第242話 クァッチ3世の暴虐
「お姉様」
私は思い切って聞いてみます。
「何よ」
「お姉様は、お母様、お父様に何か未練はあるんでしょうか?」
「未練しか無いわよ」
そう言うと、メイは私の肩にもたれてきます。なんていうか、メイがこうして人に甘えるところ、見たこと無いかもしれません。
「お母様はいつもおいしいパンケーキを作ってくれたし、お父様はよくあたしと一緒に遊んでくれたわ。もう二度と、あの日には戻れないのね」
「分かります。あのパンケーキ、二度と食べられないんですね」
私はメイの背中をそっと撫でます。メイは涙で濡らした頬を、私の肩にこすりつけてきます。
「卑怯よ、アリサは」
「はい?」
「こんな部屋に来ても悲しくならないなんて」
「私だって悲しいですよ。昔の思い出が次々と蘇ってくるんです」
私はそう反論します。メイは「‥そう。何も言うことないわ」とだけ言って、私の腕をぎゅっと抱きます。
「‥お母様がいなくなったら、あたしは誰に甘えればいいのかしら。恋人を作っても、代わりにはならないのよ。アリサは魔王とラブラブだからいいけどね」
いやみがちょっと入った言葉です。
「まおーちゃんといると寂しくないけど‥お母様と二度と会えないと思うと寂しいです。お姉様こそ、私が憎くないんですか?」
「えっ?」
「だって、私のせいで親が死んだようなものですし‥‥」
「アリサ、そんなことまだ気にしてたのね」
さっきまで甘えていたメイはどこへやら、素早く立ち上がると私の手をくいっと引っ張ってきます。
メイが手を引いてきたところは、あのベッドです。もともとここは4人用の部屋なので、4人分のベッドが並んでいます。あの部屋のそれではないのですが、端からラジカ、私、メイと父、母が寝ていました。
私は自分が寝ていたベッドに座り、メイはその向かいのベッドに座ります。
「あの日の夜、アリサがあたしを置いて先に逃げたでしょ?」
「はい」
「その後、お父様が起きてあたしを起こしたのよ。まだ遠くへは行ってないから追いかけろってね」
「私たちを呼び戻すためにですか?」
「違うわ」
メイはそう言うと、父と母が寝ていた場所を振り向きます。
「『メイ、お前は生きろ』って、送り出してくれたの」
「それって‥‥」
「ええ。お父様は死を覚悟して、それでもあたしを逃がそうと思ってくれたんだと思う」
メイはしばらく言葉をつまらせてから、また私を振り向きます。
「アリサ。お父様もお母様も、決してアリサを恨んでいるわけではないと思うわ。だからあたしも恨まない。オッケー?」
「‥分かりました。お姉様」
私はぎこちないながらも少し微笑んでみせます。メイはそれを見ると、私の隣へ席を移動してきます。
「というわけで、しばらく甘えなさいよ。アリサ、聖女でしょ」
「はは‥」
メイが私の膝に頭をあずけてきたので、私はそれをそっと撫でます。
「昔はお姉様からこうやってお世話されていたので、逆にお姉様の頭を撫でると不思議な気持ちがします」
「あたしもよ。妹に撫でられるのは違和感しか無いわ。でも悪くないわね」
「はい」
メイは普段は厳格で私たちへの当たりは厳しいのですが、実は怖がりで、よくこうして両親から頭を撫でてもらったり、抱いてもらったりしていました。こうして慰めてくれる人がもういないのを寂しく思っているのでしょうか。メイは私の手に揺られて、猫のようにおとなしく上半身を横に倒していました。
◆ ◆ ◆
デ・グ・ニーノ陥落の報はすぐに王都カ・バサへもたらされましたが、宮殿で宴会を開いていたクァッチ3世はワインの勢いでそれを笑って無視しました。
「王様、これはこの国にとって一大事です!敵が集結して会盟を執り行うというミハナまで、もう目と鼻の先です。我が国はもはや風前の灯です。今からでも遅くありません、この王都には100万を超える兵たちがいます。今使わずしていつ使うというのでしょうか、近隣の都市に大量に援軍を送って敵の進軍を妨げるべきです」
家臣がそうやって強く3世を諌めるのですが、3世はその家臣の頬を殴ります。
「宴会の最中に不穏な話をするな。誰か、こいつをつまみ出せ!」
そう言うと、窓辺で話をしている貴族たちの雑談の輪に加わります。
