第144話 ラジカが出陣しました
「そうだ、貴様だ。貴様にもこの戦争で協力をして欲しい」
「‥‥カメレオンだね」
ラジカの胸のポケットから、ぴょこっと緑色のカメレオンが顔を出します。
「明日マシュー将軍の軍勢がここを発つので貴様にはそれに同行し、カメレオンを使って敵の情報を集めて欲しい」
「分かった」
「早く寝ろ、明日は早いぞ」
「うん」
ヴァルギスはそう言って部屋を出ます。
ドアが閉まるのを待っていたかのように、メイがテーブルから身を乗り出します。
「ラジカ!あんたも戦争に参加するの!?」
「うん」
ラジカは普通にうなずきます。メイはラジカのベッドまで歩いていくと、ラジカの肩につかみかかります。
そして大声で何かを言いたげに何度も大きく呼吸している様子でしたが、しばらくした後、「はぁ‥‥」とため息をついてラジカから離れます。
「死なないで」
「分かった。約束する」
ラジカが答えると、メイはうなだれながら自分のベッドにとびこんで、枕に顔を沈めます。
見かねた私は、メイのベッドへ移動して、端に座ります。
「お姉様。戦争が怖いのは分かりますが、私たちはきっと無事に戻ってきます」
「‥‥あたしは戦争を体験したことがないけど、先祖たちの体験談は嫌というほど聞いたわ。まさか現実になるとは思わなくて‥‥」
「それは私も同じです」
私はベッドの端に座ったまま、うつむきます。
「ウィスタリア王国を攻め滅ぼそうと言ったのはあんたじゃない」
メイはまくらから顔を離して、私の背中に話しかけます。
「はい。この世界を平和にするためには、そうするしかないと思いました。どっちみち戦争が発生するのは避けられないけど、これがより多くの人が死ななくて済む最善の方法だと思います。きれいごとでは世界は守れません」
「‥‥きれいごと、ね」
「実際に、ウィスタリア王国がここまで攻め寄せてきているんです。武力には武力でしか対応できません。私たちはハールメント王国に仕え、まおーちゃんの家臣になった以上、戦わなければいけません」
「それは分かってるわよ。あたしは、あんたらに死んでほしくないだけ」
「お姉様」
私はベッドの上にのぼって、メイの頭をなでます。
メイは「うっ‥くすっ‥」と泣き出します。
「お姉様。今日は一緒に寝ましょう」
昔から、不安だったり嫌なことがあると、メイは父と同じベッドに入って一緒に寝ていました。
私はそれを思い出します。
私で代わりが務まるか分からないけど、せめて今はメイと一緒にいてやりたいです。
「大丈夫です、私は強いから死にません」
「‥‥うん」
その夜はメイのベッドに入って、2人で一緒に寝ました。
◆ ◆ ◆
翌朝。
徹夜で編成された10万の軍勢のうち9万は、王都ウェンギスの郊外に待機させています。
残り1万の兵士たちは、魔王城の城内で、壮行式を始めていました。王であるヴァルギスに出陣の報告をするのです。
軍楽隊が音楽を鳴らし、兵士たちが整列します。魔族の国だけあって、ゴブリン、オーグなどモンスターに近い兵士もいれば、人間にツノやしっぽが生えたような兵士も大勢います。
ヴァルギスとマシュー将軍、それにラジカを含む他の家臣たちは、兵士たちからも見える場所にある高台にあたる、宮殿の2階にある屋根や壁のないルーフバルコニーのような広い場所にいました。
『魔王様。それでは行ってまいります』
『うむ、死ぬなよ』
ヴァルギスははなむけの言葉を送ります。それから、マシュー将軍や家臣たちと1人1人、握手します。
ラジカの番になります。
「無理なことはきちんと無理と言え。さもないと死ぬぞ。アリサたちが待っておる」
「‥‥分かりました」
ヴァルギスはラジカの手を握りますが、ラジカは握り返しませんでした。その手を離して、ヴァルギスは次の家臣の手を握ります。
ラジカは、ヴァルギスに掴まれた手を見ます。何の変哲もない、いつも通りの手でした。ラジカはそれをぎゅっと握ると、マシュー将軍の後に続いて歩き出します。
