第241話 デ・グ・ニーノが降伏しました
翌日、魔王軍はホニームを出発しました。次の都市はデ・グ・ニーノです。ここで大イノ=ビ帝国や北方の魔族国からの軍勢と合流することになっています。
聖女が魔王軍に従軍しているということは、神は魔王軍に味方したということを示しています。建前では。私はまだ聖女になったばかりで、デ・グ・ニーノや周辺の都市への周知には時間がかかりますし、私は聖女ですと戦争相手にわざわざ宣伝しても逆に怪しまれるだけだということで、デ・グ・ニーノは普通に攻めて取ることになりました。
ちなみに私が聖女になったことは当然マシュー将軍にも報告がいっていて、今朝は人前で深々と頭を下げられましたが、私が何度も「あの、いつも通りでいいです、上司らしく振る舞って下さい」と繰り返し言うとやっと元通りになってくれました。朝食も豪華にしようと言われて慌てて制止しました。普段から兵士たちが食べている物を私は知っているので、豪華な食事はしづらいものです。
ただ、1つだけ変化したこともあります。私は今、馬に乗らず、ふわふわ浮遊しながら移動しています。浮遊しながらの移動は戦争が始まる前は日常的にやっていたことでしたが、敵に私の実力が知れると対策されかねないということでルナやマシュー将軍から、日常生活も含めて禁止されてきました。それが今日は逆に、聖女が魔王軍にいることを敵にそれとなく知らせるように、聖女として目立って欲しいと言われ、こうして移動するように言われました。やったー。
正直、馬に乗ったり歩いたりして移動している間って、魔法の使いようがないんですよね。私はもともと1日24時間中ずっと魔法を使っていないと気がすまなくて、子供の時からそうしていましたし、戦争が始まってからここ1年間は魔法を使っていない時は変な違和感や何か忘れ物をしたような後ろ髪を引っ張られる思いをしてきましたので、これは大朗報です。ふわふわ浮いているのが私にとっては日常ですよこれ。
私の隣を馬に乗って進んでいるルナが、呆れたような目で私を見ます。そんなに私の嬉しい気持ちが顔に出ていたのでしょうか。ルナは相変わらず馬に乗るのが苦手で、進みは多少ふらふらしています。
ナトリの両親はしばらくホニームで暮らすことになったのでホニームに置いてきて、ナトリは中陣に戻りました。
「はぁ、魔法が使えるってすっごくいいです!落ち着きます、お姉様!ねえ見て下さい、私浮いてるじゃないですか!気持ちいいですよ!」
その日の夜、私は興奮気味にメイの幕舎の中をくるくる回ります。一度膨らまして結ばないまま放した風船のように、とにかく飛び回ります。
「うるさいわよ、やめなさい!」
メイが足を地面でドンと叩きながら怒鳴ってくるので、私は一気に縮こまって、地面すれすれにギリギリ普通に立っていると見えるように浮きます。
テーブルの椅子に座っているメイは、この日は仕事が早く終わったようで、テーブルの上の書類を片付けていて、そばにはコーヒーの入ったカップがあります。
「じゃあ、椅子はもう用意しなくていいわね」
「はい」
私が返事すると、メイは私のぶんの空いている椅子を動かして、テーブルの中に深く入れます。
「それで今日はどうしたの?自慢しにきただけ?」
「はい、自慢だけです」
「じゃあ強化魔法かけたら帰って」
「うう、仕事一段落してそうなのに今日のお姉様は冷たいです」
「確かに一段落してて今日はもうやることないけどね。人の自慢話を延々と聞かされる身にもなってみなさいよ、むなしいわよ」
うう、確かにそうですね。
「‥あっ」
メイが思い出したように言います。
「今日は陣の設営の時に前陣が騒がしかったけど、何があったの?」
「あ、はい、全員分の幕舎を私が魔法で組み立てました」
私があっさり返事すると、メイは目を点にしてしばらく黙った後、はあっと頭を抱えます。
「前陣って20万もの兵士がいるのよ、ほんとに全員分組み立てたの?」
「はい、魔法で材料を全部一度に動かしました。幕舎の数は5万くらいあったのでさすがに大変でしたが」
「せめて自分の分だけにしなさい」
「え、どうしてですか?」
