第210話 魔王の誓い
その反応を見て、ルナはテーブルから乗り出した身を引っ込めます。椅子に座り直して酒を一口飲んで一息つきます。
「他意はありません。ただ王族周りのことですから、アリサには気をつけてほしいという忠告です。先輩として不安に思っているんですよ。王族の、それも魔王様の同性愛なんて十分にスキャンダルですから。後輩が下手に動いて立場を悪くするところを見たくないのです。やるならもう少し慎重にして欲しいのです」
「うう‥」
私は背を丸めて体を縮めます。それを見てメイはもう一度ため息をつきます。
「‥‥どれくらいの将軍がこの話を知ってるの?」
「私が聞いたところでは10人か20人くらいです。マシュー将軍などの上層部までにはこの話は行っていないと思います」
それを聞いて、メイはくいっと私の体を肘で揺らします。
「アリサ。聞いた?特に戦争中は将兵の士気に関わるから、2人で会うのはやめときなさいよ」
「あうう、実はすでに遠征中毎晩会う約束していまして‥」
「そんなものは取り消しよ、取り消し。下手すると最悪この国から追放よ」
「ううっ‥‥」
涙目です。ルナも、私に向かって言います。
「アリサ」
「は、はい」
私は慌てて顔を上げます。ルナは酒で頬を赤くしていながらも、顔は至って真面目でした。飲み始めはまだ冷静でいられるのでしょうか。
「何かあったら私の家に隠れなさい。匿ってあげるわよ」
「はいっ」
思わず声が上ずってしまいます。
「‥ところで、これは答えなくてもいいんだけど、相手とどこまで行ったの?キス?一緒に寝た?」
「は、はい、キスして一緒に寝ました‥‥」
「つまり体の関係ってことね」
「いいえ、そこまではまだいってなくて‥‥私の方からキスするまでは保留してくれるって話になってます」
「そう」
しどろもどろになって目をそらしながら返事する私でした。羞恥で顔が赤くなります。
このタイミングで、次々と料理が運ばれてきます。店員が次々と、料理の乗った皿をテーブルに置いていきます。皿がテーブルにぶつかる音に混ざって、ルナは私に忠告します。
「いい?アリサは魔王様の寵愛相手で、メイ様は魔王様直属の幹部よ。姉妹でこれだけいいカモはいないわ。メイ様は大丈夫だろうけど、アリサは人付き合いに一層注意しなさい」
「はい、心得ます‥」
私は、自分のすぐ前に置かれた牡蠣‥‥もといウルゲムに視線を落とします。
◆ ◆ ◆
王都ウェンギスの王室墓地は、魔王城から少し離れた丘の上にあります。ここは昼間であれば見晴らしが良く、魔王城や周囲の景色を一望できます。といっても3000年以上前の建国当初と比べると高い建物が増えたので、あまり見渡せなくなってしまいましたが。
薄暗い夜中、ヴァルギスは、ハギスを連れて、夜灯のもとでその墓地に入っていました。いくつかの立派な十字架がグリッド状に地面から生えています。ここには、創始者ウェンギスをはじめ、歴代の王や王族が眠っています。ヴァルギスの母で先代の魔王ルフギス、ヴァルギスの弟でウィスタリア王国で殺され調理された肉として送られてきたハクもここで眠っています。
「ハギスは姪とはいえ第一王位継承者だ。自覚して作法を覚えろ」
ヴァルギスは墓の間を歩きながらそう言います。手ぶらなヴァルギスの後ろについて来ているハギスは、花束を2つ持たされています。
「花束、大きくて前が見えないなの‥」
「仕方ない。1つくれ」
ヴァルギスは花束を1つ受け取ると、また歩き出します。
さすが歴代の王だけでなくその家族まで埋められた墓地あって、それなりに道のりは長いです。分家の墓はここにはないから少しはましでしょうが、それでも100から200くらいは十字架があるでしょう。
1つの墓に辿り着きました。十字架には「ハク・ハールメント」と書いてあります。ヴァルギスは「花の置き方を覚えろ」と言って、自分の持っている花束を、十字架の根本にそっと置きます。それから直立します。
