第172話 敵将はハラスです
「なんと‥ベリアとマーブル家がそのようなことを」
ハラスはハールメント王国の王都ウェンギスでどのような戦いがあったかばかりに興味が行って、ハノヒス国のことは調べていませんでした。行軍中に2つの軍がハノヒス国に対してひどいことをしていたのです。
にわかには信じられませんでしたが、村人たちからさらに事情を聞いていくうちに、ハラスは本当のことだと信じるようになりました。
「‥‥同じウィスタリア王国の将軍としてお詫びしよう。金品ならいくらでもある。ここに数日滞在して復興を手伝うこともできる。どうか、我々にお詫びさせてくれ」
ハラスがそう言いますが、村人はふうっと息をついて、首を振ります。
「お詫びする気があるなら、早くここから出ていってくれ。村の人達はみなお前たちを憎んでいるんだ」
「ハノヒス国はどこもこんな感じさ。一日も早くこの国から出ていったほうがいい」
村人たちが次々とこう言うので、ハラスは軍に戻って将軍たちといくらか話をするのですが。
「ここで相手をしても時間をつぶすだけです。今は魔族を討伐し魔王を倒すことを優先しましょう」
「う、うむ、そうだな‥‥ことが終わればハノヒス国に施しをするとしよう」
ハラスは怒り狂う住民たちを懐柔せず放置せざるを得ませんでした。
軍はその後も行軍を進めます。途中、兵士たちに襲いかかってくる村人が何人もありましたが、ハラスは「よいよい、殺すな」と言ってそれらを全て無罪放免しました。
ハノヒス国政府から派遣された役人がハラスに面会を求めたこともありました。ハラスは人間の姿になって幕舎で役人と応対しますが、役人は早くこの地から出てほしいとお願いしてきました。遠回しな話し方でしたが、住民だけでなく役人からもここまで言われると露骨にさえ感じます。ハノヒス国はすっかりウィスタリア王国を忌み嫌っているのです。
そうして軍隊は、ハールメント王国の国境まで到達しました。
ハラスはなんとも言えないむずがゆさを感じていました。
「ハノヒス国は多数の魔族の国と国教を接するだけあって昔からウィスタリア王国と同盟を結んでいた。ウィスタリア王国も魔族の襲撃があるたび何度も支援し、2国間の関係は厚いと信じていた。わしもハノヒス国を観光したことがあったが、わしがウィスタリア王国の者と分かるとみな笑顔になり、わしを大切にしてくれた。そのような国がここまで変貌するとは無念だ」
近くにいた将軍が慰めます。
「ハラス様、お気持ちは痛いほど分かります。私もハノヒス国に友人がいます。我々に対し武器を構えていた人の中には、その友人の甥もいました。しかし今は魔王と決戦するときです。ハノヒス国のことは、魔王を討伐した後にゆっくり考えましょう」
「う、うむ‥すまない。やむを得ない」
そうしてハラスの軍は、ハールメント王国の国境近くの都市を1つずつ丹念に攻め落とし、王都ウェンギスに向けて順調に行軍を始めました。
◆ ◆ ◆
王都ウェンギスの王城内の大広間。その日は、城壁の補強状況を報告すべく、私も家臣の1人として出席していました。
ヴァルギスが次々と内政問題を決裁し、処理していきます。商人の間でトラブルが発生したため法律を変えるか話し合う時に、ヴァルギスは的確な決定を下し、それに誰もが納得しました。こんな感じで、次々と問題が解決されていきます。
私は大広間で働くようになってから3週間くらいです。といっても城壁の補強のため出席しないことが多いですが。はじめはわからない魔族語もありましたが、ナトリとヴァルギスによる必死の補講により、最近は大体の内容が分かるようになりました。素早く的確に、誰からも支持されるやり方で内政問題を解決していくヴァルギスを真近で見ましたが、やっぱりすごいと思います。ヴァルギスはかわいいだけでなく、政治のプロで、一生懸命に民を、この王国を治めています。
大広間にラジカが入ってきます。初陣の時に与えられた迷彩のローブではなく、私たちと同じように、人間の貴族用の立派な服に身を包んでいます。
ラジカはヴァルギスの前まで来ると、ひざまずきます。ヴァルギスとラジカは友達のはずなのに、この光景が新鮮に見えてきます。周囲を多くの家臣が囲んでいて、TPOをわきまえた行動です。実際に私も衆目がある時にヴァルギスを「魔王様」と呼んだことは何度もありましたが、ラジカやナトリが礼儀正しくしているのを見るのはまだ慣れないですね。違和感がします。
「敵軍を偵察してまいりました」
「おう、ラジカか。偵察ご苦労である。して、敵将は誰だ?」
ラジカに声をかけるヴァルギスも、友達としてではなく、どこか威厳のあるような雰囲気です。これもTPOをわきまえてやっているのでしょうが、それでも友達同士がこうしている図面は新鮮で、ぎこちなくて、どこかシュールにも見えます。
ラジカは発言します。
「敵将はハラスです」
「‥‥なに」
ヴァルギスの声が低くなります。
「それは旧クロウ国の管理を任されていたあのハラスで間違いないのか?」
「はい。そして兵力は60万ほどです」
その数字に、家臣たちが騒ぎ出します。王都ウェンギスを守る兵士の数は30万人。その2倍の兵力で攻め寄せてきたのです。
「‥ハラスは神獣だ。神獣は魔族を滅する力を持つ。魔族にとって不利な攻撃を何度も繰り出すだろう。妾は魔族最強だが、ハラスに勝てる自信はない。しかも兵力が我々の2倍とくる。苦戦を強いられるだろう」
ヴァルギスはしばらく考えている様子でしたが、そこをマシュー将軍の隣に立っているソフィーが落ち着いた声で言います。
「アリサさんがいます」
「‥‥そうだ、そうだった。アリサよ」
ヴァルギスが、ソフィーと絨毯を隔てて反対側に立っている私を振り向きます。
「は、はい」
3週間のうちに何度か大広間に来ましたが、ここでヴァルギスとしゃべるのは自己紹介以外ではこれが初めてです。まじめな仕事の話を恋人とするかと思うと、変に身構えてしまいます。
「貴様、妾の代わりにハラスと戦ってくれるか?今の話は聞いていただろう。ハラスは神獣であり、神聖魔法をもって魔族に対して有利に戦うことができる。妾ですらハラスと戦う自信はないのだ。貴様は人間であるから、魔族を滅する神聖魔法の影響は受けないだろう」
「わ、わかりました」
緊張で即座に返事してしまいました。
「‥だろうな。貴様ならきっとハラスに勝てる。身構える必要はなかろう」
ヴァルギスはそう言いますが、ソフィーの表情は厳しいです。
「‥‥お言葉ですが魔王様。ハラスは力こそ魔王様やアリサさんより弱いですが、戦いにたいへん熟練しています。戦いを専門としないアリサさんが勝てるかどうかは五分五分でしょう」
「ううむ‥そういう問題があったか」
ヴァルギスは頭を抱えます。ソフィーはまだ重い顔のまま続けます。
「‥とはいえ、現状ハラスに対抗できるのがアリサさん1人しかいないのも、また事実でございます。できることはやっていきましょう」
「うむ、分かった」
ヴァルギスもそう返事します。
えっ、ハラスってそんなに強いんですか?私の額から出る冷や汗は、さっきの汗とは違うものでした。もしかして私、とっても難しい仕事を任されたんじゃないですか?




