第232話 ギフを出発しました
その夜、私は前陣の幕舎で寝かされていました。足が思うように動かないので、この夜は毎晩会っているメイとヴァルギスが、自分から前陣に来てくれました。
「強化の魔法ってかけられる?無理なら今日の分は魔王にかけてもらうから、アリサから魔王に説明しなさいよね」
メイが優しい要求をしてきます。ベッドで横になっている私は、何度か無言でうなずきます。
「わかりました、まおーちゃんには私から説明します」
「お願いするわよ」
メイはそう言って、幕舎の出口から顔を出します。「魔王、ちょっとこっち来て」という声が聞こえます。メイと一緒に入ってきたヴァルギスに私は事情を説明して、代わりにメイに強化の魔法をかけてもらいます。
「‥‥冷静になって考えてみたけど、他の上官はこんなことしてもらわないそうよ。やっぱり普通じゃないのかしら」
メイが心配そうに言いますが、ヴァルギスは否定します。
「権力者はえてして命を狙われるものだ。貴様が最高のパフォーマンスを発揮できるように必要であれば、ためらわずに要求しろ。妾はできる限りの支援をしてやる」
「分かったわ」
メイはもとの澄ました顔に戻ると、「じゃああたしは仕事があるから。明日出発で忙しいのよ。アリサ、話の続きは明日ね」と言って、早々に幕舎を出ていってしまいます。その後ろ姿を見送った後、ヴァルギスは私のベッドのそばにある椅子に腰掛けます。ヴァルギスの甘い香りが漂ってきて、くったりしている私の体はどこかむすむすしてきます。
「どうだ、2回目の戦略魔法は?」
「うん、すっごく体力奪われるね。おとといヴァルギスがギフ全体を燃やした後も平然そうにしてたでしょ、あれすごいと思う」
「あの後は妾も立っているのがやっとだったぞ。戦略魔法は何度か使えばそのうち慣れる」
「そういうものなのかな」
そうして、私はぼーっと天井を眺めます。
「‥何だったんだろう、あの夢」
私がぼやくと、すぐにヴァルギスが反応します。
「夢とは何だ?」
「あ‥うん、私、戦略魔法を使って気を失っている間に見た夢で、ギフの中で、燃やされたはずの家がみんな元通りになっていて、人がたくさんいて活気があったの。それで、周りの人たちが私のところに集まってきて、ありがとう、ありがとうって言ってくるの。私何もしてないし、ちょっと怖かったかな‥‥」
「何もしてないことはないだろう。ゾンビになって死んでいった人の思念が、アリサにそういう夢を見せたかもしれんな」
「思念‥‥」
霊とか怨念とか、そういう話はこの世界でも聞きます。
「ギフを元通りきれいに浄化してくれたアリサに礼を言いたかったのだろうな」
ヴァルギスは、ベッドで横になっている私の頭を撫でます。ラジかと比べると少し乱暴でしたが、手は暖かくて、心地いい揺れを感じます。
「そんな、私なんてまだまだ‥‥」
「謙遜はよくないぞ。現にアリサはこれまでにも多数の兵士たちの命を助け、数多くの敵将を帰順させてきた。そして今、ギフを浄化し、霊にも感謝される。アリサは聖女なのやもしれぬな」
「聖女‥‥」
私は目を細めます。視界がかすみますが、すぐにそれは涙だと気づきました。
「私、そこまで徳は積んでないよ‥たくさんの人を殺したし、ギフを焼いたときも、ギフにまだ生き残りがいるかも知れないのに見殺しにしたも当然だし‥‥」
「聖女はみなそう言う。自分の悪いところをほじくり返すだけでは成長せんぞ、アリサ」
ヴァルギスはまたも私の頭を撫でます。それに揺られながら、私は頭の中を空っぽにしていました。
◆ ◆ ◆
アリサが浄化してきれいになった更地の上を、翌日、60万の魔王軍が通過しました。
