第227話 ギフを燃やしました(2)
ウィスタリア王国第4の都市といわれるギフは、町中に多くの坂道を敷いていながらも、その歴史的な建造物による景観は考古学的にも美観的にも錚々(そうそう)たるものです。せめて建物だけは燃やさずに置いておきたいのですが、事態が事態です。戦争がなくても、旅人にも被害が出かねません。そもそもなぜギフはゾンビだらけになったのでしょうか、その根本的な問いもないままこの時がやって来てしまいました。ちなみにラジカのカメレオンはすでにギフから脱出しています。
丘の上にヴァルギスと並んで立った私は、それでも周りに護衛の兵士たちがいるのであくまで主従関係を意識して話しかけます。
「壮観ですね、魔王様」
「うむ、ギフには歴史的な建物が多いと聞く。あれらを全て燃やさなければいけないのは、人類にとって大きな後退だろう」
ヴァルギスも私と同じようなことを考えていたようで、何回か飲み込むようにうなずいています。
「まず貴様から燃やしてみろ、向かって右だ。詠唱が間違っていたら妾が強制的に止める」
「分かりました、魔王様。抜かりはございません」
ヴァルギスが私から距離を置きます。衛兵たちも、ヴァルギスの指示で正円を描くように私から離れていきます。直径1キロメートル、いや、2キロはあるのでしょうか。戦略魔法の魔法陣は、とても大きいのです。あまりにも大きすぎて空中に魔法陣を描くことが多いですし、今回も私は空中に浮き上がって詠唱するつもりですが、どうしても下に人がいるとその人達が健康上の悪影響を受けるのです。
私の体はふわりと地面から浮き上がります。この感じ、いつぶりでしょうか。戦争が始まってから、私は敵のスパイに実力を悟られないようにするために浮遊の魔法を使うのを控えてきました。久しぶりの浮遊の魔法は、ふわふわした感覚が私を包み込んで、そしてくすぐったくて、暖かく気持ちいいものでした。
「デ・ガンナ」
これまでの呪文とは異なり、アクセントのついた強い声で言います。すうっと息を吸い込んで、吐きます。私の体の中の魔力を吐き出すように、くっと両手に力を入れます。戦略魔法を使うのは初めてですが、昨日ヴァルギスに説明された戦略魔法の使い方は、一語一句覚えています。
私を中心にしたつむじ風のような、竜巻のような空気の流れができます。その全てが、私の体目駆けて集まってきます。
「ドルフィン」
私の足元に、ぴかりとした銀色できらきらの魔法陣が現れます。これ絶対半径5キロはあります。魔法陣の端がかすんで見えません。こんなの初めてです。でも魔法陣をじっくり眺める暇はありません。ぼうっとしていると魔法が途切れてしまいますので、詠唱に集中します。
◆ ◆ ◆
その魔法陣は、前陣だけでなく、中陣の一部からも視覚できる巨大なものでした。
前陣にある幕舎から出たナトリは、その魔法陣を目に入れます。すぐに、これは前陣を焼くための魔法陣であると悟ったのか、ナトリは両手で握りこぶしを作って、うつむきます。そして、またくるりと幕舎の中に戻ってしまいます。
「‥ナトリ、いる?」
ナトリが気になって近くを通りかけたラジカは、そんな様子を見て幕舎に近づいて、呼びかけます。
「ほっとけなのだ」
中から声がしたので、ラジカは引き続き話しかけます。
「つらくても、いつも誰かと一緒にいたほうがいい。アタシはついさっき、それをアリサ様から教えてもらったばかり。一緒にいさせて」
「好きにしろなのだ」
ナトリが言うのでラジカは幕舎入り口の布を開けます。
「布は閉めろ、魔法の音は聞きたくないのだ」
ナトリはベッドで横になって、幕舎の出口にいるラジカに背を見せていました。ラジカは入り口を丁寧に閉じて、ベッドまで歩いてきて座ります。ぽすんと座るときに、ベッドを少し揺らします。
「ナトリ‥」
ラジカがそう言いかけた時、ふぁさっと幕舎の入り口の布がまた開きます。中に入ってきたのは、小柄なメイでした。
「アリサが戦略魔法を使うって聞いたから後陣の仕事を他の人に投げて来たけれど、ナトリが心配になったから見てみたら‥‥案の定ね」
「‥メイ」
