第212話 正しい政治、正しくない政治
将軍たちと兵士たちが合流します。私たち60万を擁する魔王軍は、進軍を開始しました。
前陣には馬車に乗るマシュー将軍とソフィー、それに従い馬車のすぐ後ろで馬に乗るラジカ、その後に続くカインの部隊。そしてそこからいくらか離れた位置にルナと私。私たちの部隊からいくらか離れたところに、ウヒルを主将とした部隊がありました。
中陣の中腹近くに、4000人の兵を率いる主将となったナトリ。
後陣には、先頭近くに馬車に乗るヴァルギスとハギス。そして、ダミーの馬車を挟んでそれに続く馬車に副営長たちが乗っていますが、メイは魔族たちと密室にいることを好まなかったので、もう1つメイ専用の小さい馬車に乗りました。
魔王軍は王都ウェンギスを離れ、ウィスタリア王国を目指すべく南下し、最初に攻略する都市オルホンを目指します。
◆ ◆ ◆
進軍中に、こんな事件がありました。
ウェンギスからいくらか離れた田園地帯を通っているときのことです。都市にだけ人が住んでいるわけではなく、そこから離れた山や平原に田畑や牧場を作ってそこに住む人も多いのです。もちろんその周辺の人達も大軍が街道を通って進む姿を見ていましたが、そこから2人の男が後陣の先頭に向かって飛び出してきました。
「魔王様!魔王様はどこですか?私たちはウィスタリア王国の貴人です。魔王様に話したいことがあります!」
2人の男がそうやって叫ぶのを馬車の中から聞いたヴァルギスは、外にいる兵士に命令します。
「進軍を止めよ」
後陣は2人のために進軍を止めました。その2人が兵士たちに連れられてヴァルギスとハギスのいる馬車へ連れてこられました。
馬車の扉が開いて、ヴァルギス、次いでハギスも出て、地面にひざまずく2人の前に立ちます。
「妾が魔王だが、わざわざ進軍を止めるとは、何の用か?貴様らは誰だ?」
ヴァルギスの質問に、2人の男は顔を上げます。片方の男が話します。
「私たちは、ウィスタリア王国から亡命したネリカ妃のいとこでございます」
「ああ、殺された正室のいとこか。何年も前に会ったことがあったな」
ウィスタリア王国クァッチ3世の正室であるネリカ妃やその家族はシズカに粛清され、ネリカ妃のいとこ2人だけが生きてハールメント王国へ亡命してきていたのです(第2章参照)。
「魔王様、申し上げます。この戦争は間違っています」
「なに、それはどういうわけだ」
「いかなる理由であれ人同士が殺戮すること、戦争そのものが人の道に外れています。クァッチ3世は無道な行いをしましたが、それを糾弾する立場であるはずの魔王様が戦争を起こすのは矛盾しており、この先魔王様の発言力を下げかねません。今すぐ進軍をやめ、戦争以外の方法を探るべきです」
「妾たちはこの戦争のために、1年以上前から準備し、各国とも連携してきた。この戦争は、何百人、何千人もの貴族や諸侯、諸侯の王族やその家臣たちも賛同した、決定事項だ。今更、しかるべき手続きも踏まずに反対する貴様ら2人だけの言葉を以て覆すわけにはいかない」
堂々とした即答でした。
2人のいとこは少しの間沈黙していましたが、お互いの顔を見合わせてから、再びヴァルギスを見上げて言います。
「分かりました。そういうことでしたら、私たちはこれ以上何も申し上げません」
2人は立ち上がってヴァルギスに礼をすると、そこから立ち去っていきます。
1人の兵士が慌ててヴァルギスのもとへ走っていって、尋ねます。
「魔王様、あの2人は正当な理由なく進軍を止めました。今すぐ捕らえて死罪にしましょうか?」
しかしヴァルギスは首を振って答えます。
「帰らせておけ。あやつらの言っていることも正しい」
「ははっ」
そうしてヴァルギスとハギスは馬車に戻って、後陣は進軍を再開します。
再び揺れ動き始める車窓を眺めて、ハギスは向かいに座っているヴァルギスに尋ねます。
「姉さん」
「何だ?」
「あの人たちの言うことが正しいなら、なぜそれを採用しないなの?正しいことを行うのが政治ではないなの?」
