第239話 聖女になりました
その日の夜、メイにも聖女について聞いてみます。
「そうね、あたしがアリサの将来についてあれこれ答えるのは控えるけど、周りから求められているということはアリサも分かっているんでしょ?アリサは難しく考えすぎているようだけど、単純な問題だと私は思うわよ」
メイはいつもの調子で、ばらばらと書類をめくり終わって、私と目を合わせます。
「いい?アリサが聖女になって世界がどうなるかではなくて、アリサ自身がどうしたいかって話よ。アリサが世界中の人達を救いたいならそれでよし、魔王と一緒にいたいならそれもよし。どちらかを選ぶともう片方が立たないってわけね。なぜ自分は迷っているのか、もう一度考えときなさい」
そう言うと、また書類に目を落とします。メイの幕舎を出る頃には、私の頭の中の混乱はとれて、すうっと落ち着いてきたような気がします。そうして、その足でヴァルギスの幕舎へ向かいます。
「私、聖女になる」
「そうか」
幕舎に入った途端宣言した私に対して、ヴァルギスの返答はあっさりしたものでした。私はテーブルのヴァルギスの隣の席に座って、言葉を続けます。
「意外とあっさりした返事だね」
「うむ、アリサならなるだろうと思ってな」
ヴァルギスが言うと私はふうっとため息をついて、それから、ヴァルギスの肩にもたれかかります。
「ヴァルギス。私、ヴァルギスとずっと一緒にいたいって気持ちもあるけど、政治だけじゃ解決できないこともあって、ヴァルギスだけではできないこともいっぱいあると思うの。だから私が、それを解決していきたい」
「自分は聖女にはふさわしくないと言っていたのはどうした?」
「なんだか‥教会の神父からも、私にしかできないみたいなことを言われて‥1000年に一度の逸材とか言われちゃった。神様からも直接お願いされたんだよ。あれだけ頼まれて受けないのはちょっと、しんどい」
ヴァルギスは無言で私の反対側の肩を抱くように撫でてきます。
「聖女の仕事に疲れたら無理せずウェンギスに戻ってこい。妾が慰めてやる」
「分かった」
私は、自分でも驚くくらい、わりと軽い調子で答えます。
◆ ◆ ◆
その翌日。明日出発するという知らせをもらった後、私はもう一度ホニームの教会へ向かいます。天候は、雲ひとつ無い晴れでした。
自分が聖女であることを広く宣伝するのは、ヴァルギスによって物理的に行うこともできますが、まずは神と対話して聖女を受け入れたことを伝えて、神を通して各地の教会にいる聖職者に伝えるのが一番効果が高いらしいのです。確かに人間や魔族よりも、神から直接指名されたほうがみんな信じてくれますしね。
そして今日の同行者は、ナトリのほかに、ヴァルギス、メイがいます。
「まおーちゃん、外出する暇がないくらい忙しいって言ってたけど、大丈夫なの?お姉様も忙しかったんじゃないですか?」
「うむ、この世界の命運が決まる大切な瞬間だ。一国の王として見逃すわけには行かない。神に伝えるだけなら早いほうがいいだろうが、戦争が終わり次第、各国の王を集めて正式な儀を執り行うぞ」
「うぇえ、そこまでするんだ‥‥」
「貴様は覚悟を決めた。ふさわしくないとは言わせんぞ」
「ううっ、分かったよ‥‥」
私は肩を落としてうなずきます。メイもつぶやきます。
「亡命の時に、救世主はアリサと魔王の2人って言われたけど、魔王は仁政をしいてこうしてウィスタリア王国を滅ぼそうとしているし、アリサは聖女になるのね。予言が当たったわね」
「‥‥はい。まだ自分はふさわしくないという気持ちもどこかに残っているけど、認めないと救うことの出来ない命もたくさんあるんじゃないかなって思いました。今日は覚悟を決めます」
「ええ、それでこそあたしの妹よ」
そうやって、厳格な姉としては珍しく、にこやかに私に笑顔を見せます。私は「はい」とうなずきます。
いよいよ教会の前です。一度神に宣言してしまうと、もう後戻りはできません。私は立ち止まって、教会を見上げます。
「どうした、怖くなったか」
ドアノブに手をかけたヴァルギスがそう声をかけてきますが、私は首を横に振って、一歩一歩意識して足幅を大きくして歩きます。
