第224話 ギフはゾンビばかりでした
ヴァルギスの弟はクァッチ3世に殺され、私とメイの両親も処刑され、ラジカの父と2人の兄も死にました。そして、ギフにはナトリの両親がいます。正確にはギフの都心部から少し離れた関所ですけど。何が言いたいかというと、嫌な予感がしていました。
ナトリも薄々何かを感づいていた様子で、ユハが陥落した3日後、翌日にはギフへ向かって出陣しようという前の晩、ナトリが食事の席で見せた表情は浮かないものでした。
「どうしたのよ、ナトリ。辛気臭い顔をして。せっかくの食事が台無しよ」
メイが、うつむきながら食べ物を口に入れるナトリの顔を、下から覗き込みます。ちなみにラジカは、母がユハに残るというので、別室で2人きりで最後の食事を楽しんでいます。
ナトリの体が震えているので、私はメイに声をかけます。
「お姉様、ちょっと‥」
「どうしたの、アリサ?」
「ちょっと耳を貸して下さい」
「え?これでいい?」
「はい。私たちのお母様、お父様が死んで、先の戦争でラジカちゃんの父、兄も亡くなっています。この中でまだ両親が生き残っているのはナトリちゃんだけなのです、それでその両親が今、ギフにいるんです‥」
それを聞いたメイは少し考えて「ああ」と声を出します。
「考えすぎじゃないの?今までの親は今までの親、ナトリの親はナトリの親よ。必ず死ぬって決まったわけでもないでしょ、ほら元気出しなさいよ」
メイが酒の入ったカップを持って、ナトリの口にくっつけます。ナトリは少し寂しそうな顔を見せて、その酒をすすります。
◆ ◆ ◆
ユハを出発した魔王軍は、エスティクに次ぐウィスタリア王国第4の都市であるギフへ進軍します。
ナトリは中陣の将でしたが、ギフ出身なのでマシュー将軍から道案内を頼まれ、前陣にいます。ギフの都市部はどのような構造になっているのか、記憶の限り詳細に地図を描いて教えたりしているそうです。
ナトリが前陣にいるため、陣の設営でなにかと会う機会が多くなりました。ユハを出発した日の夜、マシュー将軍の幕舎から出たナトリを、私とラジカは迎えに行きました。
「ナトリちゃん、今夜は一緒にご飯食べる?」
「あ、ああ、食べるのだ」
ナトリは少し怯える素振りを見せました。いつもの元気はなさそうです。
私たちは、兵士たちと一緒に食事の席を準備します。こうした雑用は本来貴族がやることではないのですが、ナトリもラジカも私の行動に慣れてしまったのか、一緒に手伝ってくれるようになりました。
「ナトリちゃん、やっぱり元気ないね」
ナトリと対面して座っている私が、声をかけてあげます。
「‥やっぱりテスペルクにもそう見えるのか」
ナトリはピーナッツをかじりながら、否定せず、半笑いで返事します。私の隣りに座っているラジカが、塩でしょっぱくなっているニシンをひとくち食べてから尋ねます。
「いつもの元気はどこに行った」
「あ‥ああ、ラジカに言われるとちょっとな‥‥」
ナトリは寂しそうにうつむきます。そんな様子を見たのか、ラジカは食事の皿を持って、ナトリの隣に席を移します。私も、ラジカが運び損なった皿を1つ1つ、はす向かいの席へ移してあげます。
ナトリの体が揺れます。ラジカがナトリの背中に手を回したようです。
「人は早かろう遅かろう、いつか死ぬもの。くよくよしていても仕方ない、前を向いて」
「う‥うん」
「ナトリちゃんにとって、親は大切なんだね」
私も声をかけてあげます。
「あ、ああ、ママもパパも大好きなのだ。ナトリは一人っ子だからいつも甘えさせてくれて、エスティクにいたときも毎週手紙をやり取りしたりして‥控えめに言って大好きなのだ」
