりました。メイなんかは「陣営会議に魔王がいなくなって、味方がいなくなった感じがするのよ。今日から強化魔法を念入りにかけてよね」と私に何度も注意してきました。
◆ ◆ ◆
その晩のメイとの面会を終えて、私はいつも通りヴァルギスの幕舎に行きます。いつも通りと言っても、ヴァルギスの幕舎は今日から前陣に移動しましたから、後陣からヴァルギスに会わないまま前陣へ戻るのはなんとなく奇妙な感覚がします。
ヴァルギスの幕舎を守る兵士も、後陣にいた人で固められているようです。この兵士たちには、もともと私とヴァルギスの交際をばらしてあるので大丈夫ですね。兵士に取り次いでもらって、私はヴァルギスの幕舎に入ります。
「‥ヴァルギス?」
ヴァルギスは、テーブルに座って、腕をテーブルに乗せて力なくふうっとため息をついていました。
「ヴァルギス?」
私がもう一回呼びかけると、ヴァルギスは「‥ああ」と力なさそうに笑って、椅子にもたれます。
「見苦しいところを見せた」
「どうしたの、大丈夫?」
私は隣の椅子に座ります。座ると言っても浮遊の魔法で椅子から数ミリ浮いた状態なのですが。
ヴァルギスは何度かため息をついてから、返事します。
「先日はラジカ、そして今日はカイン、マシュー将軍を亡くした。さすがにこうも立て続けに有力な人をなくすと、妾も気が滅入るのでな」
「分かるよ、その気持ち」
私はヴァルギスの背中を撫でてあげます。ヴァルギスはなおも私から目をそらして、うつむいています。
「マシュー将軍が死んだせいで前陣でも混乱が起きた。もう少し妾が前陣の管理をしっかりしていれば、死なずに済んだかもしれないな‥」
「ヴァルギス」
私はヴァルギスの頬を両手で掴んで、くいっと私に向けます。そして、ぺちぺちとその頬を2回叩きます。
「人が死ぬのは誰のせいでもない、戦争のせいだって言ったのはヴァルギスでしょ?そのヴァルギスが弱気になってたら、それこそ誰もついてこなくなるよ!」
「アリサ‥」
ヴァルギスはばちばちと何度もまばたきして見せますが、すぐにまた落ち込んだように視線を下げます。
「‥‥そうだな、そうだ‥」
こんな様子を見た私は何を考えたのか、小さい呼吸を置いてから、語りかけるように言います。
「ヴァルギス、目を閉じて」
「‥‥?こうか?」
そうやって、ヴァルギスは私と目を合わせて、ゆっくり目を閉じます。
私はそのヴァルギスの頬を掴んで、自分の顔に近づけます。
ぎゅっと、ヴァルギスの唇に、自分のそれを押し付けます。
自分とヴァルギスの鼻息が混じっていくのが分かります。鼻息が私の人中|(鼻から唇へ伸びる溝のような部分)を撫でるようにくすぐってきます。
そしてそっと、私はヴァルギスの頬から手を離します。ヴァルギスはばちりと目を開けて、何度もまばたきしながら私をましましと見ます。
「ヴァルギス。私を見て」
「‥アリサ」
「初めて私の方からキスしたよ。魔族って確か、キスはセックスしてもいいって合図だったよね。そういう約束もしたよね。覚えてる?」
「‥うん」
ヴァルギスは珍しくしおらしくなって、上目遣いで私を見て、唇を閉じてうなずきます。
「戦争が終わったら、セックスしよう。ヴァルギス、ずっとやりたがっていたよね?私はいつでも相手してあげるから、だから、つらくなったら私のことを考えて。私はつらい時ヴァルギスに励ましてもらったし、ヴァルギスもつらくなったら私を頼っていいんだよ。だから、2人で乗り切ろう。ね?」




