第233話 ホニームの反抗(1)
領主は何人かの従者を連れて、件の居酒屋へ出向かいます。ドアを開けると、報告にあった通り大柄の男が椅子に座って、酒を飲んでいます。領主は黙って、そのヴァイザという男のそばで立って待ちます。
ヴァイザはそばに領主がいることを気にもとめない様子で、何度も店主の老婆に代わりの酒を要求し、それを飲んでいきます。その間も領主は、一動きせずヴァイザのそばで突っ立っています。
そうして1時間、2時間が経ちました。ヴァイザは酒だけでなく料理も頼み、領主の存在を気にすることなく、ゆっくり味わうように食べています。領主は表情一つ変えず、ヴァイザの行動をそばで眺めます。
やがて食事を平らげ、勘定を済ませて店を出るヴァイザの後を、領主は黙ってついていきます。居酒屋を出たところでヴァイザは立ち止まり、ようやく領主のいる後ろを振り返ります。ヴァイザがじっと領主をにらみますが、領主はヴァイザに頭を下げます。領主の従者たちも見守る中でしばらくの間沈黙が流れていましたが、ヴァイザが口を開きます。
「お前は誰だ、なぜついてきた?」
そこで領主は座ると、地面に手をついて土下座の姿勢で頭を下げます。
「はい。私はこのホニームの領主、ナプ・ハル・ベネスフィロリと申します。このたびはヴァイザ様のお力がどうしても必要で、こうして参上いたしました次第であります」
領主は腰を低く、まるでヴァイザが領主を超えるような存在であるかのようにへりくだります。むろん貴族の、それも1つの都市の領主が平民にこのような態度を取るのは異例中の異例です。居酒屋の出入り口近くですから、ホニームの住民たちの目にも入ります。それは領主にとって、どうしようもないほどの屈辱でした。ヴァイザにも、もちろんそれは分かっています。
「なぜそこまでして俺が必要なのか?」
そこでヴァイザは土下座をやめますが、地面に正座してヴァイザを見上げます。
「はい。今、北より60万の魔王軍が迫っております。すでにギフを制圧し、こちらへ向かっております。このホニームが魔王の手に落ちるのは時間の問題です。そこでヴァイザ様のお力がどうしても必要なのです」
「ふむ‥‥」
ここで、これまで高慢な態度をとっていたヴァイザが急に地面に座り、領主に低く頭を下げます。
「領主様、無礼を働いてしまい申し訳ございません。領主様が本当にこの地を守る気持ちがあるのか、試させていただきました。本気でこの地を守る気のある領主様に敬意を表し、身を粉にして働きたい所存でございます」
「ヴァイザ様、ありがとうございます」
領主は涙を流して、ヴァイザと手を取り合うのでした。
◆ ◆ ◆
領主城の大広間に入ったヴァイザは、開口一番、玉座に座っている領主に請願します。
「魔王軍はあと2〜3日で来るという。私に5万の兵をお授け下さい」
これにはもちろん家臣たちが反対します。
「領主様、このホニームの兵力はわずか6万です。5万というのは、このホニームの兵力のほとんどに該当します」
「ついさっき仕えてきたばかりのものにいきなりホニームの命運のすべてを預けるのはいかがなものかと思います」
そこで領主が少し頭をひねり出しましたので、ヴァイザは捕捉します。
「いいですか、領主様。敵は60万、我々は6万です。どんな奇策を用いても、勝ち目は薄いでしょう。ここは一か八かの賭けに出るしか無いと考えます。それで必要なだけの兵力を要求しました」
「一か八かの賭けか、勝算はあるのか?」
「必ず勝てるとは言えませんが、とりうる選択肢の中で最も可能性が高いでしょう。このヴァいざ、この命をもって領主様のお気持ちに応えます」
ヴァイザは握りこぶしを力強く胸に当てます。それを見て領主はしばし考えましたが、うなずきます。
「いいだろう。どうしてもヴァイザのお力が必要だと言ったのはわしだ。全面的にヴァイザを信用する。5万の兵を預けるから、好きに使え」
「ははーっ」
そう言ってヴァイザは頭を下げます。ヴァイザが大広間から出た後も、何人かの家臣が異論を唱えますが、領主はそれを全てはねのけます。
ラジカのカメレオンがホニームに到着したのは、その翌日でした。
