第155話 人を殺すということ
私はベリアとの戦争が終わった後、ずっと部屋のベッドの上で体育座りしていました。
口をひざに当て、どうすればベリアは死なずに済んだかをずっと考えています。
「どうしたの、そんな姿勢されるとこっちまで落ち込むわよ」
メイが背中を叩いてきますが、私は反応できません。
どうにも考えられなくて、戦争の前に自分は無力で、何をすればいいか分からなくて。喪失感が、私から体力を奪います。
食事と入浴の時はさすがに部屋を出るのですが、それ以外はずっと部屋にこもりきりです。言語学校も休むようになりましたし、ヴァルギスやナトリと一緒に勉強することもなくなりました。
そうして数日過ごしていました。
「‥まだ奴は引きこもっておるのか」
ある日、政務を終えて玉座から下りたヴァルギスは、近くに立っていたナトリに尋ねます。
戦争が終わってから少しは政務が楽になりましたが、まだ戦後処理が終わっていません。ハノヒス国の兵士への給料を支払うことは決めたもののどれだけの金額にするかの調整が終わっていなかったり、亡くなった兵士の家族への補償をどうしようかと議論したり。やることは山積みです。でもヴァルギスはようやく、夕食後に時間が作れるようになりました。久しぶりに私と2人きりになろうと思った矢先にこれです。
「ああ、ナトリたちも手を付けられなくて困っているのだ」
ナトリも首を振ります。
「心当たりはあるか?」
「‥‥一応あるのだ。マシュー将軍との一件があったのだ」
それを聞いたヴァルギスは辺りを見回します。ちょうどマシュー将軍が帰るところでしたので、呼び止めます。
そうして2人からゆっくり話を聞きます。ナトリが人を殺したこと、それを夕食で話したときのアリサの反応、アリサが鬨をあげなかった理由。ヴァルギスはため息をつきます。
「あやつ、かの国を滅ぼすべきと言いながら自分は手を汚したくないのか。身勝手な奴だ」
「どうするのだ?テスペルクをここに呼ぶのだ?」
ナトリが尋ねますが、ヴァルギスは2人に背を向けて、大広間の出口へ歩き出します。
「妾が話をつけに行く」
◆ ◆ ◆
私はひとりぽっちの部屋で、ベッドの上から、少しずつ赤らんでいく空を眺めていました。
私の頬は、涙で濡れていました。
確かに私は、戦争が必要だとヴァルギスに言いました。
でも本当に戦争になって。戦場で、実際に転がる死体を見て、ナトリが人を殺すのを間近で見て、私は怖くなっていました。
自分が助けようとした敵将でさえ、逃げる途中で自殺してしまいました。
きれいごとの通用しない場所です。あんな場所で、誰の命を助ければいいのでしょうか?
日光が涙でモザイクのようにうるんでいきます。
窓から差し込むそれは、少しずつ光を弱めて、それでも私を照らしていました。
「貴様、いるか‥‥なんだこの部屋には貴様だけか、おいアリサ」
ドアを閉めて、ヴァルギスが部屋に入ります。ゆっくり、私のベッドへ歩み寄ってきます。
「‥‥ヴァルギス」
私は小さな声で返します。ここで、私は朝からずっと寝間着のままだったことに気づきます。
「着替えろ。アリサに見せたいものがある」
「私に‥見せたいもの?」
ヴァルギスはそれだけ言って、簞笥を乱雑に開けて下着を取り出し、クローゼットからも適当な、運動に使う汚れてもいいジャージのような服を選んで取り出して、まとめて私のいるベッドへ投げつけます。
「5分以内に着替えろ」
「えっ‥う、うん、分かった!」
「妾は部屋の外で待っているからな」
ヴァルギスが部屋を出たので私は急いで着替えます。
何日も前からずっとふさぎこんでいたので体は思うように動きませんでしたが、それでも何とか着替えを終えます。化粧や、髪を整える時間はありませんでしたので、いくらかの寝癖が残ってしまっています。
「着替えたよ!」
私が部屋を出ると、そこに待ち構えていたヴァルギスは早足で歩きだします。
「妾についてこい」
「分かった」
私も早足で、それを追いかけます。
◆ ◆ ◆
ヴァルギスの後ろについて、私も馬を走らせて、王都の市街部を走り抜けます。
