第213話 メイを労いました
一方、60万を号する魔王軍が攻め込んできたこと、各地から他の国の軍も攻め込んできたことは、すぐにウィスタリア王国の王都カ・バサにいるクァッチ3世の知るところになりました。街道を守る砦でも防ぎきれないとみたのか、オルホンからも援軍要請の早馬が走ってきます。
久々に大広間に姿を見せ、数カ月ぶりの玉座に座ったクァッチ3世は、一番に伝令から悪い報告を聞かされることになりました。
「王様、申し上げます。ハールメント王国から、魔王が侵攻してきました。その数、60万です」
「しかし、60万であれば我が国でも対応できるだろう」
「で、ですが‥‥それが‥‥北東から魔族軍と大イノ=ビ帝国軍、東から人間軍、南西からはゲルテ同盟の軍が一気に攻めてきています。うちいくつかはすでに国境を超えたものと見られます」
「な、なに!」
冷静を保っていたクァッチ3世は、そこで玉座から立ち上がり、怒鳴ります。
「これではまともに援軍を送れないではないか。各地に、それぞれの兵力でしっかり対応するよう命令してまいれ」
「ははっ」
そう言って伝令は大広間を出ます。
「くぬぬ‥人間も獣人も、我が国が長年売ってきた恩を忘れて仇で返しやがって‥」
クァッチ3世は、ドンとものすごい勢いで、玉座の肘掛けを叩きます。
家臣が慌ててそれを諌めます。
「王様、落ち着いてください。起きてしまったことは仕方ありません。我が国は1000年以上も存続し、迫りくる魔王の脅威に打ち克ってきました。今回も必ずこの戦争に勝ち、周囲の国を服従させましょう」
「むむむ‥‥」
クァッチ3世は少し落ち着いたのか、その肘掛けに体重を乗せ、玉座に座り直します。
◆ ◆ ◆
マシュー将軍のいる幕舎に戻ってきたソフィーは、旧道のことをマシュー将軍に話します。すぐに国境警備隊の責任者が再び呼び出されます。
「旧道でございますか?それは私も存じております。しかしながら、1つ問題がございまして‥」
「その問題とは何ですか?」
「はい‥その道の出口は確かにオルホンの西方ですが‥オルホンの都市と砦の中間に位置します。しかも出口も狭く、大軍であってもどうしても細い列になってしまいます。下手にあれを使うと、寡兵が敵の真ん中に飛び出た形になり、都市と砦の兵に挟み撃ちにあいます。もっとも、60万も兵がいれば数の力で圧倒できるとは思いますが‥‥」
それを聞いてマシュー将軍は手で口を覆います。
「確かに、だがこれは初戦だ。あまり無駄な損害は出したくないな。どうしたものか」
「私に策がございます」
「ほう」
その幕舎の中で、ソフィーは自分の策を説明し始めます。
◆ ◆ ◆
その日の夜、私はいつも通りに後陣に行っていました。メイの発案で陣を行き来する将軍は記録が取られるようになりました。後陣の兵士に私の訪問を記録してもらった後、私はまずメイの幕舎へ向かいます。
いくら姉とはいえ、メイは身分が高く厳重に警備されているので、いきなり幕舎に入ってやっほーというわけにもいきません。幕舎を警備する兵士に取り次いでもらうという一手間が必要になります。その日もそうやって私は幕舎に入ります。メイはいつものように、幕舎の中にある4人掛けのテーブルの椅子の1つに座って、書類を読んでいました。
「ん、強化魔法終わったら座って」
「はい、お姉様」
私は椅子に座っているメイの後ろに回ります。書類を読み続けているメイの背中に、そっと手をかざして、呪文を唱えます。ふわりと暖かい光に包まれて、メイの体がぼうっと青白く光ります。メイの物理防御力、魔法防御力を高め終わって光が消えると、私は椅子には座らずそのままメイの後ろにいて、尋ねます。
「いつも書類ばかり読んでお疲れではないですか?肩を揉みましょうか?」
「あら、気が利くわね。お願い」