◆ ◆ ◆
ホニームの周囲には平地が広がっています。大人の身丈を隠すには十分な草原地帯、森林地帯が多数存在します。ヴァイザは伏兵を置いて、魔王軍の進軍をやり過ごしました。
魔王軍がホニームの目前に到着します。この日はもう夕方になったのでここに布陣し、攻撃は明日行うことになりました。といっても、敵は特に砦などを作って守っていない様子なので、攻撃の前に降伏勧告をしておいたほうがスムーズにいくかもしれません。マシュー将軍はそういう内容を、ソフィーと話していました。
兵士たちがみな寝静まった深夜になるころ、馬に乗ったヴァイザは、手持ちの身長ほどはある大きな槍を掲げて、周囲に合図します。
「行くぞ。打ち合わせ通り、敵陣に近づくまで音は立てるな」
ヴァイザと兵士たちは、隠れていた森林地帯を抜けて、魔王軍の陣に近づいてきます。
目標は、前陣ではなく、後陣にいる魔王ヴァルギスです。魔王を直接討てば、魔王軍は元帥を失い、いったん退いて体制を立て直すしかなくなります。ヴァイザはそれを狙ったのです。
兵士たちは後陣のすぐ近くまで来たタイミングで、喚声をあげ、槍を構え、弩を向け、後陣になだれ込みます。火矢で次々と幕舎が焼かれます。
「何事!?」
混乱する兵士たちの声で目覚めたメイが幕舎を出ると、すぐ近くまで火の手があがっていました。
そばの兵士が慌ててメイに報告します。
「メイ様、夜襲でございます」
「今すぐ太鼓を鳴らして!それから中陣と前陣にこの事を伝えて援軍を要請しなさい!」
「ははっ」
兵士はメイに乱暴に一礼して、走り出します。メイも急いで着替えます。
と、地面が揺れるような、地震が何度も連続して起こっているような衝撃を感じます。着替え途中だったメイは、地面の揺れで転んでしまいます。
「いたた、な、何、この揺れは!」
ヴァイザが大きな槍で地面を打ち、そのたびに地面に大きな亀裂が走ります。何人かの兵士が、その亀裂に落ち、挟まれていきます。身動きが取れなくなった魔王軍の兵を、ヴァイザの兵は踏み潰していきます。
「雑魚どもは蹴散らせ。我々の目標はただ一点、魔王の首だ!命を惜しむな、名誉を惜しめ!」
ヴァイザは地響きに勝るほどの大きな声で怒鳴りながら、全速力で馬を走らせます。それに騎兵たち、歩兵たちが矢のような速さで走ってついてきます。魔王軍の兵士たちはなだれ込む敵軍に対応できず、次々と討たれ、または蹴り出されてしまいます。
やがて魔王の幕舎らしきものが見えてきます。明らかに他の幕舎よりも一回り大きく、周囲にいる兵数も多いです。ヴァイザは槍を構えて、そして地面を叩き込みます。幕舎の周囲を守っていた兵士たちが次々と亀裂に足を奪われたり、振動で転んだりするのを見ると、後ろにいる騎兵たちが次々とその兵士たちに矢を射ます。ヴァイザはそれにも構わず、「だああああああ!!!」と喚声をあげて、馬に乗ったまま魔王ヴァルギスの幕舎へ突っ込みます。幕舎に大きな穴が空きます。
「魔王、覚悟!」
そうして、再び槍を地面に叩きつけます。地面に大きな亀裂が走り、ヴァルギスのいるベッドを襲います。‥‥が、そのベッドにヴァルギスの姿はありませんでした。
「な、なに、魔王がいないだと!?」
「貴様、妾を探しているのか?」
ヴァイザはあわてて後ろを振り返ります。いつの間にか、ヴァイザの背後にヴァルギスが立っていました。服装はさすがに寝間着でしたが、しっかり目を覚ましたヴァルギスが、しかとヴァイザの顔を見つめます。それを見てヴァイザは、この作戦の失敗を悟ります。
「貴様、いい槍を持っておるな」
「くっ‥」
ヴァイザは槍をヴァルギスに向けて構えますが、ヴァルギスは実に落ち着き払った様子で答えます。
「やめておけ、そんなもので妾に勝てないのは貴様もよく理解しているはずだ。それより、夜襲する度胸が妾は好きだ。妾の家臣になる気はないか?」
「俺は領主様から多大な御恩をあずかった。ホニームを守るためならこの命を擲つと誓った。その決心を曲げることはできない!」
ヴァイザの手は震えたりせず、まっすぐ槍をヴァルギスに向けていました。