魔王軍はギフを離れ、ホニームへ向かいます。ギフからホニームまでは距離が非常に長いにもかかわらず、途中に都市がありません。馬車であれば2日かかります。私たちが亡命する時、ホニームからギフへ行くときにイクヒノという小さい町を経由しましたね。今回はイクヒノのような小さい町へ迂回するのではなく、まっすぐホニームへ向かうようです。軍ですから野営もできますしね。
私たちの進軍の情報は、ギフを遠巻きに見守っていた斥候によって、すぐにホニームの領主城へ報告されました。
領主は、大広間に来た斥候の報告を聞いて愕然とします。
「なんてことだ、ギフまで落とされたのか‥‥このホニームはギフと比べると規模が小さい。しかも王様は、誠意を見せないと援軍を出してくれないという。60万もの大軍を、どんなに多く見積もっても6万しかいない我が軍で迎え撃てというのか。こんな理不尽なことがあっていいものか」
「領主様、お気を確かにして下さい」
家臣の1人が進んで言います。
「幸い、敵軍からここまではまだ距離があります。時間はまだあります。その間に、一計を案しましょう」
「と、いうと?お前は何かいいアイデアがあるのか?」
「ございます」
その家臣は自信満々な顔でうなずきます。
「この町の外れにある赤レンガ造りの居酒屋の常連客に、ヴァイザという人がいます。その人の槍は地形を変えるほど大きな威力を持つといいます」
「うむ、それはわしも聞いたことがある。確か何百年も前に滅んだ国の将軍の末裔という噂だな」
「それだけでなく、ハラスの弟子であるという情報もございます」
「ほう、あのハラスの弟子か‥‥ハラスは名誉刑を受けたが、このさい利用できるものは何でも利用しよう」
すぐさま居酒屋に人が出されます。
その日もヴァイザはいつも通り、仲間を引き連れて酒を飲んでいました。ヴァイザは巨体で、遠くから見てもすぐ分かるほどでした。その大きな体に、小さいグラスに入っている酒を注ぎ込んで、すぐに「おかわり」と言うのです。
「今日もよく飲むねえ」
居酒屋を経営している老婆が笑いながら次の酒を出します。
その様子を居酒屋の隅で見ていた領主の使者2人は「あの人で間違いないな」と何度か確かめてから、席から立ってヴァイザに声をかけます。
「失礼します。あなたは亡国の将軍の末裔、ヴァイザとお見受けいたしました」
しかしヴァイザは、それを無視して酒を飲み続けます。
「もし、ヴァイザさん」
何度も呼びかけますが、ヴァイザはすべて無視します。使者たちはヴァイザの後ろで呆然としているしかありませんでした。
そうして酒を何杯も何杯も飲んだ後、ヴァイザはグラスをテーブルに置いて、話します。
「お前たちのような賤がうるさくてかなわん。俺に見合った身分の奴を連れてこい」
そう言ってヴァイザは帰って行ってしまいました。
これを聞いた領主は、次は直下の家臣を使者にやらせます。ヴァイザは亡国の臣の末裔とはいえ、今は平民です。平民を貴族が直接出迎えに行くこと自体、極めて異例のことです。しかしヴァイザは、店の前に、店に似つかわしくないくらい立派な服を着ている領主の家臣が立っているのを見て、店には入らずすぐに引き返します。
この話は翌日、領主城の大広間で報告され、家臣たちを怒らせました。
「あのような厚かましい人は初めて聞いた。平民のくせに生意気だ」
「処刑してやるべきです」
家臣たちがわーわー言いますが、領主は足踏みをして黙らせます。
「よい、よい。今は非常時だ。わし自らが出迎えに行く」
「しかし、貴族が出迎えに行ったのに無視され、我々は1人の平民に舐められているのです」
「非常時を前に、身分の違いなど関係なかろう。わしは行く」
領主はそう言って、玉座を立って大広間を出ていきます。