ラジカが少し怒ったような顔をメイに見せます。
「どうしたの、ラジカ」
「アリサ様が魔法を使うこと、ナトリには黙っててほしかった」
「あっ、ああ‥ごめんね」
メイはそう言って、ラジカの隣に座ります。
「アリサの魔法陣、近くで見るとすごく大きいわね」
「うん。アタシも少ししか見てなかったけど、あんな大きい魔法陣は初めてだった」
「2人とも黙ってほしいのだ」
横になっているナトリが機嫌悪そうに言ったので、ラジカとメイは「ごめん」と言って黙ります。
幕舎の中からは当然外の様子も、アリサの魔法陣も見られません。戦略魔法自体めったに使われるものではありませんから、他の兵士たちはみな幕舎から出てアリサの魔法陣を見上げています。メイもラジカもそれはせず、ベッドで横になるナトリの背中を撫でてあげます。ナトリは「やめるのだ‥」と小声で言いますが、メイとラジカの愛撫に揺られ、おとなしく身を任せていました。
それから少し経って、外から何かの音が鳴り響きます。その音は次第に大きくなって、しまいにはけたたましいほどの轟音となって、幕舎全体を揺らします。
「やめ‥やめろおおお!!!」
ベッドから起き上がるナトリの悲痛な叫び声が聞こえてきたので、ラジカはその背中をしっかり抱きしめます。
「やめろ、焼くのはやめるのだ!」
「ナトリ!」
暴れるナトリの腕をメイが押さえます。
「大丈夫よ、ナトリ。失ったものは、もう一度作り直せばいいから。悪いのはアリサじゃない、戦争よ」
メイがそう言い終わった時、幕舎の振動が止み、轟音が止まります。ナトリは力の抜けたようにくったりしたので、ラジカは手を離してナトリをまたベッドに横に寝かしつけます。
メイがベッドから降りて、幕舎の外の様子を見ます。ギフの北西方面、幕舎の出口から向かって右手前のところから、大量の灰色の煙が何本も上がっているのが見えました。家が燃えているかどうかは他の幕舎に隠れてしまって見えませんでしたが、おそらく激しく燃えているのでしょう。それを確認して、また幕舎へ戻ります。
◆ ◆ ◆
私、戦略魔法使ってしまいました。産まれて初めて使ってしまいました。
ギフの北西が激しい炎で包まれているのが見えます。一回の魔法で出したにしては今まで見たことのないような大きな炎があがっています。戦略魔法を使ったという興奮よりも、歴史的な建物が次々と灰になっていく悲しみや申し訳無さのほうが勝っていました。
「初めてにしてはなかなかだな」
丘の上からその様子を見ていたヴァルギスは、詠唱を終えて下りてくるアリサの肩を馴れ馴れしく叩きます。
「身に余る光栄でございます、魔王様」
私の返事を聞いてヴァルギスは思わず手を引っ込めますが、もう一度私の肩に手を置きます。
「うむ、この火の勢いなら問題はないだろう。貴様、全部焼けるか?」
「体力が限界です。思ったより疲れますね」
「そうか、では下がれ」
「はい」
私は後ろへ下がります。前に出たヴァルギスは、ギフの様子をもう一度確認して「うむ」とうなずいた後、浮遊の魔法でゆっくり浮かび上がります。
ヴァルギスは私と同じ呪文を唱えて、空中に巨大な魔法陣を展開します。そして長々とした詠唱を始めます。ヴァルギスの詠唱は、私の恋人だからなのでしょうか、どこか心地よくて、ゾンビになってしまった人間たちを思う寂しさと悲しさがあって、まるで歌のようでした。周りの兵士たちは私の戦略魔法ですっかりびびってしまったのか、私のときよりもあからさまに距離を取っていますが、私はヴァルギスの真下から数歩離れたところにいて、ヴァルギスの詠唱をじっと見つめていました。
何分経ったのでしょうか。ヴァルギスの詠唱は早口でしたが無駄がなく、規模は私の4倍なのに私より時間がかかっていないような気がします。やがてヴァルギスの詠唱が終わり、人類がこれまで見たことのないような巨大な爆発が起きて、ギフの町全体が、核爆弾でも落とされたかのような激しい炎に飲まれます。その光景が目に入ってから10秒以上後に、爆轟の大きな音が魔王軍全体を暴風のように襲い、地面を揺らし、鳴らします。




