第195話 魔王に夜這いされました
ヴァルギスはいつも通り平然そうにしていましたが、私はどうしても昨夜のことが頭から離れません。毎晩毎晩やっているかのようなことを言っていたので、今夜もまたキスしに来るのでしょうか。
公務を終わらせて数時間、言語の本を読みながら部屋で悶々としていました。夕食のために食事室に行きましたが、誕生日席に座っているヴァルギスと目が合うと、私は思わず顔をそらしてしまいます。恥ずかしいです。私はいつも通り、ヴァルギスのすぐ斜め左の椅子に座るのですが、やっぱりまともにヴァルギスの顔を直視できません。どうしても視線が下に行ってしまいます。
「どうした、様子がおかしいぞ?」
ヴァルギスが心配して尋ねてきます。まるで他人事です。
「‥何でもない」
私は食べ物を1つずつ1つずつ丁寧に口に含みます。
メイやハギスも私のことを心配していろいろ尋ねてくるのですが、私は「大丈夫だよ、ありがおつ」「大丈夫です、お姉様」などと適当にかわして食べ続けます。
えっと、キスしかされてなくても夜這いって言うのでしょうか?私とキスしないと寝られないっていうあたりが子供みたいでとてもかわいらしいですし、それにその相手に私を選んでくれたことがとても嬉しいのですし、悪いことをされているわけではないですし。ヴァルギスが困っているのなら、私にしかできないことがあるのだったら助けてあげたいですし。でも、嬉しいけど恥ずかしいような‥‥。
「‥大丈夫だよ、まおーちゃん」
私はにっこり微笑んで、残りの食べ物を食べます。
夕食の後の2人で過ごす時間も、私はすっごくどきどきして顔を真っ赤にして挙動不審みたいになっちゃって、ヴァルギスの「体調悪いなら早く戻って休め」の一言でお開きになりました。心配かけちゃったかな、ごめんなさい。
その日の夜。やっぱり私は眠れなかったです。今夜もヴァルギスが来るかと思うと恥ずかしくて、天井近くを浮きながらひたすらヴァルギスのことばかり考えていました。ヴァルギスのことを考えると股間がすごくあったかくなります。心臓のどきどきが止まりません。そうこうしているうちに、ついに日付の変わる時間になってしまいました。
ヴァルギス、今夜は来ないのかなあと思って私が目を閉じた瞬間、ドアが静かに開く音がしたので私はびくんと震えます。暗闇の中でヴァルギスはそれには気づかなかったようで、浮遊の魔法を使って私に近づいてきます。
私の頬に手を当てて、また昨日と同じように私の唇に自分のそれを重ね合わせて‥‥熱い吐息とともに私から唇を離します。
「‥おやすみ、アリサ」
心拍数が限界まで達していた私はもう耐えきれなくなって、目を開けて、ヴァルギスが私の頬を触る手を掴みます。
確かに目の前にいるのは‥ヴァルギスです。本当にヴァルギスです。その顔は、私が起きているのを知って驚いたような、困惑したような表情でした。
「‥‥っ」
ヴァルギスは少し声を出して、それからそっぽを向きます。
私も私で、前もって計画していたとかではなく本当に恥ずかしさに耐えきれなくなって目を開けてしまったので、何を言おうかどうすればいいか全く考えてませんでした。暗闇の中で、私とヴァルギスの心臓の鼓動だけが響きます。
「す、すまない‥」
先に声を出したのはヴァルギスでした。
「わ、妾は‥その‥アリサとキスすると心が満たされて‥安眠できるのだ。嫌だったなら申し訳ない、もうやらない‥‥」
それはいつも強気で私をくいくい引っ張ってくれるヴァルギスからは想像できない、萎縮した、自信なさげな弱々しい声でした。
私はその声を聞くと、笑顔になって、ヴァルギスの頬をなでてあげます。
「‥お姉様とナトリが寝てるから、詳しい話は次の夕食の後にできないかな‥?大丈夫。私は怒ってないし、嬉しいって思ってる」
