第179話 魔王と久しぶりに2人になりました
秋が終わり、厳しい冬が始まります。ハールメント王国は北方にあり、とにかく雪がすごいです。日本の田舎ほどではありませんが、大体50センチ、高いところでは1メートルくらいは積もります。幕舎にかかった雪をとげるのも大変でした。
長城全体は私の結界で囲まれており、敵は手出しができません。私の率いる衛生兵は処理する怪我人もなく、市街部の建物の雪かきを手伝う余裕がありました。空き時間を見つけてナトリやラジカやハギスと雪だるまを作って遊んだり、4人で雪合戦したりしました。ただ、「かまくらを作ろう!」と言ってみたら他の3人は「何なのだ?それは」「聞いたことないなの」と返してくるので、この世界にかまくらはないかもしれません。
ハギスといえば、ハラス軍によって街道が寸断され外との交易が途絶えてしまったので、くさやが食べられないことを嘆いていました。
「くさやくさやくさやくさやくさやくさやくさやくさやくさやくさやくさやくさや‥‥くさやの恨みは大きいなの!」
という理不尽なピンタを私にしてきたりしました。しょうがないので私は干し魚にたれをつけて食べさせたりしました。
冬が終わり、暖かい春が来ました。それも終わり、夏が来ました。夏と言っても日本と比べるとあまり暑くなく、気温差のある春よりは一番過ごしやすい季節です。
その夏も晩夏です。ハラスが攻めてきてから、もう1年です。
私はこの1年間、ずっとヴァルギスと出会えなかったというわけではありません。たまに慰労のための食事会に他の将軍と一緒に呼び出されたり、魔王城の風呂が開放されたのでそれを利用している時に出会ったり、大広間に報告しに行く時に出会ったりしました。でもヴァルギスと2人きりになれる機会はほとんどありませんでした。魔王城に戻ろうにも、城壁近くを離れるにはマシュー将軍の許可が必要です。頻繁に城壁を離れるのも事実上難しかったのですが、私はなんとか許可をいっぱいもらって、2週間に1回くらい魔王城に戻りました。でもメイとの話はできたものの、ヴァルギスは多忙でなかなか会えませんでした。
代わりに文通しました。なかなかヴァルギスと2人きりになれず、今年のはじめ頃に文通を始めました。手紙を書いてメイに渡します。メイがヴァルギスの使用人にお願いして、その手紙を届けてもらいます。それを読んだヴァルギスは返事をメイに渡して、私がそれを受け取るという感じです。そんな感じで2週間に1回のペースで手紙のやり取りをしていました。
手紙には、ナトリやラジカと話した内容、最近の戦況や自分の周りの様子のほか、戦争が終わったらまたみんなで遊園地に行こうとか、また2人でデートしたいとか、デートの内容をどうするかとか、いろいろな内容を書きました。ヴァルギスも毎回毎回、丁寧に返事を寄こしてくれました。私にはそれがとても嬉しかったのです。
ハラスが来てから1年後。マシュー将軍とソフィーがひそひそ話をしているのと同じ頃、私は城門近くの広場にある、とある幕舎の中に呼び出されていました。ヴァルギスは普段は魔王城に寝泊まりしていて自分の幕舎を持っているというわけではないので、特に広く立派な幕舎というわけではありませんでした。ヴァルギスは上座の立派な木製の椅子に座り、私は一介の家臣としてその前に立っています。ちなみにこの幕舎、私とヴァルギスの2人きりです。
「突然お呼び立てしてどうされましたか、魔王様」
1年もずっと2人きりになれていなかったのですから、私は自然と他人行儀になってしまって、こう話した時にはっと気付いて少し恥ずかしくなります。
ヴァルギスは「ふふっ」と小さく笑い声をたてた後に、答えます。
「うむ‥妾は魔王として、家臣の貴様に仕事で用があってここに呼んだ。貴様も妾の家臣だから命令に従ってここに来た。そういうことだ。ちなみに用事の中身は何だったのか忘れてしまったのでな、せっかく貴様を呼び出したのに申し訳ないのだから少し雑談をしたいのだが」
ヴァルギスの発言の意図はすぐに分かりました。ヴァルギスが「楽にしてよい」と言うので、私はにこっと笑顔になって、ふわっと浮き上がります。ヴァルギスが座っているもの以外にも椅子はあったのですが、ぷっちゃけ私にとっては浮いている方が楽です。
