第226話 ギフを燃やしました(1)
夜も更けた頃に、私はいつも通り、メイの幕舎を出てからヴァルギスの幕舎へ向かいます。
明日はヴァルギスの戦略魔法でギフの町を焼き払うことになっているから、その準備で忙しくて私はもしかしたら門前払いされるかもしれない‥‥と思っていたのですが、守衛の兵士たちはすんなり私を通してくれました。でも幕舎に入った時、ヴァルギスはやはり忙しそうに、テーブルの上にいくつもの書類を広げていました。大きな紙に、ナトリが作ったギフの町の地図が描かれているのが見えました。
「おう、来たか」
ヴァルギスは机の上の書類を片付けますが、地図だけは残します。私が隣の椅子に座ると、ヴァルギスはテーブルに肘をかけて言ってきます。
「ナトリに何か変わった様子はなかったか?」
「うん、寂しそうにしてた。ギフの思い出をずっと話してた」
「そうか」
ヴァルギスはまた地図に視線を落とします。
「アリサ」
「うん」
「アリサは北西の部分をやれ」
「えっ?」
私はびくっとして、ヴァルギスの横顔を見ます。ヴァルギスも私を振り向いて、その表情を見せます。目は本気でした。
「私も燃やすって意味?」
「うむ。折角の機会だ、戦略魔法の練習をここでして欲しいと思ってな。なに、アリサが失敗しても後から妾が都市全体を燃やすから、まあ練習程度に思ってくれ」
「戦略魔法‥‥」
私は戦略魔法を今までに一度見たことがあります。以前にヴァルギスがエスティクの町全体に忘却の魔法をかけたときです(第1章参照)。自分が使ったことはありませんから、どのような魔法なのか想像もつきません。
「戦略魔法は通常の魔法と異なり、範囲が広ければ広いほど強い威力を発揮する。戦略魔法は単体で動くものではなく、まず土台があって、その上に忘却だとか火炎、水など他の魔法と組み合わせて使う。ここはアリサもエスティクの学校では習わなかっただろう」
「習わなかったけど、理論は自分で勉強したよ」
「ほう」
エスティクにいる時、学校の魔法以外の授業には興味ありませんでしたが、魔法に関しては難しい魔法の本をいくつも読んでいたので、戦略魔法のことも大体分かります。でも実際に使ったことはありません。
「理論は知っているが、実践は初めてなのだな」
「うん、そんな感じ。‥‥ねえ、どうして急に私も戦略魔法を使うって話に?」
「これを逃したら他に使う機会はないと思ってな。アリサは魔法を使うのが好きだから、一度は経験しておきたいだろう」
そう言ってヴァルギスはほほえみます。
ヴァルギス、私のことを考えてくれたんだ。そう思うだけで、私の胸が暖かくなってきます。
「ありがとう、ヴァルギス」
「うむ」
「こんな状況じゃなかったら、もっとよかったんだけど‥‥」
「戦略魔法を使う状況とは、えてしてこういうものだ」
ギフを歩き回っている大量の死体を焼くために戦略魔法を使うのです。すでに死んでゾンビになっているとはいえ、ナトリや多くの兵士たちにとって思い出になっている場所を焼き尽くすのは、あまりいい気分がしません。
「話を戻すが、理論が分かっているのなら話は早い。唱える呪文は頭に入っているか?」
「うん、大丈夫だよ。でもどれくらいの強さの魔法にすればいいか、加減が分からないな」
「家の大きな部屋1つを火の海にする威力を想像してみろ。あれくらいのものを戦略魔法に乗せれば、これくらいはいける」
ヴァルギスが地図にくるりと指で円を描きます。
「ええっ、あの程度の威力でこんな簡単にいけちゃうの!?」
「うむ、ただし詠唱時間は何倍にもなるがな。ひとまず平民用の家1つを丸焼きにするくらいのイメージで、町の4分の1を焼いて欲しい」
「分かったよ」
その後もヴァルギスといくらか話して幕舎を出た私は、変に体がこわばっているような気がしました。肩に何か重いものが乗っているような気がして、歩き方もぎこちなくて、呼吸も乱れているような気がします。幕舎を守衛する兵士たちと顔を合わせるのも気まずくて、ただ軽くうつむきながら、後陣を後にしました。
