第220話 ラジカの兄を捕らえました
仮眠が終わる頃には、前陣にいる兵士たちは行き支度を始めていました。前陣を空にして、敵が攻め込んできて前陣に火をつけたタイミングで軍鼓を鳴らして三方から一気に襲い掛かるのです。オルホンの夜襲の時と同じ作戦です。
私は近くの兵士が用意してくれた馬に乗ってその場を離れようとするのですが、「待て」と後ろから呼びかけられたので馬を止めて振り返ります。乗馬しているマシュー将軍がいました。
「どうしましたか、マシュー将軍」
「うむ」
マシュー将軍は、私と馬を並べます。
「魔王様からラジカのことを聞いた」
「‥!」
「お前に500の兵をやるから、2人の兄を生け捕りにできないか?」
マシュー将軍は私に顔を近づけて、あまり大きくない声で言います。私は一瞬、つばを飲んでのけぞりかけましたが、うなずいて返事します。
「分かりました」
私は手綱をぎゅっと握って、唇を噛んで返事します。
生け捕りにするのは殺すより難しいけど、でも。私ならできると思います。生け捕りに失敗してペリアを亡くしたことはありましたが、命令されたからには絶対に失敗したくない、人殺しは最低限にしたい、できることならなくしたい。そういった思いが再燃してきました。
◆ ◆ ◆
後陣、ハギスの幕舎で床に布団をしいて寝ていたラジカは、目を開きます。
全然眠れなかったのか、そのまま上半身を起こします。
ハギスは当然ラジカより身分が高いので、ベッドでくうすう寝ています。ヴァルギスなら「隣で寝るか?」と自発的に尋ねてくる可能性がありましたが、ハギスはまだそういうことが言えない年齢なのでしょうか、わがままな性格が手伝っているのでしょうか。ラジカは立ち上がって、ハギスの寝顔を見つめます。
「ごめん、ハギス」
小声でそう言うと靴を履いて、足音を殺して幕舎から出ます。
ポケットから髪結いのゴムを取り出して、髪を結びます。赤色の立派なツインテールを作ります。
夜の冷たい風が、ラジカの頬を走ります。
前陣の方で、火の手が上がっているのが見えます。それは真っ暗な空をほんの少し照らしています。
ラジカはそのまま無言で、走り出します。前陣目指して、全力で走ります。
◆ ◆ ◆
ラジカの2人の兄ホデッサとインキは、夜襲に動物を使う作戦に出ました。
闘牛で使うような大きく凶暴な牛を町の中からかき集め、そのツノに木片を巻きつけます。そして、その木片に火をつけ、尻を叩き、前陣に向かって走らせるのです。
理性を失った牛の大軍が、無人の陣めがけて荒野を人でないスピートで駆け巡り、無人の幕舎に次々と火を放っていきます。それを後続の騎兵たち、続いて歩兵たちがさらに襲います。
「‥‥なんだ、これは?」
騎兵の先頭を走っていたホデッサとインキは、馬を止めて周囲を見回します。
陣に敵がいません。無人の幕舎が転がっているだけです。
2人がそれに気づいた途端、三方から軍鼓が鳴ります。それとともにユハの兵士たちの悲鳴が、各所から響いてきます。自分たちは魔王軍に裏をかかれ、無人の前陣までおびき寄せられていたのです。
「罠だ、夜襲は失敗だ、退け、退け!!」
2人はそう号令するのですが、もともと魔王軍の兵力に比べるとユハの兵力はあってないようなものです。兵士たちに逃げる隙もなく、次々となぎ倒されていきます。
「くそっ!」
こうなったら自分たち2人だけでも逃げましょうか。2人がそう思って馬を翻しますが、2人の視線の先には、逃走経路を塞ぐように、落ち着いたピンク色のトンガリ帽子やローブを身に着けた女の子が、馬に乗って2人を見つめていました。
「私はハールメント王国の将軍、アリサ・ハン・テスペルクです。これからあなたたち2人を捕まえます」