教会の中に入ると、祭壇に普段はないような花が飾られていました。鮮やかな赤色や黄色をした花がたくさん、飾られています。そして、錦で出来た白い大きい布が、内陣の壁に張られています。中央交差部には、少し埃が残っていますが赤い絨毯がしかれて、何人かの黒い服を着た女性が並んで立っています。この教会に、神父以外の人間はいなかったはずですから、修道女とかではなくてホニームの町の住民をわざわざ呼び出して手伝わせたのでしょうか。
袖廊から神父が、銀色のきらきら光るコートのような衣装を持ってきます。
「ささ、聖女様、こちらへ。あなたが今日ここで聖女の宣言をなさることは、神託で分かっています」
「はは、神託ってすごいですね」
私はそれから目を閉じて大きく深呼吸して、それから先頭に立ってゆっくり、身廊の椅子に挟まれた通路を歩きます。
一度宣言してしまうと元には戻れない。私は普通の女の子ではなくなる。でも、聖女でしか救えない命があるのなら、私はそれを救いたい。戦争に参加して、その気持ちが強くなった。
私は聖女になりたい理由を何度も念じて、身廊を抜けます。神父が私の後ろに回って、銀色のコートを着せてくれます。
「古いものですが、歴史ある帽子でございます」
そう言って黒服の女性の1人が、十字架をつけた青く立派な帽子を私にかぶせます。私はそっと神父に尋ねます。
「私はどこに立てばいいでしょうか?」
「祭壇の前へ行って、神に祈って下さい」
身廊の椅子に座ったヴァルギス、メイ、ナトリが見守る中、私は祭壇へ一歩一歩進みます。そして祭壇の手前で立ち止まり、手を組んで、目を閉じて祈ります。何を考えればいいのか分からなかったので、私が聖女になったらしたいこと、死にかけの人たちを救う自分の姿をイメージしました。
後ろから女性たちの歌声が聞こえます。心地の良い歌声にあてられながらも、私はしっかり手を組んで、神に祈ります。
「‥あれ?」
なんだか周囲から風を感じます。太陽に当てられて、体が暖かくなっている感覚がします。ここは建物の中ですから、いくらなんでも風とかはないでしょう‥‥と思って目を開きます。
私はある晴れた草原の中央で、1人ぽっちになっていました。周囲を見回しますが、遥か彼方には地平線だけが続いていて、本当に何もありません。銀色のコートが日光を反射していて、とてもまぶしいです。
「アリサよ」
どこからか声が聞こえてきます。どこから来ているのでしょうかとくるくる周りを見回しますが、何もありません。本当に何もありません。
「アリサ、返事しなさい」
「はい」
きっとこれは神からの声でしょう。私、宗教には疎いのですが、なんとなくそんな気がしました。私は上空を見上げます。
「一度聖女になると後戻りはできない。数多の民が救いを求めて、年中休むときもなく聖女のもとへ押し掛けてくる。聖女はこの世界の希望となる」
「はい」
「本当に覚悟はできているか?」
「はい。困っている人のために私にできることなら、世界の中で私にしかできないことなら、何でもやります。私は聖女となり、病める者を救うことをここに誓います」
私は再び手を組んで、口をはっきり大きく開けて、しっかりした発音で返事します。
目を閉じるといつしか風はやみ、太陽光で体が温められる感触もなくなりました。私が次に目を開けると、教会の中に戻っていました。
私は組んでいた手を離して、ゆっくり後ろを振り返ります。女性たちと神父が、私に丁寧に頭を下げます。
「アリサよ、君が聖女になったことを嬉しく思う。祝福しよう」
誰も話していないのに、耳元から声がしてきます。神の声です。私は周囲に不審に思われないよう、静かにうなずきます。
私は周りを見回します。みな、じっと私に視線を集めています。私は、あれ?自分の顔に何かついてるのかな?と思って自分の頬をぺたぺた触りますが、何もないようです。それでもみんなは、ただ私をひたすら見つめています。身廊に座っているヴァルギスやメイでさえも、私を見つめています。明らかに異様な雰囲気です。
一体何なんでしょう。私は周りの人たちの真剣な顔が怖くて、なかなか声を出しづらそうにじっとしていました。数分は建ったのでしょうか、私の様子を見かねた神父が声をかけてきます。
「聖女様、これからよろしくお願いします」
「‥はい」
何はともあれ、私はこれから聖女です。大変なのはこれからですね。
私は胸につかえていたものも全て取れて、ふっきれた満面の笑顔で返事します。




