第230話 ギフの領主を殺しました
その翌日。ギフを襲った地獄の炎も、ほぼ鎮火していました。ゾンビが魔王軍へ近づいてきたという話も聞きません。ギフはただ無人の静寂に飲まれていました。
衛生兵の検査をうけて健康に問題はないと判断されたナトリの両親が、護送車から下りてきます。
「パパ!ママ!」
ナトリはすかさず、階段から降り終えたばかりの2人に抱きつきます。両親も負けじと、ナトリを抱き返します。
「生きてくれてよかった」
「パパ!ナトリ、ギフの人がみんなゾンビになっていると聞いて、パパとママのことが心配で、心配で‥‥」
「よしよし、もう大丈夫だからな」
パパはナトリの体を抱き上げます。
「ナトリ、大きくなったな」
「あはは、大人になるのだ」
「ナトリ、鎧を着ているけど、兵士になったの?」
「違うのだ。将軍になったのだ」
そうやってナトリと両親が身の上の話をしている一方で、もう1つの護送車から領主がゆっくり下りてきます。私が昨日の状況をマシュー将軍に報告しましたので、その領主の一挙一動を周りの兵士たちは警戒している様子でした。
そこへ、マシュー将軍やソフィーと一緒に、ヴァルギスが現れます。
「貴様がギフの領主か?」
「そうだ」
領主は力なく答えます。
「初めてだな。妾はハールメント連邦王国の魔王であり、この親征軍の元帥でもあるヴァルギス・ハールメントだ。早速だが、ギフがゾンビだらけになった理由、領主の貴様なら知っているだろうと思ってな。直々に聞きに来た。返答次第では貴様の首が飛ぶぞ?」
ヴァルギスは顔に笑みを浮かべながらも、どこか厳かな声で、じっと領主を見つめながら尋ねます。
「それについては私から説明しましょう」
ついさっきまでナトリと戯れていた父が、急にナトリの肩を掴んで、まじめでしっかりした口調になって答えます。
「領主は魔王軍がユハを攻め落としてギフに迫っていることを知り、王都カ・バサに援軍を要請しましたが断られました。そのため、他に手段はないと言って、この町にゾンビのウィルスをばらまいたのです。あっ、空気伝染はしないので安心して下さい、何人かの住民を呼び出してウィルスを埋めて放ったのです」
「そうか」
ヴァルギスは短く言って、それからまた領主をにらみます。
「今の話は事実か?」
領主が何も返事せず、うつろにうつむきますので、ヴァルギスはさらに大きな声で迫ります。
「どうだ?」
「‥‥‥‥」
「返事がなければ、認めたものとするぞ」
「‥‥‥‥」
それでも領主は返答しませんでした。ヴァルギスは次に、領主に質問します。
「なぜ降伏を考えなかった?降伏すれば、罪のない市民たちを殺す必要もなかったのだぞ?」
「‥‥‥‥」
「なぜ降伏しなかった?答えろ」
「‥‥‥‥」
領主はずっと黙ったまま立ち尽くしています。見かねたヴァルギスは、はあっとため息をつきます。
「町の人はことごとく死んだが、貴様は領主城から逃げ出して関所に隠れて難を逃れた。それはなぜだ?」
「‥‥‥‥」
「私が説明してもよろしいでしょうか」
ナトリの父が口を挟みます。ただ、ナトリの仕えている相手であろうと、魔王への恐怖心はあるようで、ぎゅっとナトリの体を抱いています。
「よい」
「はい。その領主はもともと自分も死ぬつもりでしたが、途中で怖くなって私たちに助けを求めたのです」
「そうか。おい領主、今の話は事実か?」
「‥‥‥‥」
「何か言え」
「‥‥‥‥」
領主はヴァルギスの詰問に一切返事をしません。
「今の話が事実なら、貴様は自分の名誉と保身のためだけにギフの何万人もの民を鏖にしたということだぞ。少しは弁明しろ。さもなければ今すぐここで殺すぞ」
