第153話 ベリアの最期
長い夜が終わり、ひとさじの朝日が山の間から現れます。
ベリア軍の陣は惨憺たる有様でした。あらゆる幕舎は焼け、兵たちの死体が転がり、あたりは墓場のように静かでした。右翼でハノヒス国の残りと戦闘していた兵士たちは、大将を失って一目散に逃げていきました。
ハノヒス国の10万人の兵士たちがマシュー将軍の陣近くまで現れ、3人のリーダーがマシュー将軍の幕舎へ案内されます。
「昨夜はご協力くださり、感謝する。私がマシューだ」
「ははっ、このたびは反乱へ手助けくださり、ありがとうございます。約束の報酬と帰還はいつ頃になるでしょうか?」
リーダーたちはひざまずいて、マシュー将軍の顔色をうかがいます。
「報酬は魔王様に相談の使者を出しておいた。報酬を運んでもらうためにいくらかの兵を残してほしいが、帰りたい者は今すぐ帰ってよい」
「ああ、ありがたきお言葉でございます。感無量に尽きます」
「うむ、わしらはウィスタリア王国の将軍とは違うからな」
マシュー将軍はそう言って、胸を張ります。
ハノヒス国の兵士たちは、3000の兵と複数のリーダーだけ残って、他は早速帰途につきました。マシュー将軍は護衛のために数千の兵をつけましたが、後でその部隊から伝令が1人来て幕舎の中のマシュー将軍に報告します。
「申し上げます、ベリア軍の陣には誰もいません。退却したようです」
「うむ、夜襲であれだけ被害を与えたのだから当然だろうな」
マシュー将軍は報告を聞くと、笑います。それから、少しの間青空を仰いでから、近くの兵士に命令します。
「ハギス様とラーヌ(将軍の名前)を呼べ」
すぐにハギス、ラーヌが連れてこられます。
「何なの?」
ハギスがそう尋ねると、マシュー将軍は待ち構えていたとばかりに言います。
「ハギス様とラーヌに兵を3万ずつ与える。敵が退却したので、この国を出るまで追撃して欲しい。ハギス様、兵の引率についてはご自分の副将にお任せください」
「分かったなの」
こうして、あわせて6万人の兵士が追撃に動き出します。
◆ ◆ ◆
数十人の兵士たちは、抱きつくように眠っているベリアを乗せた馬を引きながら、ある山の頂上まで達します。
「‥‥うん?」
そこで冷たい風にあてられて、ベリアは目を覚まします。ゆっくりと身を起こします。
「‥ここは、どこだ?」
「あっ、ベリア様」
兵士たちが立ち止まります。
1人の兵士が言います。
「我々の軍は夜襲で大敗し、ハノヒス国から徴兵した兵士たちも反乱を起こしたため散り散りになりました。私たちは今、ハノヒス国に向かっているところです」
「そうか‥我々は負けたのか」
ベリアはそう言って、うなだれます。腰にさしていた自慢の刀の柄を握ります。
「‥‥私は、ハラス様の力をもってしても勝つことができなかったのか」
「ベリア様、戦に勝ち負けはつきものです。今回はしょうがなかったのです。次回巻き返しましょう」
「うむ‥‥」
ベリアはうつむいて、とぼとぼと馬を走らせます。
「‥‥うん?」
前を歩いていた兵士が立ち止まります。遠方に、ハールメント王国の武装をした兵士たちが見えます。
彼らはみな、自分たちを捕捉して、じりじりと距離を詰めています。ベリアたちは、囲まれたのです。
「‥囲まれたか」
「突破しますか?」
兵士の問いかけに、ベリアは笑って首を振ります。
「‥私は王様の命令とはいえ、ハノヒス国の人々を強引に徴兵し、人の道を外れるおこないをした。その結果、反乱を起こされて負けたのだ。このまま逃げられたとしても、王様だけでなく、人道を守るよう私に教えてきたハラス様に合わせる顔がない。お前たちは、私の首を奴らに渡して逃げてくれ」
「ベリア様!せめて魔王にお願いして生かしてもらいましょう!」
「いいや、私はウィスタリア王国に仕えてきたときから、決して他国になびくことはないと誓った。ハラス様の教義にももとる。今、敵の恩を受けるわけには行かない」
そう言って、ベリアは自慢の刀ではなくもう1つ腰にさしていた短剣を取り出します。
そして、それを首にあてます。
血しぶきとともに、1人の男の体が、馬の上から崩れ落ちます。
