第163話 私が復活しました
こうしてマシュー将軍は敵のいない夕方や未明のわずかな時間を狙って決死隊を送り、落とし穴を掘らせます。
案の定、翌日城壁に登る予定の兵士たちがその落とし穴に次々と落ちていき、それを城壁の兵士たちがクロスボウで狙っていきます。容赦ない矢の雨が降り注がれます。
しかし、数日は落とし穴で敵兵を削れたのですが、そのうちウィルソンが前に出てくるようになりました。巨人になったウィルソンは、蟻の穴ほどの落とし穴を次々と破り、兵士たちに突撃させます。
罠を仕掛ける作戦も失敗です。マシュー将軍は側防塔の会議室で窓の外を眺め、ソフィーは天井を仰ぎ、終わりのない戦争を予感して嘆いていました。
「申し上げます!」
また兵士が1人、会議室に入ってきます。
「敵将が罠を仕掛けたことに怒り、一騎打ちを要求しています!」
「‥‥無理に応答することもないだろう。いつも通り迫ってくる兵士たちを返り討ちにしろ」
「それが‥何人でかかってきてもよいし、希望する将軍と戦わせると言われています。これを挑発と受け止めた兵士たちが怒っています」
「なに、何人でかかってきてもよいし好きな人を指名してよいだと?」
それはすなわち、誰がどのような形で来ても結果は同じであると、マーブル家がハールメント王国を見下しているのです。
しかし本当に3人対ハールメント王国の将軍や兵士すべて、というわけにもいきません。どのような形であれ、後から卑怯と言われないように、最低限の体裁というものがあるのです。
「‥‥ここはブラウンに対して3人の将軍を送り込むべきか」
「それがいいですね」
マシュー将軍の提案に、ソフィーも同意します。
それを確認して、兵士に命令しようとしたところ‥‥。
その兵士の後ろに、1人の少女が立っていました。
深紅色のトンガリ帽子に、ピンク色のローブを着たその少女は、この3週間で一度も顔を合わせていなかった人でした。
「‥‥お前は」
マシュー将軍は目を丸くします。
「この人はどなたですか?」
少女と初対面であるソフィーがマシュー将軍に尋ねると、すぐに答えが返ってきます。
「アリサだ」
「あなたがアリサさんですか!」
ソフィーはテーブルの椅子から立ち上がると、兵士を無視して、その後ろにいる少女に話しかけます。
少女はにっこり笑って、兵士より前へ進み出ると、深く頭を下げます。
「アリサ・ハン・テスペルクでございます。しばらく皆様にご迷惑をおかけしましたが、只今戻ってまいりました」
◆ ◆ ◆
その数刻前、魔王城の中の給仕用の宿泊部屋の1つを借りて寝泊まりしていた私は、またいつものように窓際の椅子に座って外を眺めていました。
この部屋に来て1ヶ月以上がたったのでしょうか。ここからは戦争の状況は見えませんが、部屋の外で使用人たちが話している声を聞いて、大体のことは分かります。家族の男子が戦死したことを嘆く使用人、広場に大量の傷病人が並べられていることを嘆く使用人、毎晩城壁近くに火の雨が降っていることを怖がる使用人。はっきり聞いたわけではないのですが、状況は日に日に悪くなっているようです。
1日1回ヴァルギスがこの部屋まで来てくれて、私と話してくれます。ヴァルギスも戦争で忙しい合間を縫って私のために時間を作っているのです。頭が上がりません。ヴァルギスは最初は戦争や敵軍の情報などを話していましたが、最近はもっぱらメイやラジカ・ナトリの様子、魔族の文化や思い出話などを話しています。諦められたのか、私に外に出たいと思わせようとしているかは分かりませんが、ヴァルギスと2人きりでいられるその10分間が、私にとって一番の心の癒やしでした。
ですが、こんな生活も早く終わらせなければいけませんね。いつまでもこんな部屋に閉じこもっているわけにはいきません。
