第200話 戦争の準備を進めました(2)
一方こちらはハールメント王国の魔王城、大広間です。
ダガール・ペヌの兵士たちが奴隷にされたことを世間に普く報せようとした家臣が処刑された事件から数日経って、斥候から報告を受けたヴァルギスは「まあ、いつものことだな」とうなずきました。
ここでソフィーが挙手します。
「魔王様」
「どうした、ソフィー」
「斥候の報告によると、民衆は政治に不信を持っています。これを利用して王都内を混乱に陥れましょう。私たちがカ・バサを支配した時の混乱を最小限にするための策です」
「分かった。面白そうだ、必要な金と人をやる。貴様の好きなようにやれ」
「はい」
ソフィーがウィスタリア王国の王都カ・バサへスパイを送り込んでからしばらくして、カ・バサに1つの宗教団体ができました。
スパイの1人が教祖を名乗り、集まってきたカ・バサの住民に対して声だからかにこう言いました。
「預言しよう。この王都カ・バサはまもなく魔族たちに支配される。この国は政治的にも経済的にも混乱していて、もうおしまいだ。我々を救うのは人間ではなく魔族だ。我々にはこの国を信じ守ることではなく、魔族への恐怖を取り払い魔族に協力することが求められる。今から、この国が魔族に攻め滅ぼされる根拠を示そう‥‥」
魔族を怖がる人間も多く、攻め込んだ先先で魔族に対する反発が起きることも予想されました。それを見越してのソフィーの対策です。同じような宗教団体は、ハールメント王国が王都カ・バサへ向かう進軍予定ルート上の各都市に展開されましたが、特にカ・バサでの勢いは凄まじく、最初は1つの小さい小屋での布教だったものが、政治不信も手伝って少しずつ勢力を拡大し、王都の半数以上の教会で説かれるに至りました。
「なに、怪しい宗教が広がっているだと?」
これは当然、家臣の1人の耳に入りました。クァッチ3世はハール・ダ・マジ宮にこもってシズカと遊んでばかりで政治を顧みず、奸臣たちが専制しているのです。
翌日の大広間で、家臣たちはこの問題を話し合いますが、すぐに弾圧すべきとの結論になりました。すぐに兵士が派遣され、教祖を名乗る者、布教に協力した者はすべて処刑され、王都の10分の1の人口を占めた信者は百叩きの刑にあいました。
「ここが魔族に支配されることは絶対ない!我々ウィスタリア王国は魔族の侵攻をかわしながら1000年以上存続してきたのだ。そんなことなど、起こり得ないのだ!」
兵士たちは王都の中を回り、こう叫びました。しかし、それを見た民衆たちはさらに不安がるだけでした。誰かが言いました。
「教祖様がおっしゃる通り、王様は賢臣たちを次々と殺した。今、王城には奸臣や佞臣ばかりが残っていて、重税を課し、私腹を肥やしている。すでに王都でも失職者が増え、先行きが見通せないばかりでなく、本来王国を防衛すべき兵士たちが次々と無実の罪で処罰されている。この宗教関係者を処刑しても、私たち庶民が救済される見通しはない。こんな国は魔族に支配されて当然だ」
政治混乱は経済にも波及し、王都の住民の半数以上が困窮している状態でした。浮浪者が増え、街中で平然と殺人が行われ、治安は日に日に悪化していました。
人の目から逃げるように魔族の文化について調べる人が増え、魔族語の教室もいくつかできました。王都からの転出は固く禁じられていましたが、観光を装って夜逃げする人が次々と出てきました。
◆ ◆ ◆
「どうしたのよ、あたしを呼び出して」
夕食後のヴァルギスの部屋に、私はメイを連れて来ました。机の椅子に座って待っていたヴァルギスは、待ち構えていましたとばかりに即答します。
「うむ。妾たちは早ければ2週間後に出陣するだろう。軍を編成するなら、そろそろだと思ってな。貴様には遠征軍に参加するかどうか、決めてもらいたいのだ」
メイは「う‥」と言って、ヴァルギスから顔をそらします。
「そりゃ‥アリサたちと離れ離れになるのは寂しいけど、だからといって魔族の兵士たちは怖いし‥」
そうやって唇を尖らせるので、ヴァルギスはふうっと息をついて、ぽんと背もたれに背中を当てます。
「実は先の戦争で降伏した人間の将兵の半数以上が帰順していてな。人間の兵たちに囲まれるのは嫌か?」
「‥えっ?」
メイは興味を持ったのか、再びヴァルギスと目を合わせます。