ヴァルギスはさっきよりも声が大きくなっていて、怒鳴るように言います。それでも領主はうつむいたまま、何も返事しません。
ヴァルギスは今度は5分くらいじっと領主の返事を待ち続けます。5分間も、その場にどっしり重い空気と静寂がありました。その間ヴァルギスは、ぴくりとも身動きせず、領主をずっと睨んでいました。
やがてヴァルギスはため息をついて、領主に歩み寄ります。
「返事がないということは、認めたということだな。罪なき万民を殺した罪、ここで誅してやる」
ヴァルギスは右手を開きます。キュイインという音とともに火の色をした光が集まって、オレンジ色の長剣が浮かび上がります。よっぽと切れ味のいいものらしく、音も摩擦もなく、次の瞬間には領主の首が胴体から離れていました。領主の体が地面に倒れたはすみで、首から爆発したかのように大量の赤い液体が吹き飛びます。
◆ ◆ ◆
ラジカの母と違って、ナトリの両親はそのままギフに残るわけにはいかないので、しばらく遠征軍に付き従うことになりました。本人の希望で、ナトリは一時的に後陣へ転属され、両親を自らの手で保護することになりました。
ヴァルギスの幕舎へ行って2日ぶりのキスを終えた私は、テーブルの椅子に座って尋ねてみます。
「ナトリちゃんの様子はどうだった?」
「うむ、しっかり親孝行しておるぞ」
「そっか、死んでなくてよかった」
そう言って私はほっと一息つきます。
「ところでゾンビというものは、どのようなものであったか?妾は実際に見たことはないからちょっと興味があってな」
確かに普通に生活していればめったに見るものではありませんね、ゾンビ。
「思い出すのも恐ろしくて‥‥」
「ふむ」
「肉がとってもやわらかすぎて、何かに触れるだけですぐもげてしまうんだよ。すぐに骨ばかりになっちゃう。あと、血は流れていなくて、代わりに肉体が溶けてその汁がポタポタと‥‥ごめん、自分で言ってて怖くなっちゃった」
私はぶるっと体を震わせて、手で顔を覆います。
「ごめん‥話したくない」
「悪かった、話題を変えよう」
ヴァルギスは椅子に座り直して、また私に尋ねます。
「初めて戦略魔法を使った感想はどうだったか?」
「うん、不謹慎だけど、全身の魔力を一気に放出している感じがあって、楽しかったというのは変だけど、全力出してすーっとした気持ち」
「アリサは本当に魔法を使うのが好きだな。アリサも経験したと思うが、戦略魔法は使用者の体力を消耗する。そう簡単に連発できるものでもない」
「うん、分かってるよ。戦争でも最後の手段だよね、その意味が分かったかも」
私は幕舎の天井を仰いでうなずきます。
「私、もう一度戦略魔法を使いたい」
「うん、どうした?何をしたい?」
「ギフって死の町になっちゃったでしょ?住民全員が死んでしまって、都市もほとんど更地になっちゃった。ゾンビのせいで川の水もひどく汚れているだろうし、草木1つ生えられない土壌になってるんじゃないかってと思うの。領主のわがままのために町1つが犠牲になるのって、とても可哀想で、私は何も出来なかったと思うと悔しくて」
「アリサらしいな。人を殺したくないと言ってた時と比べるとましにはなったが」
ヴァルギスは腕を組んで、「それで何がしたい?」と聞いてきます。
「うん、私、ギフを浄化したい」
「浄化か」
「戦略魔法って、それ自体では何の効果もなくて、他の魔法を乗せて増幅して放つものでしょ?だったら、浄化魔法を戦略魔法として使えばギフの町全体に届くし、効果も高いんじゃないかなって」
「はは、悪くはない。だが魔族と聖魔法は相性が悪いのだ、聖魔法を使った場所を軍隊が通れないことはないが、妾は魔族だから手伝えないぞ」
「それでもいい」
「ふふ、好きにしろ」
ヴァルギスはそう言って、かすかに笑います。




