第141話 魔王にキスされました
「‥それで、私、これからまおーちゃんのことをなんで呼べばいいのかな?」
「今更その話題か。今更すぎるぞ」
まおーちゃんはそう答えて、ふうっと椅子にもたれます。
人間の国でも魔族の国でも、忌み名といって、王様の名前は軽々しく口にしてはいけないとされています。名前を軽く扱うと、王様自体や王室、果ては王国の存在自体も軽く扱ったかのような印象を持たれます。なので、私はウィスタリア王国でも王様のことをクァッチ3世と呼んではならないと教えられています。
王様の名前を口にしていいのは王様の家族や、王様と対等な身分の人‥‥外国の主君くらいです。それ以外の人は、「王様」だとか「魔王様」と呼ばなければいけません。私が今まで友達として「まおーちゃん」と呼んだことをまおーちゃんは内心不快に思っていないか、この機会に気になったのです。
「やっぱりちゃんと、魔王って呼んだほうがいいのかな?」
私は不安そうに言いますが、まおーちゃんは否定します。
「いや。貴様の好きなように呼べ。貴様の特権だぞ」
「‥ヴァルギス、ちゃん」
私は小さな声でこそっと言ってみます。それを聞いたまおーちゃんは私の目を見ながら、肩をぴくっと動かします。
そっぽを向きます。頬が少し赤らんでいます。
「‥‥それは、ずるいぞ」
「分かった、ヴァルギスちゃん」
「‥‥‥‥」
まおーちゃんは少しすねた様子です。
「‥‥だめ?」
「人前では言うな。メイらのいる時も含めてだ。明日のデートでも公共の場所では駄目だ。2人きりの時にだけ使って欲しい」
えへへ。まおーちゃんの名前を呼ぶ権利、ゲットです。
「分かったよ。それから‥ヴァルギスも私のこと、名前で呼んで」
「‥っ」
まおーちゃんは声を詰まらせます。
今まで私の前で私の名前を呼んだことなど、片手で数えるしかありません。いつも「貴様」と呼んでいました。
まおーちゃんは恥ずかしげに、私に返します。
「アリサ」
それを聞いたときの私は内心嬉しかったです。今すぐにでも喜びを爆発させてぴょんぴょん飛びたい気持ちでしたが、それをこらえて、あくまでも静かに返事します。
「ありがとう、私、とっても嬉しいよ。ヴァルギスちゃん」
語尾にまおーちゃんの名前をわざとつけてみます。
「あ、あまり調子に乗るな、アリサ」
まおーちゃんは照れてきたのか、腕を動かして顔を隠します。
「‥それでキスのことだけど」
私は話を続けます。
「私から言い出しておいて今更だけど、魔族の間では、キスはセックスをしてもいいという合図だと聞いたことがあるのを思い出したの。人間同士では、キスしただけでは別にセックスすると決まったわけでもないし、友達同士でもキスすることがあるの」
「その価値観の違いは分かっておる。妾もそれを分かった上で、人間のキスだと思ってOKしたのだが」
「‥‥だから、キスはヴァルギスちゃんのやりたいタイミングでしたい」
私はじっと、まおーちゃんの瞳を見つめます。まおーちゃんの片手を握ります。
まおーちゃんは少し考えて、うなずきます。
「分かった。だが罰ゲームは罰ゲームだ。明日は頬にキスしろ」
「うん、分かった」
私はにっこり笑います。
しかしまおーちゃんは、それから、私の手を撫でて言います。
「目を閉じろ」
「えっ?こ、こう?」
突然そう言われたので、私は目を閉じます。
「口も閉じろ」
「ん?」
私の口が結ばれたのを見ると、まおーちゃんは私の頬を手で掴みます。
「ん、ん!?」
私は抵抗しようとしますが、体がうまく動きません。
そのまま私の唇に、まおーちゃんの熱いそれが押し付けられます。
まおーちゃんの体温と鼻息で、私の唇のまわりが温められます。
「ん、んんんんっ!?」
「‥‥これでいいだろう」
私はぱちりと目を開けます。
顔が真っ赤になったのか、空気を冷たく感じます。
まおーちゃんはふふっと笑います。
「‥今のは、魔族のキスだ」
え、今、私の口にキスしたんですか?
