第229話 ナトリの両親を救出しました
私たちは2階へ続く階段を上ります。亡命のときにもこの階段は上ったのですが、上にゾンビがいるかもしれないこと、明かりがついておらず薄暗いことを考えると、やたら不気味さを感じるのです。
上の方から足音が聞こえます。やはり、1階の廊下をゾンビが歩いていたのですから、2階もゾンビだらけであることは覚悟したほうがいいでしょう。
2階の廊下に出ました。案の定、何人かのゾンビが歩いていました。見た目がとてもグロいのですが、私は頑張って、建物を焼かないように、要領よくゾンビに火をつけていきます。同行の魔法使いたちも、他のゾンビを次々と焼いていきます。ナトリも火の魔法は使えるのですが、何もせず、ただうつむいていました。
「エリトリア、グテーテル、アンナ」
どれも人名のようでした。私が焼いたゾンビがメイド服を着ていることがかすかに判ったので、おそらく私たちが焼いたゾンビの名前を呼んでいるのでしょうか。ゾンビになってしまったら、もう生きていた頃の記憶を失い、ただ肉を食べるだけの存在になってしまいます。私たちは覚悟を決めて、部屋を1つ1つ見ていきます。
「生存者はおられますか?おられたら返事して下さい」
生存者が部屋の中のどこかに隠れているかもしれないので、誰もいない部屋でこう呼びかけてしばらく待ってはドアを閉めて次の部屋へ、を繰り返します。もちろんゾンビのいる部屋もありましたので焼きます。ナトリはもう人の名前をつぶやくことはなく、ただ涙を流していました。ナトリちゃん、つらいなら‥‥と私は言いかけましたが、やめました。
2階にはゾンビの他には誰もいなかったので、3階へ進みます。階段を1人のゾンビが、骨だけになった腕に階段の踏み板を引っ掛けながら上っていたので、後ろから焼いてあげました。人の姿を失ったゾンビほど悲惨なものはなくて、まともに階段も上れなくて腕が骨だけになってもなお酷使して上ろうとする必死な姿勢、今夜の夢に出てきそうです。
悲鳴を上げながら燃えているゾンビを避けて、私たちは3階の廊下に出ます。廊下を歩き回っているゾンビはいませんでしたが、ふと、5人くらいでしょうか、ゾンビが1つの部屋のドアに集まっているのが見えます。私たちは反対側の廊下にゾンビがいないことを確認してから、そのドアへ向かいます。ちなみにナトリはつらそうにうつむいていたので、私が手を引いてやります。
私には、目の前のゾンビが誰だか分かりません。服装も、溶けた肉体でくっしょりでボロボロです。人間の体って、くさると液状になってしまうものなんですね、知りたくありませんでした。体中のところどころの肉がもけて、骨が見えています。それ以上は見たくありません。私は、他の魔法使いたちと一緒にゾンビたちの体を燃やします。死後の血液は凝固するようで血は流れませんでしたが、代わりに筋肉や脂肪から流れ出る水分や分泌液が、床を濡らしていました。
悲鳴を上げてのたうちまわっているゾンビたちがドアから離れたので、私はナトリを引っ張って、ドアノブを回します。よく見ると、亡命の旅のときにナトリがいた部屋ですね。ノブは回りましたが中に何かがつかえているらしく開きません。代わりにドアをノックします。
「誰かおられますか?」
「あなたたちは誰ですか?」
中から、以前に聞いたような気がする、そんな声がとんできます。
「パパ!」
ナトリがすかさずドアに食いついて、何度もノックします。
「パパ、ナトリなのだ!アリサと一緒に助けに来たのだ!開けるのだ!」
「おお、ナトリ‥これは夢か?」
「夢ではない、現実なのだ、パパ!」
ナトリは何度も何度も、必死にドアをノックしますが、私はその手首を掴みます。
「ドアにはゾンビの体液がついてるかも」