「ふふっ」
私は自然と笑みがこぼれます。
「大丈夫だよ、ナトリちゃんは絶対、親と会えるよ」
私がにっこりそう言ったタイミングで、ラジカが急にびくっと体を震わせて、両手で耳を押さえます。
「待って、アタシのカメレオンを持った従者がギフに着いたらしい。ちょっと静かにして」
私は食事を続けますが、ラジカは耳をふさぎ、目を閉じて呼吸を整えています。カメレオンと共有している視覚、聴覚に集中して、ギフの様子を探っているのでしょうか。ナトリも、ピーナッツを1つ1つ口に入れながら、ラジカの横顔に視線を注いでいます。
「‥あっ」
ラジカが目を開け、小さく声を漏らします。
「どうしたの?」
私が尋ねますが、ラジカは気まずそうに顔を背けます。ナトリがあせって、ラジカの体をゆすります。
「ラジカ、どうしたのだ?はっきり言うのだ!」
「静かにして」
ラジカはまた目を閉じます。しかしその表情はさっきとは違って、額に汗を浮かべ、唇を噛み、どこか必死な印象です。
それを見てナトリは食事の手を止め、固唾を飲んでラジカの様子を見つめます。私も食べていられる気分ではなくなって、両手をテーブルの上に重ねて、ラジカを見つめます。
10分くらい経ったでしょうか。ラジカはぱちりと目を開けます。
「どうしたのだ?ギフはどうなっているのだ?」
ナトリがラジカの体を激しくゆすりますが、ラジカは両手で荒ぶるナトリの両肩を掴み、静止します。顔はこわばって、うつむき気味でした。
「‥‥ナトリ」
「どうしたのだ?」
「言っていいのかわからないけど‥‥」
「えっ?」
そこでラジカは顔を上げ、ナトリの顔を見つめます。
「ゾンビがいる」
「は?」
「まだギフ全体を調べたわけではないから分からないけど、町の一角にゾンビが集まっている。生きた人間は見つかっていない‥‥あっ、いた」
ラジカはまた目を閉じて、耳をふさぎながらしゃべります。
「‥‥あっ。ゾンビに囲まれている。‥‥ゾンビが首筋を食べた。うめいている。叫んでいる」
短文から成る実況でしたが、ナトリの顔を真っ青にするには十分でした。私の手が震えだしますが、ナトリの体はもっと震えているでしょう。
ナトリがまたラジカの体をゆすりますが、ラジカは大きな声で返事します。
「やめて、集中してないとカメレオンも捕まってゾンビにされちゃう、カメレオンを安全な場所に隠すからちょっと待って!」
ナトリはそれを聞くと、ラジカの体を揺する自分の手をぱっと離して、そのまま呆然と固まっていました。
そのまましばらく、一動きもせずにラジカを見つめています。
「た‥食べよ?」
何分も気まずい空気が流れたので、私はナトリに声をかけてあげます。
「あ‥ああ」
ナトリはちびちびとピーナッツをかじりはじめます。どこか動揺しているのは明らかで、何度もラジカに視線を移します。
ラジカが耳をふさぐ手を外したので、ナトリはまた尋ねます。
「‥‥ナトリのパパとママは無事なのだ?」
「さすがに関所までは遠いから行ってないけど。ゾンビになった犬が鳥を食べている。生きている人間が次々とゾンビに噛まれている。地獄。生存は諦めたほうがいい」
ナトリはかくんと肩を落とします。呆然と、食べかけのピーナッツの残っている口をぽっかり開けています。
ラジカは「マシュー将軍に早急に報告する必要があるから」と言って、ニシンにかぶりつきます。すごい速さで食べ物を次々と平らけてから、席を立って速歩きで幕舎を出ます。
その後の食事で、ナトリは終始うつむいたままでした。私は声をかけることも出来ず、黙々と食べ続けていました。