私たちの馬は、比較的落ち着いた住宅街のあるところへ出て、そして少しずつ畑が増え始めて、そして畑の先にある長城を抜けて王都ウェンギスの外へ出ます。
「ここを覚えておるか?」
ヴァルギスは馬を走らせながら私に尋ねます。
「うん、覚えてるよ、この前戦争があったところだよね」
「うむ。多くの人が死んだ場所だ」
「あ‥‥」
私は周りを見回すのをやめて、うつむいてしまいます。それが馬の速さにも出て、私は少しずつヴァルギスから引き離されてしまいます。
「どうした?」
ヴァルギスが私に気づいて、馬を止めます。私は少しためらってしまいましたが、唇を噛んで、きっと顔を上げます。
「ううん、なんでもないよ」
「そうか、では急げ、日の暮れんうちにな」
「分かった」
そうして私たちは荒野を駆けめくり、気がつくといくつもの瓦礫が散乱している場所へたどり着きます。
幕舎を包んでいた分厚い布の切れ端がありました。燃えた跡もあちこちに残っていて、そこでは地面が黒くなっています。先だけが焦げたり、全体が焦げて真っ黒になったりした様々な長さの木材がたくさん、地面に刺さっています。
「これは‥?」
「言わないと分からんのか。ベリア軍の陣だ」
「これが、私に見せたいもの?」
「見せたいものはこの先にある。ついてまいれ」
私とヴァルギスは馬を歩かせて、ゆっくり、その場所へ近づきます。
「あっ‥‥」
地面に大きな穴があいていました。穴の周りには、大勢の魔族の兵士たちが集まっていて、何かを運んで穴に入れています。兵士たちはこの陣を片付けているのでしょうか。
魔族たちの運んでいるのは‥‥大量の人間の焼死体でした。
とんでもない臭いが、鼻を覆います。
「うっ‥」
私は手で口を抑えて、穴から目をそらします。
「目をそらすな。馬から降りろ」
ヴァルギスが命令するので私は馬から降りますが、体がまだ穴の中を見ることを拒否します。
それでもヴァルギスから背中を叩かれ、なでられ、促されて私はゆっくり、穴の中を見ます。
人間の兵士たちの焼死体が堆く積み上がっています。中には矢や槍で殺されたのでしょうか、血の跡が黒くなっている死体も多くいました。
「こやつらは敵ではあるが、祖国のために命をかけて戦った奴らだ」
「‥‥っ」
ヴァルギスは私の肩を掴みながら、私の隣に立ちます。
「こやつらがなぜ戦争のために命を捧げたか分かるか?」
「えっ‥国のため?」
私はウィスタリア王国で、そのように教育されてきました。なのでみんな、国を守るという漠然とした気持ちで戦っていたのでしょうか。
「ちと違うな。奴らにも家族や帰る場所がある」
「‥‥!」
「国を守るということは、奴らの家族を守り、自分の帰る場所や日常を守るということだ。両親、妻、子供が安寧に過ごせるために、命をとして死地に挑み、犠牲になったのだ。今、ウィスタリア王国で生活している奴らの日常は、こやつらの犠牲の上に成り立っている」
「‥‥‥‥っ」
私はまた目から涙が流れるのに気づきます。
ヴァルギスの演説は、まだ続きます。
「こやつらは自分の日常を守ろうとして、命をかけてぶつかってきたのだ。ならばこちらも全力で応えるべきだろう。戦争にルールはない。なのに命を助けるだの、誰も死なない戦争だの、それはかえって敵に失礼だと思わんか?」
気づいていましたが、やはり私に対する説得のつもりだったのですね。
でもなんででしょう。穴に集められている兵士たちの顔1つ1つを見ると、それぞれの日常が頭に思い浮かびます。
焼け焦げて顔が真っ黒になっている兵士もいました。体が原型を留めない兵士もいました。首が胴体から離れている兵士もいました。
そのどれもが必死に、家族がいる、家族の日常を守りたいと主張してきているような気がします。
「こやつらには守りたいものがあった。だから死んだ。貴様には守りたいものがあるのか?」
ヴァルギスは、今度は私の顔を向いて言います。
「私が守りたいもの‥‥まおーちゃんの守りたいものは何?」
「妾の守りたいものは平和だ。それも、魔族だけでなく人間も含む恒久的な平和をな。平和のためなら少々の犠牲は仕方ない。先にそれを言ったのは貴様だろうが、今では妾の信念になっておる」
ヴァルギスはまた、兵士たちの死体の山を見下ろします。