「あっ‥‥」
ナトリもそれに気づきます。私がポケットからハンカチを取り出すと、ナトリはそれで自分のノックした手をこしこし拭きます。
部屋の中から、何か大きな家具を動かすような、ギギギという物音がいくらか聞こえます。それがやんだ後、がちゃとドアが開きます。
「ナトリ!」
そこにいるのは、獣の耳の生えた、ナトリの父でした。
「パパ!」
ナトリが抱きつこうとぴょんとジャンプするのですが、私はナトリの体に後ろから抱きついてそれを妨害します。
「テスペルク、なぜ邪魔するのだ?」
「ナトリちゃん‥悪いけど、生存者は隔離しないと‥」
「ああ‥‥そ、そういう約束だったのだ」
私に床へおろしてもらった後、ナトリは気まずそうに、自分の父へ事情を説明します。
「生存者を発見しても半日は隔離しろと命令されているのだ。だから‥ナトリたちには触らないで、着いてきてほしいのだ」
「分かった。まあ、仕方ないだろうな」
父はナトリから2歩、3歩離れます。そして、ちらりと後ろを見やります。父の後ろには、ナトリの母と思われる中年の女性、そしてもう1人、頭髪の薄くぷくっと太った男がしりもちをついたように座っていました。よく見ると、その男の体はロープで縛られています。
「ママと‥領主様?領主様もご無事で‥‥どうして縛られているのですか?」
ナトリが言いますが、父は訝しげな顔をして言います。
「あの男にはあまり近づくんじゃないよ」
領主と呼ばれた男は「ちっ」と舌打ちをします。
◆ ◆ ◆
関所には他にもゾンビが隠れているかもしれないので、私が責任を持って燃やしました。大きな炎が、関所を、ナトリの生まれ育った家を包みます。ナトリはその関所の前に立ち尽くして、もの淋しげに眺めています。
「ナトリちゃん、そろそろ行くよ」
ナトリの両親は1つの護送車に、もう1つには領主が入れられて、馬に乗った兵士たちに引っ張られます。私たちは関所のあった場所を後にします。
護送車は金属でできた直方体のような形をしていて、入り口のドアのほかには、屋根近くに窓がついています。その窓を開けて、ナトリは何度も護送車に呼びかけていました。
「パパ、ママ、ナトリは心配だったのだ。生きてくれて嬉しかったのだ」
「パパもだよ。ナトリがしっかり成長してくれて嬉しい」
「パパ‥‥」
ナトリは時折涙を流します。会話を聞いている私ももらい泣きしそうになりますが、帰り道にもゾンビになった獣がいるかもしれないのでまずは目の前に集中して、慎重に進みます。そうして私たちは前陣に帰還しました。
結界を張るなど安全対策はしたのですが、私たちも念のため半日は隔離されることになりました。私とナトリは2人で1つの幕舎に、ついてきた兵士や魔法使いたちは別の幕舎にそれぞれ入れられます。今は昼頃ですから、明日の未明までこの幕舎から出てはいけませんね。ナトリは隔離された事実よりも、隔離されている間両親に会えないことを寂しがっているようで、すっかり肩の力を抜いてしょげかえっていました。
「アリサ、ナトリ、体調はどうだ?」
幕舎の外からマシュー将軍の声が聞こえます。
「大丈夫です」
「そうか。いやなに、お前たちに魔王様から直々に差し入れがあってな。新鮮な肉料理だ、遠慮なく食え」
「分かりました」
兵士たちが肉料理を運んできます。焼き肉のようにタレを付けて焼いたもの、熱湯に入れて温めたもの、どれもほかほかしています。
「食べながらでいい、報告事項があったら教えて欲しい」
「はい、ナトリの両親のほか、ギフの領主も発見しました。領主は最初から体を縛られていて、ナトリの父からは近づくなと言われました。それ以上のことはわからないです」
私はマシュー将軍に返事した後、串焼きをむさぼります。




