第231話 ギフを浄化しました
翌日になりました。マシュー将軍に話をつけるために、ヴァルギスが前陣まで来て幕舎の中で何やら話しています。その間私は外で待って、準備運動をしていました。ギフの町からは、まだ所々細い煙が立ち上っているところがあります。
やがて幕舎から出てきたヴァルギスが「許可は取れたぞ」と言ってきたので、私は「ありがとうございます、魔王様」と一礼します。
「今から行くのか?」
「はい。進軍を遅らせてはいけないですし、やるなら早いほうがいいと思います」
「わかった」
そうやってヴァルギスと話しているところを、近づいてきたメイに声をかけられます。
「アリサ、魔王から聞いたわよ。町を浄化するんだって?」
「はい、お姉様。ゾンビによって汚染された土地を元通りきれいにします」
「それ、あたしにも手伝わせて?いや、力になるかは分からないけど、アリサが魔法をかけている間、あたしはここで祈りを捧げたいの」
「分かりました」
私はメイと一緒に、おとといも行ったあの丘へ向かいます。おとといは都市を跡形もなく燃やす残酷な魔法を使うためにここまで来ましたが、今日は違います。それだけで随分気は楽になるものです。
「私はギフの真上まで浮遊の魔法で行きますが、お姉様はどこで魔法を使いますか?」
「高いのは怖いから、あたしはここで祈るわ。届くかどうかはわからないけど」
「分かりました」
私が返事するとメイは手を合わせて目をつぶります。
「早く行きなさいよ」
「はい」
メイに急かされるように、私は2日ぶりの浮遊の魔法で、ふわりと地面から浮き上がります。そうしてそのまま南へ移動し、都市の上空に入ります。
私の足元には、都市の中央付近にある噴水が見えます。石造りなので燃えなかったようですね。上空なのであまりよくは見えませんでしたが、少なくとも噴水や川の水は透明でもなく、青色でもなく、赤と緑がどろどろ混じったような色をしていました。建物は石造りのものを除いてことごとく燃やし尽くされ、真っ黒な柱ばかりになっていました。人間の体は全く見当たりません。骨もカルシウムで出来ていますから燃やそうとすれば燃えますよね。
石造りの建物も、爆発の衝撃で粉々になったり、屋根の石が大きく割れていたりしています。向こうに見える領主上も高級な石でできているのですが、見るからに無残な姿になっています。何より、炭がついてひどく汚れています。都市は全体として、真っ黒な消し炭ばかりになっています。
私はすうっと息を吸って吐いて、それから始まりの呪文を唱えます。
「デ・ガンナ」
全身の魔力をすべて、この魔法のために注ぎ込みます。
私が呪文を唱えるたびに、きゅうううっと、大きな魔力の嵐が起きます。私の魔力って、こんなに膨大だったんですね。
戦略魔法は、使用者の限界を余すところなく引き出し、最大限のパフォーマンスを発揮する、最上級者向けの魔法です。普通の人が戦略魔法を使おうとした場合、途中で魔力が切れて気を失うのはまだいいほうで、肉体を破壊しつくされて死ぬなど、他にも悲惨なパターンがいくつもあります。この世界の中でも選ばれた人しか使えません。その1人が、ヴァルギスです。魔王一族、とりわけ女性は代々、先天的に強い魔力を授かります。
でもたまに、魔王一族以外でも戦略魔法が使えるほどの魔力を持って生まれた例外が存在します。その例外が、私です。以前に調べたことがあるのですが、そうした例外は10年に一度は出るらしいです。かなり頻繁です。しかしそのほとんどは、自分には戦略魔法が使えるほどの魔力があることに気づかないんだそうです。戦略魔法そのものへの知識の欠如、魔王にしか使えないという誤解が原因で、誰かから指摘されるまで自覚しないことがほとんどです。私も、はじまりはヴァルギスからの指摘でした。
自分は魔法を使うのが大好き。しかも、戦略魔法も使える。戦略魔法が使えるという幸運に溺れず、自分の足元から広がる銀色の魔法陣にありったけの魔力を注ぎ込み、限界まで光らせます。その光は太陽のようにまぶしく、町全体を真っ白に染めます。色を色と認識できないような強い光で、汚染されたギフの町を染め上げます。
「はぁ、はぁ‥」