え、ええっ、えっ?
それより、魔族のキスってことは、わ、私とセックスしろってことですか!?
ど、どうしよう、さすがにそこまで私は冷静になれません。
私が狼狽しているうちに、まおーちゃんはまた椅子に戻って、私の片手をゆっくりなでます。
「‥アリサの返事を待っておる。アリサの方からキスしたが最後、貞操はないと思え」
「え、えええっ、な、なんで、今仲直りしたばかりじゃん、いきなりセックスだなんて‥‥」
「魔族は血の気が多いのでな。そんな妾が主導権をアリサに譲ってやっているのだ、感謝しろ。少なくとも妾は、アリサのほうからキスしてくるまで襲うことはない。キスはアリサの好きなタイミングでしろ」
さっき私が言ったことをそのまま返されてしまいました。
主導権は私のほうにあるなんてひどいです。うう。まおーちゃんは私を試そうとしているのでしょうか。
「‥分かったよ。ヴァルギスちゃん待っていてね」
「うむ、待っておるぞ」
そのあともまおーちゃんはずっと私のベッドの横に座っていてくれました。
私はまおーちゃんと、エスティクで初めて会った時の話や、次の決闘大会の話など、いろいろ話しました。
あれ、何か忘れているような?
ドアのノック音がします。
「もう話は終わったの?」
メイの声がして、私ははっと思い出します。
「お姉様、忘れていてごめんなさい!もう入っていいです」
「ったく‥ずっと図書室で待ってたのよ」
そう言って、メイはドアを開けます。メイ、ラジカ、ナトリが部屋に入ってきます。
「‥その様子だと、恐慌は使われなかったみたいね」
メイはまおーちゃんとは反対側のベッドの隙間に入って、椅子に座ります。
「大丈夫です、お姉様。それより私、ちょっとお風呂に入らないと‥‥」
「えっ、じゃあ私が世話してあげるね。タオル作ってくるわ」
「待て。妾が明日の昼までこやつを世話することになった」
まおーちゃんが説明するとメイは驚いた顔で「そ、そう」と答えます。
メイからは後日、「王族に世話されることはたとえ恋人同士でも畏れ多いのよ。あんたもしっかりしなさいよ」と叱られました。
その日は、まおーちゃんは城の者に見つかったら困ると言って自分の部屋に戻って寝ましたが、それ以外はつきっきりで私の隣りにいてくれました。
◆ ◆ ◆
翌日午前、私はベッドの上で地図やガイドを広げます。魔族語ですが、理解できないことはないです。
まおーちゃんも横の椅子に座って、一緒に地図を見ています。
「王都にはこんなところもあったんだね」
「うむ、水族館以外にもいろいろな施設があるのだ。少し離れたところに動物園もあるぞ」
「わあ、こことか迷うな」
まおーちゃんと一緒にデートの行き先を相談します。
それを、テーブルの椅子に座っているメイやラジカ、ナトリは遠巻きに眺めます。3人とも頬を緩めています。
「‥平和になった」
ラジカが言うと、ナトリはうなずきます。
「一時はどうなることかと思ったが、うまく仲直りできてよかったのだ」
「私たちも反省しなくちゃいけないけどね」
メイが、決闘大会でアリサ宛に渡されたプレゼントのお菓子を袋から出して、大皿に盛り付けながら言います。
「ラジカも、そろそろカメレオンを使うのやめてほしいわ。真剣なお付き合いを覗くほうが失礼だわ。今までアリサが黙認してたのは中途半端な気持ちだったからよ。今のアリサを信じてるって、私たちからもメッセージを出すべきよ」
「分かった」
ラジカはそう言って、自分の胸のポケットに入れていたカメレオンを指でつつきます。
そのカメレオンは透明から緑色に変色し、ぴょんぴょんとポケットから飛び出して、テーブルに降り立ちます。そこにラジカが、一枚のお菓子をカメレオンの口に近づけます。
カメレオンはぱくぱくとそれを食べていました。ラジカはそのカメレオンの頭を、優しく指でなでてあげます。
窓の外には、曇り一つない真っ青な空が広がっていました。
第5章はこれで終わりです。
次回からウィスタリア王国との戦争が始まります。悲しい話が続きますので、苦手な方はご注意下さい。