メイはなんともすましたように返事します。でもその実、初めての副営長という仕事を隅から隅まで理解すべく、毎日のように何十枚もの書類に目を通して勉強しているのです。頭が上がりません。
私は手に力を入れて、メイの肩をもんであげます。
「もっと下よ、もっと下‥そう、そこよ、そこでお願い」
メイの顔は見えませんが、声や体の動きから、リラックスしている様子が伺えます。
「お姉様」
「どうしたの?」
「魔族と一緒に仕事してみて、どうですか?」
「アリサが強化魔法をかけてくれるから、あたしも安心して発言できるわ。言いたいことが言えないと、この仕事は務まらないもの」
「えへ、役に立ててよかったです」
それから少しの沈黙が生まれます。
「‥ねえ、アリサ。魔王とは‥じゃない、魔王様とはもう何日も会ってないでしょ?」
出陣してからもうすぐ1週間です。私は「そうですね‥」と小さい声で言ってから、答えます。
「いいえ、お姉様、まおーちゃんとは毎日会ってますよ」
「えっ?」
メイの書類を読む手が止まります。
出陣前夜の飲み会で私とヴァルギスの交際が複数の家臣に噂されていたことを知り、戦争中は私とヴァルギスが会うことの無いようメイに言われていたのでした。
「戦争中、魔王様とは会わないって約束したんじゃないの?」
「それが、まおーちゃんには話したのですが、スキャンダルはばれてもともとだから毎日来いと言われました」
「そ、そう‥‥魔王様のお考えはあたしには分からないわ」
メイは呆れたように言って、書類の続きを読み始めます。呆れたのか諦めたのかは分かりませんが、やけに素直です。
「‥意外です」
「何が?」
「私がお姉様の言いつけを守らなかった時はいつも厳しく叱るのに、今回はあまり叱ってこないなって思いまして」
「ああ。‥‥今回は魔王様のお考えを見守ることにするわ。王族だからあたしよりも世渡りは上手いと思うわよ。あたしより上手な人に大丈夫と言われてあたしがどうこうするだけ、時間の無駄よ」
「そういうものですか」
「そういうものよ」
メイはそれでも少し不満があるのか、ぶっきらぼうにうなずきます。
「‥アリサ。魔王様とはうまくできてる?」
「できています」
「そう。せいぜい頑張りなさい」
「はい、ありがとうございます」
その後も私とメイはいくらか会話します。
「お姉様の副営長の仕事はうまくいっていますか?」
「これでうまくいったように見えるわけ?うまく対応できたこともあるけど、毎日課題を作ってそのたびに勉強の繰り返しよ。はぁ、いきなり大役なんてやるもんじゃないわね」
「でもお姉様、後陣の治安はしっかりしてましたよ。もちろん前陣、中陣もですけど、後陣も他と変わらない様子でした」
「それは先輩方がしっかり対応したからよ。あたしはほとんど何もしてないわ」
「またご謙遜なさって。将軍の出入りを記録するようになったのも、お姉様の発案でしょう?あれで軍全体のセキュリティ意識は上がりましたよ」
「褒めても何も出ないわよ」
メイの表情は見えません。ただ、書類をばらばらめくっています。
事実、軍の規律はしっかりしているんですよね、特に後陣は。昨日ヴァルギスに会ったときも、ヴァルギスは「大体メイのおかげだ」と言っていました。メイは初めてだから失敗も多いけど、副営長の肩書きに負けず、しっかり働いているということです。
「お姉様、休憩はちゃんと取ってくださいね」
「それ、魔王様にも口うるさく言われてるわよ。魔王様に命令されて、1時間に5分は休むようにしてるけど」
「それなら大丈夫です」
「はぁ、休憩なんてわざわざ命令するものでもないのにね」
「お姉様が働きすぎるからまおーちゃんも心配してると思いますよ」
「‥‥そうかしらね」
メイは私の肩揉みに揺られながら、ため息をつきます。