それにヴァルギスは一呼吸置いて答えます。
「正しいという指標は相対的なものにすぎないのだ。全ての政策には得する人と損する人が同時に存在し、賛成と反対も同時に存在するものだ。時には、短期的にはデメリットでも長期的に見るとメリットとなる政策もある。そのようなものは、しばしば民の感情からはかけ離れるものだ。感情で政治を行うと必ず失敗する。治世を行うものは、時には苦渋の決断に迫られる時がある。今がそれだ」
「うーん‥難しくてよく分からないなの」
「分からずとも理解できるようにはなってほしい。ハギスはいずれそのような立場になるだろう」
ヴァルギスと私が結婚すれば、女同士で子供は生まれないので、ヴァルギスの次の魔王は、即位前に死ぬかそれ相当の重症を負わない限りハギスで確定します。しかしこの結婚はまだ確定したわけではなく、現段階でヴァルギスにはこのようなぼかした表現が精一杯でした。
「この戦争が終わったらハギスにも領土を与える。そこをよく治めて、政の練習をしろ。経験から見えるものがあるだろう」
「分かったなの。領主になったらくさや食べ放題なの!」
「‥その代わり妾には毎日会えなくなるがな」
「ええー!姉さんがいなくなるのは嫌なの!一緒に来やがれなの!」
その馬車の中は、しばらくハギスがわいわい騒いていました。
民たちが噂していましたが、あの2人の男はその後、「人の道を外れた魔王が治める世界の食べ物は食べたくない」と言ってどこかの山にこもり、山菜だけを食べ、餓死したそうです。
◆ ◆ ◆
その数日後、魔王軍はウィスタリア王国との国境へ到着します。
国境近くでは、まだそこに常駐する軍隊同士の戦いが続いていました。戦いと言っても武力闘争は最初の数年で終わって、その後はお互いに砦を作ってにらみ合い続けています。少しでも隙を見せたほうが攻撃されます。
ハールメント王国内の国境近くの都市はすでに取り壊されて更地にされましたので(第2章参照)、そこに大軍を展開することも容易でした。マシュー将軍は陣営が終わると、すぐに国境警備隊の責任者を自分の幕舎に呼び出します。そこでマシュー将軍は、ソフィー・ラジカと一緒に、現状に関する報告を受けます。
「なるほど、現状については分かった。敵の砦の前に空堀があるのなら、まともに戦っても被害は大きいだろう。ソフィー、どうする?」
「しばらくこの周辺の地形を調べてから考えたいです」
「うむ、分かった。道中はくれくれも気をつけろ」
こうしてソフィーは何人かの手練のボディーガードを担う兵士とともに、2日かけて、周辺の地形を自分の足で歩いたり、民家を見つけてその人に聞いたりして調べます。国境は山が複雑に入り組んだ土地で、街道から外れた場所を人が通ろうとすると崖を上り、深い川を渡り、険しいところにある桟道を通らなければいけません。大軍以前に、馬すらまともに通ることはできないでしょう。時間をかければ通れないことはないですが、とてもミハナでの会盟に間に合いそうにありませんでした。
敵の砦は街道の上に立っており、ここを通らずして国境を通過することは不可能でした。
「‥あなたたちはウィスタリア王国に用事がある時、どうやって行き来しているのですか?」
ソフィーは、崖の下にあるみすぼらしい民家の人に尋ねます。家人は答えます。
「実は知る人ぞ知る道がありましてな。かなり昔に使われていた道です」
「それを教えて下さいませんか?」
ソフィーはその家人に案内されて、その旧道を歩きます。入り口は大きな木や藪、何キロもの茂みに覆われて、一見そこはただの道なき道でした。しかしその領域を抜けると、道端に大量の雑草が生い茂ってはいるものの、ちゃんとした幅のある道が、その姿を現しました。
「‥この旧道の先には?」
「回り道になりますが、街道をまっすぐ行けばオルホンの北、この旧道を行けばオルホンの西にたどり着くはずです
「‥分かりました。この道を使いましょう」
そう言って、ソフィーは顔に浮かぶ笑みを隠しませんでした。