人を殺すことに激しい抵抗を感じて、人を殺してしまった自分に激しい罪悪感を抱いて、このままではメイに合わせる顔がないと思って、ずっとこの部屋に閉じこもっていました。でも、私がいないせいで余計に多くの将兵たちが死んでいます。これは、私が人を殺すことよりも遥かに悪いのではないでしょうか。そういう感情が、私をこの部屋から追い出そうとしているのです。
人を殺すことは仕方ないにしても、その自分なりの償いをどうしようか考えていました。その答えが、悟りが、覚悟が、やっと出てきたのです。
「ヴァルギス」
いつも通り部屋に訪れてきたヴァルギスに、私は話しかけます。ヴァルギスは狭い部屋の安っぽいベッドに座って、窓際に座っている私を眺めます。
「どうした?」
ヴァルギスの返事に、私は窓の外を見ながら続けます。魔王城を構成する塔と塔の間から、建物並ぶ町の光景が顔をのぞかせています。
「私、決めたよ。私はもう迷わない。戦争で人を殺すよ。私、人を殺すのは嫌だけど、私がやらないともっと多くの人が死んでしまう」
ヴァルギスはひとつ深く息をついて、答えます。
「元気だった頃のアリサはもう戻ってこないと思って諦めていたのだが‥‥妾はもう、アリサがこの部屋から出て、戦争も休んでいつも通り暮らしていればそれでいいのだが?国防は妾でも足りる」
「ううん。ヴァルギスはこの国の王様だから、気軽に前線に出られないでしょ?私がヴァルギスの代わりをやるしかないよ。私、ずっとこの部屋に閉じこもって、人を殺すことについて考えていたの」
そこで私は振り向いて、ヴァルギスの目を見つめます。
「まだ私の中で答えは出ていないの。私が誰かを殺さないと犠牲者が増えるからといって、それが殺してもいい理由になるか分からない。でも‥ヴァルギス、前言ってたよね。戦争には目的があるって」
「うむ」
「私、こんな世界を早く終わらせたい。人同士が殺さなくてもいい、平和な世界を作りたい。もしそんな世界が作れるのなら、私は自分の手を汚してでも全力を尽くす」
それを聞いたヴァルギスはしばらく口を開けて、また閉じて、ベッドから立ち上がると私のところへ歩いてきて、私の頭を抱いて自分の腹にくっつけます。
「アリサ。1人でここまで考えていたのだな。つらかっただろう」
「うん。‥でも、私、ずっとこのままではいけないって思ったから。ヴァルギスの片腕になるって決めたから。一度、好きな人にした約束だから、守るよ」
「アリサ」
ヴァルギスが、腹から私の顔を離します。
見上げると、ヴァルギスの目からは自然に涙が溢れていました。
「正直、妾もアリサに汚れ役が務まらないのならそれでいいだろうと思っていた。しかし、アリサが戦争に参加してくれるなら心強い。妾も1万人の味方を得た気持ちだ」
「‥‥うん。ありがとう。それでね‥私が戦争に参加するには、条件があるの」
そう言って、私は少しばかり目を伏せます。
「こんなことをやっても私が人を殺した事実は変わらないし、何の罪滅ぼしにもならないと思うけど‥私1人だけでも心が救われていればいいと思うの。だから。戦争に勝った時、敵兵の治療や都市の建て直しに、私も参加したい」
ヴァルギスは少し驚いた様子でしたが、うつむいている私の頬まで手を伸ばしてなでます。
「‥そうか。マーブル家との戦争が終わった後、アリサに3000の兵を与える、好きに使え」
それを聞くと私はかばっと顔を上げ、立ち上がってヴァルギスを抱きます。
「本当!?ヴァルギス、ありがとう!ありがとう、ありがとう、ありがとう‥‥ありが‥ひっく」
私はヴァルギスの体を抱きしめて、それからベッドに座って、ヴァルギスの胸に自分の顔を押し付けてしばらくの間泣いていました。