メイはため息をついて、コーヒーを一口飲んでから説明します。
「あのね。幕舎を組み立てるのは普通の兵士も多いけど、懲罰隊の兵士も多いのよ。みんな、自分の罪を償うためにすすんで人の仕事をやっているわけ。それをアリサは全部奪ったのよ」
「え‥ええ‥」
「人が手分けしてやっている作業には、手分けする理由があるの。本来なら戦争はアリサと魔王2人いれば解決するのに、わざわざ60万人もの兵を引き連れている理由を考えたことある?ちょっとそこに座りなさい、魔法で浮くの禁止」
メイが指差した地面に私は正座します。あわわ、これ完全にお説教モードです。メイはかみかみと私に説教してきます。長くてうるさいです。
「返事は?」
「はい、分かりました」
「あたしの言ったこと、反復して」
「はい。人の仕事を奪ってはいけません」
「なぜ?」
「私が働きすぎると他の人達が怠けてしまって組織が連帯力を失いますし、他の人が戦功をあげて昇進したり表彰されたりしようがなくなるからです」
「よろしい」
聖女になってもメイには逆らえません。とほほ。説教されている間魔法を使えないのも地味につらいです。
◆ ◆ ◆
翌日、進軍していると、白い馬に乗って白い服を着ている何人かの男たちが、魔王軍のほうへ近づいてきます。報告を受けたマシュー将軍が、その人たちを自分のもとへ通します。
男たちは馬から降りて、丁寧にマシュー将軍に頭を下げます。
「私たちはデ・グ・ニーノの領主からの使者です。我が都市は魔王軍に降伏いたします。我が都市は北から別の軍隊、そして西からあなたたちの軍隊に迫られており、抵抗は不可能です」
「そうか。無駄な血を流さなかったこと、嬉しく思うぞ」
マシュー将軍はほほえみながら、何度もうなずきます。
翌日、魔王軍はデ・グ・ニーノの都市郊外へ達しました。領主が自ら、従者や兵たちも引き連れて、みな白い服を着て魔王軍を都市内へ迎え入れます。
大イノ=ビ帝国や他の魔族の国の軍勢が到着したのは、それから2日後でした。魔王軍はそれらも組み合わせて兵士数が膨れ上がりました。
◆ ◆ ◆
マシュー将軍や各国の将軍が一堂に集まって「ウィスタリア王国を打倒するぞ!」「おー!」と威勢のいい声を張り上げている一方で、私とメイはあの宿屋へ行きました。
亡命の旅のとき、私は母や父にこの地で捕まり、宿屋で一夜を明かしました。その宿屋です。私たち家族の最後の思い出の地であり、私たちが両親を最後に見た場所でもあります。あの後、両親は王都で刑死しました。
「申し訳ございませんが、ご指定の部屋にはすでに別の客からの予約が入っておりまして」
宿屋の受付が申し訳なさそうに言ってきます。私はすまないと思いつつも、引き下がってみます。
「あの、そこをなんとか‥‥この都市は今日をもってハールメント王国に降りましたし、それを嫌ってお客さんが来ないというのもありえますし、定刻までに来なければ私たちが泊まれるように手配できないですかね‥‥?」
「確かにおっしゃる通りではありますが、定刻を大幅に過ぎて来られるお客様もおられますので、それは難しいです」
「分かりました‥ううっ」
落ち込む私の肩を、メイはぽんと叩きます。
「また別の日にちゃんと予約取って来ればいいのよ。あの、この部屋と同じ間取で家具の配置も一緒な部屋って、ありますか?」
「一番近いのはこの部屋ですね」
と、別の部屋になってしまいましたが、私たちが入った部屋の間取や家具の配置は、ほとんどあの日のそれでした。別の部屋のものだけど、母が座っていたソファー、父がキセルを吸っていたテラス。何もかも、あの日を再現していました。
私は手始めにソファーに座ります。あの日は、この隣に母が座っていたのです。隣の、誰も座っていない席に、私は手を置きます。と、その上からメイが座ってきたので、私は手を引っ込めます。
「懐かしいわね」
「はい、お姉様」
「あの時、よくアリサは逃げてくれたわね。おかげであたしもいろいろ事実を知って、あんな国のために死ななくですんだし。‥‥お父様、お母様は気の毒だけどね」
メイの横顔は、目が潤んでいるものの、どこか吹っ切れたような印象でした。