前陣の自分の幕舎に戻る途中で、たまたまナトリの幕舎の前を通りかかりました。一度はその前を通り過ぎたのですが、どうしてもナトリのことが気になって私は戻ります。入り口の布の隙間から、そっと中を覗いてみます。
まだ明かりがついていました。ベッドの上に、ナトリが体育座りしているのが見えます。その背中は激しく震えていました。嗚咽の声が漏れてきます。私は一回、ナトリの幕舎の周囲を見回します。周りに兵士や他の将軍が誰ひとりいないのに気付いて、私はふうっとため息をついて、そのまま自分の幕舎へ向かって歩き出しました。
◆ ◆ ◆
翌日は曇天でした。後陣で天気を予測してくれる部隊があるのですが、それによると午後からは晴れるとのことでした。
「降水はないとのことだ。安心して燃やせるな」
ヴァルギスの声は、いつもより重々しいものでした。普段は後陣にいるヴァルギスですが、この日はギフを燃やすために前陣まで出張ってきています。
「‥うん、そうだね」
私もうなずきます。ヴァルギスと私は、マシュー将軍の幕舎のすぐ外にいて、向こうのギフの都市を眺めています。ゾンビがいくらか陣に集まり続けているようで、前方に配置された魔術師たちがそれを1人1人丁寧に燃やしているのが見えます。
ちょうどその時、幕舎の中からマシュー将軍が出てきます。ソフィーも一緒です。
「これはこれは、魔王様、こちらからお迎えに上がるのが遅くなり、大変失礼いたしました」
「妾にしかできない仕事なのだろう、妾が前に出て当然だ。そこまで卑屈になることはない」
いつも私に対して上司としてばりばり指導してくるあのマシュー将軍が、この時はヴァルギスに頭を下げて、丁寧に話します。ヴァルギスはハールメント連邦王国の中で一番強いから当然といえば当然なのですが、そのヴァルギスと私が結婚を考えるまで関係が進展するのは、本来はとてもすごいことなんだなと再認識させられます。
でも交際の話はまだ秘密ですからね、私もマシュー将軍に怪しまれないように、ヴァルギスから一歩距離を取って、小さく頭を下げます。ヴァルギスが私を一瞥して、少し不満そうな表情を浮かべているのが見えました。なんだかごめんね。
と、マシュー将軍がヴァルギスの隣りにいる私を怪訝そうな顔で見ています。
「アリサ、なぜ魔王様の隣に立っている?」
「あ、これは、その」
「アリサにも戦略魔法を手伝ってもらおうと思って、妾が呼び出したのだ。貴様には説明してなかったな」
慌てる私と違って、ヴァルギスは平然と返事します。これが対応力というのでしょうか。
「というより、アリサには戦略魔法を使う素質がある。こういう場面でないと使えないからな、練習がてら使わせてやろうと思ってな」
「そういうことでございましたか」
マシュー将軍もソフィーも、私が戦略魔法を使うということに特に驚きはなかったようで、納得した顔でうなずきます。
ヴァルギスはその後もいくらかマシュー将軍と話した後、私を振り向いて言います。
「貴様、詠唱内容は覚えているだろうな?」
「は、はい」
ヴァルギスに「貴様」と呼ばれるのは久しぶりかもしれません。私は少しびくっとなって一瞬返事が遅れましたが、ヴァルギスはそのようなことは気にせず、言葉を続けます。
「昨日言った通り、北西の部分をやってみろ。ここから見て右側手前だ。もっとも、妾が後で都市丸ごと焼くがな」
「はい、分かりました」
私は慣れない調子で自分の恋人に恭しく頭を下げます。そうして私とヴァルギスは、何人かの護衛の兵士や、近づいてくるゾンビを焼き払うための魔道士たちを添えて、前陣の前の方にある丘へ進みます。
その私とヴァルギスの後ろ姿を眺めて、ソフィーは思ったことを声に出します。
「毎日会食していると覗いましたが、あれは主従関係でも友人同士でもありませんね」
「おう、ソフィーもそう思うか」
マシュー将軍はふふっと笑います。
「隠しているようで隠せてないな。まあ、魔王様のことだ。深入りすることはなかろう」