浄化の魔法を乗せた戦略魔法は終わりました。でも自分の力を限界まで使ったので、私は気が狂いそうなほどにしんどく、体に全く力が入りません。かつてないほどの脱力感が私を襲います。おとといギフの町の4分の1を燃やした時はここまでしんどくはありませんでした。しかし今回、ギフの町全体に戦略魔法をかけた結果がこれみたいです。
浮遊の魔法が維持できません。あの丘へ戻るところか、町から出ることも、噴水の真上から動くこともかないそうにありません。私の体はふらふらと、風を失った凧のように高度を失います。そして軽くぶつかるように、地面に落ちます。
とにかく体に力が入りません。頭も回りません。自分の体が噴水の手前の地面に横たわっていることだけが分かりました。
地面からはゾンビの体液による汚れも消え失せ、噴水からは鮮やかな透明の水が溢れ出て、真っ黒になった柱は消え失せてきれいな更地になり、石造りの建物はなくなりその跡地には何の変哲もないただの岩だけが鎮座していました。幻聴なのか、どこかから小鳥のさえずりが聞こえてきます。
私はゆっくり目を閉じました。目の前が真っ黒になります。
気を失っている間、私はこんな夢を見ました。
私は気がついたら噴水のそばにあるベンチで横になっていました。起き上がって周りを見回します。周囲には、まるで爆発も何もなかったかのように、きれいで立派で歴史を感じさせる中世ヨーロッパ風の、赤レンガや白レンガをいくつも組み合わせた建物が並んでいて、窓からは植物の入った植木鉢がいくつも見えます。周りを歩く人達は、大人も子供もみな笑顔でした。店も活気があり、威勢のいい声で本や食品などを売っています。町には笑顔が満ち溢れています。
私はベンチから下りて、ふらふらと歩き出します。ふと、民の1人と目が合います。親に連れられている小さい子供でした。
「ありがとう」
子供がそう言って、私に満面の笑顔を見せてくるのです。えっ、私、何かしましたか?私がそう思って一歩のけぞっていると、周りの人たちも次々と私の周りに集まってきます。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
大人の男も、主婦も、老人も、子供も、みな笑顔をたたえて、私にお礼をしてきます。
手を差し出してくる少女がいましたので、私はためらいながらもその手を軽く握ります。
「ありがとう」
その少女もにこっと私に感謝を告げます。私は何が何だか分からなくて、何度も周囲を見回します。誰もが私と目が合うたびに嬉しそうににっこり笑います。
「‥‥あっ、あの、私、何かしたんでしょうか!」
私はそれを言ったはすみで、ぱちりと目を覚まして起き上がります。地面で寝ていたみたいです。やっぱりあれは夢でした。自分は夢から覚めたみたいです。
代わりに私の周りには何人かの兵士と、道案内役を頼まれたのでしょうか、ナトリとメイがいました。私の隣には担架が置かれていました。もう少しで私は担架で運ばれるところだったみたいです。
「アリサ、本当に心配したのよ。すごく探したんだから」
メイがしゃがんで、私のおでこにこつんと拳をぶつけます。
「総出で探したのよ。太陽も西にあるじゃない、もうすぐ空が赤くなるわよ。でもアリサ、この町をけっこうきれいにしてくれたじゃない。これなら兵士たちも明日、気持ちよく進軍できるわよ」
立派な建物が並んでいたと思っていた周囲は、ぴかぴかの更地に戻っていました。きれいにならされた平地のど真ん中にぽつんと座っているみたいです。私はふと地面を見ます。ついさっきまで磨かれていたようにきれいな石畳の隙間から、1本の小さな草の芽が顔を出していました。私は微笑んで、その草の葉を指で撫でます。そうして立ち上がろうと思って脚を動かすのですが、どうしても足に力が入らず、思うようにうまく立てません。
「あっ、あっ」
近くにいた兵士に支えてもらいますが、やっぱり脚が震えて立てません。
「おとなしく担架で運ばれなさい」
メイが言ってくるので、私は「はい‥」と力なく返事して、上半身を寝かして地面に横になります。
私がさっき見た夢は何だったのでしょうか。白い担架で運ばれながら、私はかつて家が建っていた更地を眺め続けていました。