「えへへ、2人きりになるの久しぶりだね、ヴァルギス」
「うむ」
「何から話そうかな?」
「うむ‥‥」
ヴァルギスは椅子から立って私へ歩み寄ります。そして、ぎゅっと私の体を抱きます。
ヴァルギスの高価そうな香水から放たれる上品な匂いで、私の心は洗われそうでした。
「話だけなら手紙でいくらでもできる。妾はアリサを感じたかった」
そんなヴァルギスの体を、私は抱き返します。その体は思ったよりやわらかくて、温かみがあって、私の動きに反応して動いていました。
「ヴァルギス、私もだよ。手紙だけだとちょっと寂しかった」
「うむ‥アリサがいてくれて、妾は嬉しい」
「私もだよ」
私とヴァルギスは、お互いの顔を見合わせます。
手紙だけでは伝わらないお互いの表情、顔つき、温もり、そして匂い。
何もかもがお互いの頭の中に入ってきます。
私とヴァルギスの背はほとんど同じくらいで、こうして近くにいると、自然と目が合います。
私とヴァルギスはすでに2回キスしていました。
1回目はヴァルギスが私に怒った時に、仲直りのキス。
2回目は私がヴァルギスの仕事ぶりを眺めていた時に、不意打ちのキス。
私は、ヴァルギスともう一度キスしたいと思っていました。でも、私からキスしに行った瞬間、ヴァルギスが私の体をめちゃくちゃにする約束になっています。ううっ、何とかキスだけで済ませる方法はないんでしょうか。
「‥ねえ、ほっぺたにキスしていい?キスとしてノーカウントになるかな?」
私が尋ねると、ヴァルギスは首を傾げます。
「2回もキスしておいて、今度は頬にキスか?なぜだ?」
「そうじゃなくて、そ、その、あの‥」
私が顔を真っ赤にしてもじもじしているのを見て、ヴァルギスは私の発言の意図をつかめたらしく、「ふふっ」と笑います。
「目を閉じていろ」
「うん」
私は目を閉じます。
すぐに私の唇に、暖かく柔らかいものがぶつかって混じり合う、気持ちいいようなくすぐったいような、ふわふわするような感触が訪れます。
「んん‥んっ!?」
私は目を開けてしまいます。
ヴァルギスは私の頬をしっかり手で掴んでいました。
レロレロ‥と、私の口の中をしっかり舐め取られる、くすぐったくて熱くて恥ずかしい、そんな感覚がします。
お互いの舌同士が熱くこすり合い、
「ぷはっ‥」
ヴァルギスの口が、私から離れます。私は呆然としてヴァルギスの顔を眺めていました。私の口から出た唾液が、ヴァルギスの口の下をとろりと流れます。
ヴァルギスはそれをぺろりと舌で舐めて、それからいたずらっぽい笑顔を浮かべて言いました。
「さっきまで肉を食ってたな?」
「う、うん‥」
私はそれ以上会話する度胸がなくて、赤面して手で顔を覆い隠してしまいました。そのままヴァルギスからちょっと距離を置いて、ふわふわ浮きます。
ヴァルギスが口を手で隠して、頬を赤らめているのが印象的でした。
◆ ◆ ◆
その頃、側防塔の会議室では、マシュー将軍とソフィーが地図を見て、話し合っていました。
「‥しかし、包囲されてから1年か。食料はあと1年分あるとはいえ、このまま攻撃せず専守防衛ばかりでは手詰まりだぞ」
また1つ歳をとったマシュー将軍が、少しいらついた様子でソフィーに尋ねます。
ソフィーは少し間をおいて答えます。
「そうですね。敵には糧道がある以上、兵糧攻めをすることも可能です」
「こちら側の食料が尽きる前に手を打つことはできないのか?迎撃はできないか?」
「ハラスがいる限り、迎撃は無駄な損害を生むだけです」
「むむ、ではどうしろと‥‥」
頭を抱えるマシュー将軍を見て、ソフィーは続けます。
「実はひとつ、秘策があるんです」
「‥‥なに、それは本当か?」
「はい。いつもなら兵糧攻めで堅実に落とすべきでしょうが、今回の戦いではひとつ特殊な事情があります。王都の政治が腐敗しているということです。ハラスはウィスタリア王国最後の忠臣と言われており、王都のことを気にしているでしょう。一刻も早くこの戦争を終わらせ、王都に戻って政治を腐敗させるものを粛清したいと焦っているでしょう。そこにつけ込むのです」
「なるほど、具体的に何をする?」
「まず、王都に偽の噂を流すのです」
「ほう」
そうして2人はひそひそと、策謀の相談を始めます。