この壮行式の様子を、私やナトリは一介の家臣として、バルコニーの端に並んで見ていました。私もナトリも複雑な気分でした。斥候役で戦闘はないとはいえ、友達のラジカが戦争に駆り出されたのです。マシュー将軍の軍勢が大敗するようなことがあれば、ラジカも死ぬかもしれません。
私はぎゅっとナトリの手を静かに握ります。ナトリも私の手を握り返します。私たち2人は不安そうな顔をして、ラジカの背中を見届けていました。
マシュー将軍が、バルコニーの台にのぼって演説を始めます。マシュー将軍はウィスタリア王国から亡命してきたのであり、そのウィスタリア王国が今回攻めてきたのですが、自分はあくまでハールメント王国に忠義を尽くし、命運をともにすることを強調し、ハールメント王国を守るためにともに戦おうと盛り上げる内容でした。
私は戦争というものをよく知りません。ですが、人同士が殺し合う行いであることは、先祖たちからの遺言によってよく知っています。そのようなおこないに壮行式を設け、さらに演説で兵士たちの士気を上げ、むしろ殺し合いを頑張れと奨励する。そのようなことに違和感を覚えていました。まるで、戦争で何人もの人を殺すことが正しいと何度も主張しているかのようです。
敵が攻め込んできたのですから、自国の兵士の士気を上げるのは当然です。こうなった以上は、敵を倒すしかありません。この演説はやむを得ないことを私は理解しています。でも、人を殺すことが正しいと言わなければいけないような状況が生まれることに悲しみを感じていました。自分もウィスタリア王国を滅ぼそうと言った人ですが、悪いのはウィスタリア王国のほうです。ウィスタリア王国の王が無道なおこないをし、ハールメント王国をはじめ周辺の国の人々も殺すようになったため、誅さなければいけないのです。誅するしかないのです。クァッチ3世が無道でなければ、もう少し他国と協調できていれば、この事態は避けられたのかもしれません。
マシュー将軍率いる10万の軍勢は、ハールメント王国王都ウェンギスを出発しました。私は壮行式が終わった後、ケルベロスに命令されて、ナトリに通訳してもらいながら、長城の補強をすることになりました。長城は築き上げられて以来、長年争いに晒されることはなく、定期的にメンテナンスされていましたが念には念を入れて私の力を使って硬くして欲しいとのことでした。私は長城の屋上にある廊下を浮いて移動して、何度も魔法陣を使って呪文を唱え、城壁を補強します。
「はぁ、疲れた‥‥」
昼食です。私は廊下の80センチくらいある低い壁に座ってぺったりもたれて、弁当を食べます。浮く元気もなくなって、尻は地面にくっついています。
王都ウェンギスを囲む城壁だけあって、高さ20メートル、屋上の廊下の道幅10メートル、全長約150キロメートルです。それの補強をしろというのです。
もちろん補強担当は複数いますが、私が担当するところはハノヒス国がある方向です。敵が直接ぶつかってくる方向です。つまり私は、軍事的に最も重要な場所にいるのです。私は魔法を使うのが大好きですが、大魔法を繰り返し使ったので、午前だけでもくたびれてしまいます。
「テスペルクが魔法で疲れるのは初めて見るな」
ナトリが横に座ってきて、弁当を食べます。ナトリには他にも仕事があるでしょうが、初日は私の通訳としてついてくれているのです。私は弁当の具をフォークで刺して口に運びます。前世でマラソン大会が終わってくたびれたときのような気持ちに似ています。あの感じを魔法を使うことによって味わうことになるとは思いませんでした。
「魔王と戦ったときとどっちが疲れるのだ?」
ナトリが聞いてきます。
「こっちだよ」
私は即答します。
「まおーちゃんと戦う時は、詠唱に時間がかかるような大きな魔法は使わなかったからここまで疲れなかったかな」
「なるほど」
ナトリはそう返事して、自分の弁当を食べます。私は疲れていますが、頭の中はラジカでいっぱいでした。ナトリも同じような感じで、昼食中の会話はほとんどありませんでした。