「もし貴様が遠征軍に参加するなら、貴様を副将とした部隊を作って、2000の兵を与えよう。もちろん主将も兵士もみな人間だ。仕事としては、後陣で幕舎の設営や片付け、陣の警備を専門に行なってもらう。これなら経験のない貴様でもできるだろう。もちろん貴様は貴族だから、数人の人間兵に護衛してもらうことも可能だ。どうだ?」
「‥‥っ」
兵士全員が人間です。魔族を怖がっていたメイにとってはいい条件です。
「妾は魔王という立場上、常に貴様にくっついていると問題ができてしまうのだ。そんなわけで妾が直接貴様を守ることは不可能だが、人間で囲むことは可能だ。悪くない話だと思うが。まあ、今すぐ決められないなら、明日の朝までに決めてこい」
少しうつむいたメイは、隣に立っている私の顔を見上げます。
「アリサ。戦争で死なない自信はあるの?」
「ありません。覚悟はしています」
私はゆっくり首を振ります。温泉に行ったときにも説明しましたが、私は先の王都防衛戦でも2回死にかけました。運良く助かったものの、これからも死なないという保証はどこにもありません。
「‥‥そう」
メイはそれだけ言うと、ぎっと目を見開いて、ヴァルギスを見ます。
「あたしもついていくわ。アリサやナトリ、ラジカと少しでも長くいられるように、間近で祈りたいの」
「お姉様‥」
メイの返事を聞いたヴァルギスは、小さくうなずきます。ヴァルギスの表情が少し緩んでいるような気がしました。
「少しでも長くいたいのなら、賢明な判断だ。貴様の部隊の訓練が明日からある。アリサに案内してもらえ」
「分かったわ」
メイはできるだけ簡潔に、平静な立ち振舞で返事します。そこからメイの感情は見えません。
メイは1人でその部屋を出ていきます。魔王城の中を一人で歩き回れるようになったことは、メイにとって大きな成長ですね。私はほっとため息をついて机をくるっと回り、椅子に座っているヴァルギスのすぐ隣に立ちます。
「‥‥よかった」
「何がだ?」
「お姉様がついてくれると言ってくれてよかった。私、ここを出発する前にお姉様に別れの言葉を言わなくちゃいけないと思ってたけど、必要なくなったかな‥‥」
そう言って窓に視線を落とす私は、自分の目頭が熱くなってきていることに気付いていました。
「うむ。メイの任務も比較的安全なものだ。しかも後陣なので、不意打ちにさえ注意すれば問題ないだろう。それより、アリサ。貴様は前陣に配属されるのだろう」
軍隊は前陣、中陣、後陣に分かれていて、主に前陣と中陣の軍隊が攻撃に参加します。後陣は最も身分が高く威厳のある人が大将となり、前陣と中陣が破れた時に対応します。
前陣は戦争において先鋒になることが多く、最も危険な位置である反面、能力のある人が最も活躍できる位置でもあります。
「うん。私は秘密兵器扱いだからほとんど後方支援になると思うけどね」
「配置を決めるのはマシュー将軍だから妾も断定はできんが、貴様はほぼそうなるだろう」
今はまだ、マシュー将軍とソフィーが協力して、各将軍の配置や仕事を細かく決めている途中です。来週には確定するでしょう。ちなみに先程ヴァルギスがメイに指示した人間のみの軍隊や仕事は、ヴァルギスがあらかじめマシュー将軍に言って枠をあけてもらったのです。
「‥アリサに言っておきたいことがある」
「どうしたの、ヴァルギス」
ヴァルギスが真剣な顔をしてくるので、私は真面目に聞き返します。
椅子から立ち上がって、私の手を握ったヴァルギスは、こう言いました。
「言っていいかわからんが‥アリサが釣りをしていたところを妾が迎えに行ったときのことは覚えておるか?」
「うん、亡命してた時のことだよね。覚えてるよ」
「妾がアリサたちを迎えに行ったのは、デグルの占いがあったからだ」
「えっ?」
私は目をぱちくりさせます。そうだったんですね。だからヴァルギスは、ちょうどタイミングよく、あんな田舎の川を歩いていたのですね。
「それから‥ここからが大事なのだが、デグルはその占いで、妾がアリサと結婚すると予言した」
「え‥えええっ!?」
私は思わず一歩下がります。ヴァルギスと結婚したくないという意味ではなくて、恥ずかしいのです。普通の占いならともかく、あの天使長のデグルの言葉です。私は頬を赤らめて、ヴァルギスから目をそらします。