「ちいっ!」
オデッサは舌打ちをして、「おい、行くぞ!」とインキに怒鳴って、馬を横に向けて逃げようとします。
‥が、その馬の脚が動くことはありませんでした。少し大きめの魔法陣を予め張っておいて正解でしたね。ひざがかくんと折れたように曲がり、2人は落馬して尻餅をついてしまいます。
ベリアの時みたいに矢が飛んでこないよう、私は周囲に結界を張った上で、地面に尻をついている2人に歩み寄ります。
「あ、兄上‥」
インキが肩を震わせてホデッサの腕を掴みますが、ホデッサはそれを振り払って立ち上がります。
「‥アリサ。殺すなら一思いに殺してくれ。俺たちのウィスタリア王国への忠誠は、何があっても欠けることはない。覚悟はできている」
力の差は百も承知ですから、ホデッサは手に持っていた武器を投げ捨て、私との話に集中することにしたようです。
私はホデッサの目を見て、にっこり、笑顔を見せます。
「いいえ、殺すつもりはありません。あなたたちを生け捕りにせよと命令が出ているのです」
「なに?」
「というわけで、2人とも。。これから体を縛るんですが、抵抗しないでほしいです」
私が言いますが、オデッサはすかさず腰から小刀を取り出し、首に押し当てます。
さっきまで少しびびっていたインキも、神妙な顔をして小刀を首に当てます。
「俺たちはウィスタリア王国の忠臣だ。敵に捕まるくらいなら、死んだほうがマシだ」
そう言って小刀を持つ手に力を入れようとしますが‥手に力が入りません。それだけでなく手が震え始め、小刀がするりするりと手から抜けて、地面にぼとりと落ちます。
2人は支えを失った人形のように、ひざを地面にぶつけ、そのままうつぶせに倒れます。
「な‥何だ、体が動かない‥‥?」
「ごめんなさい、全身を一時的に麻痺させました。体を縛って留め置きます。おーい、兵士さんたち、この2人を縛ってください」
私の兵士たちが集まって、2人の体に縄をかけ、身動きできないように縛ります。2人とも、私を睨んでいました。
縛り終わる頃には麻痺の魔法も解け、2人は兵士たちに立たされて、私の後ろを歩かされます。
「マシュー将軍!」
私は人混みの中からマシュー将軍を見つけ、声をかけます。
「おお、アリサか。捕まえたか?」
「はい、この通り、ぱっちりと」
私は後ろにいる2人を指差して、力強い声で言います。よかったです。死なせずに済みました。あとはこの2人をどうやって説得するかですね。
「ま、待って!」
その時、遠くの方からかすれかすれの声がとんできます。大声で叫んでいるのか、その声は少しずつ大きくなってきます。ラジカが、全速力で私たちに向かって走ってきています。
「はぁ、はぁ、はぁ‥‥」
ラジカは私とマシュー将軍の前にたどり着くと、手で膝を握って、何度も荒い息をついてから、私を見上げます。
「‥‥兄さんたちは、生きてる?」
「うん、この通り」
私はもう一度2人を指差します。2人とも、ラジカの姿を見るとため息をついていました。
マシュー将軍は馬から降りるとラジカへ歩み寄り、こそっと小さく耳打ちします。
「お前がこの2人を説得しろ。明日、ケビンに講和の使者をもう一度出すのでな、その時までに投降してくれたら生かす」
「‥‥っ」
ラジカはマシュー将軍の目を見つめます。その目はうるうると光っていて、今にも涙が溢れ落ちそうなほどでした。
「それまでに説得できなかったら、2人を殺す。2人はウィスタリア王国を愛するがあまり、自殺したがっている。ここまできたら、捕虜にするにしても手に余る。分かるな」
ラジカはその言葉を何度も吟味してつばをこくりと飲み込んだ後、こくりと一回、大きくうなずきます。




