第225話 ゾンビへの対応を考えました
「まあ、町ごと燃やすしか無いだろうな」
後陣の幕舎で、ヴァルギスはいとも平然に、そう言いました。
「え‥ええっ、まだゾンビになってない人がどこかに隠れてるかもしれないんだよ?」
テーブルで、ヴァルギスの隣の席に座っている私が、困った顔をして言います。
しかしヴァルギスは、また平然とした顔でこう言います。
「うむ、可能性はあるだろうな。だが救助する身にもなってみろ、救助する側に大量死を発生させては本末転倒だぞ?」
「‥‥‥‥」
「アリサも学校の授業をきちんと聞いていれば知っているだろう?ゾンビは接触感染し、数時間の潜伏期間のうちに人の生命や正気を奪い、他の生き物を食べることにしか興味がなくなる冷酷な殺人鬼になる。わかるだろう。町の一角がすでにそうなっているのであれば、ギフ全体がゾンビに支配されている可能性もあるだろう。生存は絶望的だ。町ごと燃やしたほうが効率はいい」
私は肩を落として、「そう‥‥」と大きく息を吐いて、テーブルの木目を眺めています。
「ナトリの親がギフにいるという話だったな」
「う‥うん」
「はっきり言う。諦めろ」
それを言う時のヴァルギスはゾンビに巻けないくらい冷徹で、冷酷で、それでいて表情には少しばかりの悔恨があって。
その日ヴァルギスとやったキスは、ただ一瞬だけお互いの唇をぶつけただけで、形ばかりのものでした。私はとぼとぼと、後陣を後にします。
「アリサ!!」
私がこれから寝ようとベッドに入ったタイミングで、ナトリがいきなり幕舎の入り口の布を乱暴に開いて、入ってきます。
「どうしたの、ナトリちゃん?」
「思い出したのだ。テスペルクは時間を操作して過去に干渉する魔法が使えるのだ。あれを使って、ゾンビが出る前のギフに戻してくれ!頼む、後生だ!」
ナトリは私のベッドの前で、まるで友達ではなく偉い神様にものを頼むかのように土下座して、頭を何度も地面にぶつけます。コンコンという音がすごいです。
私は布団から足を出して、ベッドの下の地面に置きます。
「‥ごめん。あの魔法は、今の自分が何分後に魔法を使うと約束することで成り立っているの。そうしないとタイムパラドックスが起きてしまうから。だから、すでに起きてしまった過去のことには使えないし、10分以上の過去に対しても使えない」
ナトリはぴたりと頭を止めて、それからゆっくり頭を上げて、私の顔を見つめます。顔面蒼白で、絶望に満ちた目でした。
「‥‥そうか、タイムパラドックスか‥‥」
か弱い声でぼそぼそとつぶやき、よろめくように立ち上がります。
「‥‥あのね、ゾンビばかりになった町は」
「ナトリは分かっているのだ。焼き払うしか無いのだ。エスティクの学校で習ったのだ」
そうして、くるりと旋回して、私に頼りない背中を見せます。とぼとぼと、ゆっくりした足取りで、私が呼び止めて何か耳触りの良いことを言ってくるのを期待てもしていたのでしょうか、しばしば立ち止まって私を振り返ります。そのたびに私は顔をこわばらせて、小さく首を横に振ります。
「こんな世界なんか、嫌なのだ!」
ナトリは急に走り出して、幕舎を出ていきます。
私は自分のすそを握って、ずっとベッドに座っていました。その夜はなかなか眠れませんでした。
◆ ◆ ◆
翌日、進軍している間、ラジカは1人きりで馬車に乗ってカメレオンの操作に集中していました。
なぜギフはゾンビばかりになったのか、ゾンビが多いのはギフのどのあたりか、少しでも情報を集めたかったのです。ラジカも、マシュー将軍を通して報告を受け取ったヴァルギスも、ナトリに情がうつっていました。前陣の兵たちは、ギフ方面からくる一般人は問答無用で焼き殺せと厳命されていたので、その通りにしました。沿道にいくつかの焼死体が転がっているのを見て、馬に乗っている私はつらくなりました。私の隣で乗馬しているナトリはもっとつらいのでしょうか、歩みはのろのろしたものでした。