兵士たちは涙を流しながらベリアの首を切り取ります。
そして近づいてくるハールメント王国の兵士たちに向かって両手を上げ。降伏の意思を示します。
◆ ◆ ◆
1日後。長城を背に陣をしいているマシュー将軍たちは、ベリアの死を知りました。
私たちはマシュー将軍の幕舎の外に集められます。
「敵将ベリアが、我が軍に囲まれ自決した」
それを聞いた時、私は頭の奥がずきっと痛くなりました。
あのベリアが自殺しました。
私、あのベリアの相手をしてましたよね。ベリアが死なないように生け捕りにするつもりだったのに、途中で逃げられて、しかも自ら命を捨てたなんて。
私、ベリアには死んでほしくなかった。自分の対戦相手だから、余計死んでほしくなかった。殺すつもりはなかった。確かにベリアは敵ですが、私と同じ人です。人同士が殺し合う戦場において、私はあえて敵の命を救うことに僅かな光明を見いだせると思っていました。
ベリアに対して圧倒的な力を見せつけて、生かして降伏させることで、私がいれば戦争で誰も死なずに済むということをナトリやラジカに教え、マシュー将軍やヴァルギスに教え、平和的に統一しようと考えていたのに、それはあっさり失敗したのです。しかも、敵が自ら命を捨てたのです。敵は生きることにこだわらなかったのです。
こんな甘い考えで戦争することはできないのでしょうか。私はヴァルギスと同じくらい強いはずなのに、ギルドでSランクの依頼を簡単にこなせたり、決闘大会でヴァルギスと互角の戦いを繰り広げたりしたのに。それでも戦争の前には無力なのでしょうか。戦争における最強って、何のためにあるのでしょうか。私の中では、やるせのない無力感がくるくる回ります。
「この戦いは我々の勝利だ。皆の者、鬨をあげよ!」
マシュー将軍の号令とともに、他の将軍や、近くにいる兵士たちが片手を上げ、「おー!」と叫びます。
様々な叫び声が吹き荒れる中で、私は1人、うつむいて手を強く握っていました。
それに気づいたマシュー将軍が、私のところへ歩いてきます。
「お前、なぜ鬨をあげない?」
「‥‥‥‥」
私は悔しいんです。
助けようと思っていた人が自殺して。
「私は‥ベリアには死んでほしくなかったんです。私は誰も殺したくなかったから、生け捕りにしようと思ったのに逃げられて、しかも自殺して‥‥」
「? 戦争だから人が死ぬのは当たり前だが?」
「私は誰にも死んでほしくないんです!せめて、せめて自分が担当した人は死なないようにしようと思っていたのに死んでしまって、私、悔しくて‥‥!」
私は涙を流して叫びます。
しかしマシュー将軍はそれを聞くと、怪訝な顔をします。
「お前、聞くが、ベリアが生きて帰ってさらに今の2倍の大軍を連れてきたらどうする?」
「それでも殺さないようにします」
「敵の兵士はどうする?」
「絶対に誰も死なないようにします。私の力があれば可能です。私は魔王様と同じくらい強いので‥敵と比べると圧倒的な力を持っているので、それを見せればみんな黙って帰るから、人同士が殺し合う必要もなくなるんじゃないかと‥思って!!」
私は荒い息をつきながら、持論をまくし立てます。
マシュー将軍は、はああと長いため息をつきます。
「‥‥‥‥」
「ねえ、マシュー将軍、どうなんですか‥?」
周りの人たちも、私の訴えを聞くと鬨をやめて、私に視線を集中させます。
私は自分の存在が異端なのか、みんなは戦争で人を殺すのは常識というのを私に押し付けるつもりなのか、とにかく自分が一人ぽっちになってしまったかのような喪失感と焦燥感に苛まれます。
マシュー将軍は、やっと口を開きました。
「アリサ。お前には覚悟が足りない」
「えっ‥?」
「あの釣りの時に、我々は何のために戦争するか、お前はその答えを理解していると思っていたが私の見当違いだったか。戦争とは何であるか考えろ。その答えが見つかるまで、お前は戦争で使わない」
そう言って、私の横を通り過ぎます。
「アリサ様‥」
近くにいたラジカが声をかけますが、私はもう頭の中が空っぽで、涙も乾き、ただ目を大きく見開いて絶望しているだけでした。