3世はしばらく貴族と歓談していたのですが、ふと窓の外を見ると、宮殿の下の方で太った人が歩いているのが見えます。3世は近くにいた貴族に聞いてみます。
「人肉はうまいのか?」
「は、ど、どうでしょう」
その貴族はなるだけ動揺を隠して返事します。
「のう、あそこを歩いているあの人はうまそうか?」
「さ、さ、さあ、どうでしょう」
「呼んでみよう」
「ひっ!?」
3世の思いつきに周りの貴族たちは一歩退いてしまいますが、3世はすぐに近くの家来を呼びつけます。
「これ、下の方で太った人が歩いているだろう?」
「はい、確かに窓から見えますね」
「連れてきて料理せよ」
「料理と申されますと?」
「肉が食べたいのだ」
「肉を食べるとは?」
「だからあの人を料理して焼いた肉が食いたいのだ。ステーキならばなおよい。早くしろ、通り過ぎるではないか」
そこでやっとクァッチ3世の命令の意図を理解した家臣は青ざめながらも、「は、はい、わかりました」と小声で言ってその部屋を後にします。
そうして太った人は守衛の兵たちに呼び止められ、宮殿の中に入ります。ちょうど宮殿の入り口近くでは、クァッチ3世の兄と叔父が歓談しているところでしたが、基本貴族しか入れない宮殿に連れてこられた、明らかに安そうな服を着ている平民を見て不審に思い、連れてきた兵士を呼び止めます。
「これ、なぜ平民をここに連れてきたのだ?」
「は、はい、それが‥お耳をお貸し下さい」
兵士は気まずそうに兄に近づき、そっと小さい声でささやきます。
「王様はこの人間を食事としてご所望です」
「な‥なに‥」
兄と、それを一緒に聞いていた叔父は顔を真っ青にしてお互いの顔を見合わせます。
「その人はいったんここに留めておけ、わしたちが王様を止めてくる。なに、わしは王の兄だ、さすがに弟も言うことを聞いてくれるだろう」
2人は酒を放り出して廊下を走り、宴会室に入ります。
「王よ、どこにいるか?」
「なにかと思ったらお兄様ですか、血相を変えてどうしたのでしょうか?」
3世もさすがに兄に対しては丁寧語です。兄と叔父が口々に言います。
「王よ、かねでから思っていたが、この国は度重なる暴政によって乱れに乱れている。そして先程、道端を歩いていた人を食用に捕まえたと聞いた。もう我慢ができない。お前のおこないは人の道を外れ、この国を亡国へ誘っている。ただでさえ家臣たちは次々とお前を離れて魔族の国へ亡命しているというのに、人食を知れば民の心はますますお前から離れていくだろう。せめてあの人を解放することはできないだろうか?」
それを聞くと3世は、持っていたワインのグラスを兄に投げつけます。
「思い上がりもいいところだ。お前はいつからわしより偉くなったのか?いつから政治を語れる立場になったのだ?お前は禁止された外戚政治を試みただけでなく、この国を侮辱した。その代償は高く付く。これ、いるか?こいつらを殺せ」
すぐに兵士たちが駆けつけてきて2人を捕まえますが、周りにいた家臣たちも顔を青ざめて3世のところに集まってきます。
「王様、ウィスタリア王国は1000年以上続きましたが、これまで家族を殺した王は1人たりともおりません。家族は大切にせよというのが、この国の創始者のお言葉の1つでございます」
「そうでございます、家族を殺すとますます人心は離れます。先祖代々の王に免じて、ここはこらえてください」
何人もの家臣たちが口々に言ってくるので3世はため息をついて言います。
「しかしこやつらの処刑は免れない」
「それでは貴族の身分を奪って平民に落とされてはいかがでしょうか」
「そうしろ。二度とわしに口出しできないようにしろ」
家臣たちの努力もあって兄と叔父は屋敷や財産を奪われて身分を平民に落とされることになりました。
連れてこられた太った人はすぐに調理室まで運ばれ、殺されて料理され、クァッチ3世のもとへ運ばれました。
「これはどういう部位か?」
「二の腕でございます」
「そうか、食うぞ。‥‥おいしいではないか。おい、お前らもこれを食ってみろ、なかなかの珍味だぞ」
周囲の貴族たちは引きながらも、これを拒むと自分の命がないと思い、勧められるがままに食べさせられたのでした。