「黙祷は分かるか?」
「目をつむって立ってることなの?」
ハギスはこれまで何度も墓参りに来たことはありましたが、花束や黙祷などは全てヴァルギスや家臣たちに丸投げにしていたので、墓参りのやり方を知りません。その教育も兼ねています。
「目を閉じて、心の中で霊に祈りを捧げる」
「分かったなの。やってみるなの」
2人は目を閉じて、ハクに黙祷を捧げます。
少し経って目を開けたヴァルギスは、まだ目を閉じ続けているハギスの頭をそっと撫でます。
「黙祷はここまででよい」
「‥分かったなの」
そうしてハギスは、目を小さく開きます。
「父のことを思い出したか?」
ヴァルギスの質問に、ハギスは無言でうなずきます。その背中をなでて、ヴァルギスは十字架の前にひざまずきます。ハギスも真似をしてひざまずきます。
「‥ハクよ、久しぶりだな。ハクの子ハギスも、立派に育っているぞ」
「‥‥立派に育っているなの。父さん、ウチのことは覚えてるなの?」
ハギスは元気のない声で、十字架に向かって語りかけます。ヴァルギスは少しハギスの横顔を見てから、今度は背中をなでていた手をハギスの頭上に動かします。
ハギスの頭をなでながら、ヴァルギスはまた十字架に話しかけます。
「妾たちは明日より、ウィスタリア王国へ遠征に行く。賢臣を殺し、罪なき民衆を殺し、我が国も含めた外国人にまで殺戮の刃を伸ばす王・クァッチ3世を排し、世界に平和を取り戻すための戦いである。決してハク1人の復讐のための戦いではない。クァッチ3世の苛政に苦しむ万民を救うことが目的だ。おそらくこれは、これまでの魔族と人間の関係に大きな変化をもたらし、新しい時代を切り開く一つの区切りになるだろう。だからこそハク、妾たちの正義の執行をしかと見届けてはくれぬか?罪もなく死んでいった多くの人々の無念は、必ず妾が晴らす。安心して見ていてくれ」
ヴァルギスはしばらく、無言でハクの十字架を見つめます。ハギスはそんなヴァルギスを横から見て、肩を落として、ハギスの十字架を見ます。
2人は次に、その近くにある墓へ行きました。ヴァルギスの母であり、ハギスの祖母でもあるルフギスの墓です。
ヴァルギスはハギスから受け取った花束を丁寧に十字架の根元に置くと、静かに黙祷します。
「‥母上。母上は言っていたな、人間と魔族は分かりあえないと。妾は明日より人間の国を討伐しに行くが、その遠征軍に大勢の人間も従軍してくれる。妾は即位してから、母上とは真逆の政策を取り続けた。母上と意見が対立することも多かったが、明日からの侵攻と、ウィスタリア王国を滅ぼした後の治世は、妾のこれまでの政策の集大成だ。人間と魔族が手を取り合って前へ進めることを、これから母上に証明する。しかと見ていてくれ」
ヴァルギスはそう言い終わると、ハギスの頭を撫でます。
墓地からの帰り道、ヴァルギスはずっと黙ったままでした。夜の沈黙が2人を包みます。
ふと、後ろを歩いているハギスが、ヴァルギスに質問します。
「‥婆さん(ルフギス)はどんな人だったなの?」
「‥ああそうか。ハギスが生まれる前に死んでたな」
ヴァルギスはそれからしばらく間を置いて、答えます。
「人間にとっては残虐な魔王だった。だが、強かった。あの頃の魔王軍は、間違いなく一番輝いていたよ」
「今も十分強いなの?」
「うむ。あの時と顔ぶれは変わってしまったが、何よりソフィー、マシュー将軍、そしてアリサがいる。負ける気はしない」
ヴァルギスは風になびく髪をふわりと手で押さえながら、前を見て言います。
すっかり暗くなった丘のふもとでは、魔王城の窓や市街から発せられる光が道しるべとして2人を照らしていました。
第7章はこれで終わりです。
次回からウィスタリア王国征伐戦が始まります。