「‥‥分かった。申し訳ない」
ヴァルギスは再度謝ると、私から離れてゆっくり地面に降り立つと、ドアを開けて部屋から出ていきます。
私は軽く自分の唇を触ります。さっきヴァルギスからキスされた感触がまだ残っていて、それを思い出すだけで全身が熱くなってきて、心臓の鼓動が速くなります。
◆ ◆ ◆
翌朝はきちんと定刻通りに起きられました。というか、メイやラジカが浮遊の魔法で飛んできて、私の顔をぺちぺちぱちぱち叩いて起こされました。
「浮遊で寝るんだったら、ちゃんと時間通りに起きなさいよね。起こす方も大変なんだから」
「ごめんなさい、お姉様」
メイは小言を言いながら着替えます。私は謝りつつも、着替えながら窓の外を見て、ほっと一息つきます。
ヴァルギスが毎晩こっそりキスしてくると知って、うれしいけど恥ずかしいもやもやした感じがあったんです。その正体に気づきました。ヴァルギスは私に無断でやっているという後ろめたさ、私はいつヴァルギスが来るかわからないという恥ずかしさがあったんですよね。いっそのこと、毎日決まった時間に私から部屋へ行ってキスするのも悪くないかもしれません?
そうやって考えながら朝食のために食事室に行って椅子に座って、ヴァルギスに「おはよう」と声をかけます。
「あ‥う、うむ、お、おはよう」
ヴァルギスは私から亜からざまに目をそらして、小さい声で返事します。
「姉さん、大丈夫なの?顔色悪いなの」
ハギスが尋ねるとヴァルギスは気まずそうに、私と目を合わさないように小さく首を振ります。
「その‥何だ。昨日、アリサの様子がおかしい理由が分かったような気がする」
「ええー?テスペルク、姉さんと何があったなの?」
「ははは‥」
私はごまかすように笑いながらスープを飲みます。
「‥まあ、2人の間の問題だったらあたしは深く追及しないわ」
メイは小ざっぱりした顔で、サラダをぱくぱく食べていました。
◆ ◆ ◆
この世界にも郵便制度は存在します。町ごとに郵便局があって、集荷と配達を請け負います。別の町宛の郵便は1週間に1回大きな幌馬車に郵便物を乗せて運んでいきます。郵便物の送り先が遠くなればなるほど、配送にかかる時間もさらに伸びていきます。1ヶ月かかることもさらです。早馬を使えば数日、馬車をチャーターすれば1〜2週間で比較的早く送ることができますが、高額です。
私たちは、早ければ1ヶ月後にウィスタリア王国へ侵攻するかもしれません。なので通常の郵便ですと、手紙がニナに届くのは戦争が始まった後になります。下手すると、ニナのいるエスティクを陥落させたあとに届くか、もしかすると戦争の混乱の中で郵便物が紛失するかもしれません。そうでなくてもウィスタリア王国は国王の暴政により経済が混乱して、賊が頻繁に出ているようなので、それで手紙を奪われる可能性もあります。
ただ、至って普通の手紙を賊が奪っても利になるとは考えにくいので、賊の可能性はいったん置いておくことにします。
私、ラジカ、ヴァルギスは昨日、つまり私がヴァルギスから毎晩キスされていることを知って寝坊して公務に遅刻した日の政務が終わった後の空き時間に集まって手紙の送り方を相談して、馬車をチャーターすることにしました。費用は私・ナトリ・ラジカ3人の給与から天引きです。
やって来た馬車の御者は帽子を深くかぶった老爺で、白い服を着ていて、どこかで見たような図体をしていましたが、知らない人のことを詮索するのも野暮ですね。
「この手紙を、エスティクにいるニナ・デゲ・アメリという人へ届けてください。魔法学校の地図はここに書いてあります」
と言って、お金と地図と手紙を渡して馬車を送り出しました。
これは私たちには知る由もない話なのですが、手紙が実際にニナのもとへ届いたのは、その翌日でした。