ラジカとは別の馬車に乗っているマシュー将軍が、ソフィーに尋ねます。
「お前、ギフの住民を救う方法はあるのか?」
「ゾンビは死体です。死体を生き返らせることは出来ませんし、生存者を1人探すだけで何百人もの犠牲者が出る可能性もあります。他に手段はないと思ったほうがいいでしょう」
そう言うソフィーも、少しばかり残念そうです。
「うむ。魔王様に戦略魔法でギフを焼き払ってもらうしかないな」
魔王軍には、ナトリだけでなく、ギフ出身の人間の兵士も多くいます。ギフに行ったことのある人も多くいます。士気が低いことは目に見えていました。ルナが私やナトリに声をかけることもありませんでした。
その日の晩、ナトリは私と一緒にマシュー将軍の幕舎へ行って、懇願します。
「一生のお願いです。ギフを焼き払う時は‥ナトリの家は残してもらえませんか?」
マシュー将軍はふうっとため息をつきます。
「同じような相談は他の将兵からも多数もらっている。はっきり言う。無理だ」
「ですが」
私は一歩踏み出して、ナトリをかばいます。
「ナトリちゃんの家は関所です。ギフの都心部から離れた場所にあります」
「その家にゾンビがいたら、お前たちはどう責任を取るのだ?」
マシュー将軍の問いに、私はためらわずに答えます。
「私とナトリが自分で調べます。結界を張れば安全に調べられると思います」
「‥‥‥‥」
マシュー将軍は少しうつむき気味で、何かを考えます。
「お前たち2人は、ハーメルンと王国にとって重要な人材だ。くだらないことで命を落としてもらうわけには行かない」
「でも!結界は大きめに張るので!安全対策は本当に気を使うようにしますから!だから、お願いします!」
私とナトリは2人一斉に、大きく頭を下げます。
マシュー将軍は何か悩んでいたのでしょうか、私たちが3分くらい頭を下げ続けたところで、声をかけてきます。
「分かった。ただし、生存者は半日隔離しろ。これは絶対に守れ」
◆ ◆ ◆
魔王軍はギフのすぐ近くまで到着しました。日が落ちてきたので、いったんここに陣を作って泊まって翌朝ギフを焼き払うことになりました。ギフの都市から、何人かのゾンビが出てきます。ルナ率いる見回りの魔術師たちがゾンビを次々と燃やして、陣に近づけません。
ナトリは近くの丘へ行って、ギフの町並みを眺めていました。
「ナトリちゃん、どうしたの?」
なんとなくナトリが心配になって、私とラジカはナトリのところへ行きます。
「‥いや、なに。ギフはナトリが小さい頃に育った町だったから、燃える前に一度町並みを目に焼き付けようと思っただけなのだ。深い意味はないのだ」
「そっか」
私やラジカも、ナトリと一緒にギフの町並みを丘の上から見下ろします。ウィスタリア王国第4の都市だけあって、山あいの都市ながらも家がびっしり並んで建っていて、美しい模様を作っていました。
「亡命のときに来たけど、すっごく立派な町だった」
「アタシも、こんな大きな町が全滅するなんて考えられない」
ラジカも残念そうな声で言います。
「‥あの中央広場に、ナトリの好きな書店があった」
ナトリが遠くの町を指差しながら言います。
「その隣のカフェは、おいしいケーキを出すのだ。それから、外れの通りにもカフェがあるが、その店主はプリンを作るのが得意なのだ。‥‥亡命のときに寄ったあのカフェなのだ」
ナトリは繰り返し繰り返し、ギフの町の思い出について話し始めます。
正直それほど興味はありませんでしたが、なぜかその時は、ナトリの声に必死さがこもっていて、強い後悔と無念の情が伝わってきたので、私たちは何も言わずに、ナトリの話に耳を傾けていました。




