第138話 魔王に謝りました(1)
翌日の朝になると、私は腕が動かせる程度には回復していました。体も、メイやラジカに手伝ってもらえれば起こすことができます。
そうやって私がベッドの後ろにもたれて、メイにおかゆのようなものを口まで流し込んでもらっていると、ハギスが部屋に入ってきます。
「どうだった?」
最初に、テーブルに座って私たちの様子を見ていたラジカが尋ねます。
しかしハギスは、首を横に振ります。
「だめだったなの。でもなんとかお願いして、テスペルクと話す時間を作ってくれることになったなの」
「それは‥最悪でもないけど、最高でもないわね」
メイは顔をしかめます。
私は声を出そうとしますが、「あ、あがが、は、ら‥‥」といった声しか出せません。舌はなんとか動くものの、まだ顎が動かせないようです。それを見たメイは、ハギスに言います。
「こんな状態ではまだ話せないわ、せめて夜まで待ってもらえるかしら?」
「分かったなの、そう姉さんに伝えるの」
ハギスはそう言って、部屋から出ていきます。
「これからどうしよう‥‥」
メイがため息をつくと、ナトリはテーブルの椅子から立ち上がります。
「書籍によればこのペースだと夜までには発音できるようになると思うが、ナトリは町に行って、今すぐ解呪できる人がいないか探すのだ」
「分かった。私はここでアリサの世話をするわ。ラジカはどうするの?」
「アタシはナトリを手伝う。何かあったらカメレオンをここに置くから連絡して」
「分かったわ」
ナトリとラジカが着替えて部屋から出ていきます。
お昼くらいになると顎が動かせるようになりました。まだ複雑な動きは無理ですが、簡単に噛むくらいならできそうです。メイはパンをちぎって、私の口に入れてくれました。
まだ首や脊髄が動かないので背中は曲げられないですが、脚がかすかに動きます。歩けるようになるにはリハビリが必要かもしれませんが、私の行動のメインは浮くことなのでさして問題はありません。むしろ浮くからこそ、背中が曲げられるようになれば結構変わってくるのですが。
メイはトイレも世話してくれました。はじめは私に使い捨てのおむつをつけてくれて、私がベッドで横になったまま用を足していたのですが、今日の昼ころになると簡単な魔法が使えるようになったので、魔王城から車椅子を借りて私を乗せてトイレの個室の前まで連れてくれました。私は自分の体に浮遊の魔法をかけて便座に移動しますが、まだ魔法がうまくコントロールできないので、その都度メイに位置を調整してもらいました。ちなみにメイも浮遊の魔法は使えますが人を浮かしたことはなく、間違って落としてしまうかもしれなくて自信はないと言っていました。
恐慌状態もなかなか大変です。全身が麻痺して寝たきりになった人って、苦労しているんですね。魔法が使えるだけまだましです。
午後は、せめて魔族語に慣れるだけでもと思って、魔族語の絵本を何度も繰り返し読みました。発音の練習ができなかったり、辞書をばらばらめくるような器用なことができないのはもどかしいですが、慣れるだけでもと思って文章の雰囲気を掴むことに集中しました。
◆ ◆ ◆
夕方にナトリ、ラジカが帰ってきます。ついてにハギスも呼んできたらしく、私を含む5人で作戦会議します。ベッドで身を起こした状態の私を囲むように、4人が椅子を持ってきて座ります。
最初にナトリが話します。
「悪い報告なのだ。恐慌状態を解除するには聖魔法の、それもかなりの術者が必要で、そういう人は教会に集まっているものなのだが、この国は国家防衛上の理由で王都に教会を置くことを許可していない。最寄りの教会は、ここから馬車で2日分離れているそうだ」
「まあ‥‥そりゃそうね。魔王に対抗するための力が真近にあると危険だものね。教会まで往復4日だし、自然治癒するほうが早いかもね」
メイは、やれやれと言って腕を組みます。
ナトリはそれから、目を伏せてさらに重々しい声で言います。
「‥‥さらに悪い報告があるのだ」
「えっ?」
「図書館で調べたのだが‥‥恐慌状態になっている相手をさらに恐慌状態にすると、特別な解呪がない限り一生植物状態になることがある」
それを聞いたメイ、ハギスは目を丸くします。ラジカは図書館でナトリと話して知っていたのか、あまり大きなリアクションを取りません。
「だから恐慌状態にする魔法は今は禁呪であり、使い方の説明は記録として残っていないそうだ。だが一部の選ばれた人は、相手と目を合わせることで詠唱がなくとも恐慌魔法を発動できると書いてあった。おそらく魔王はこれだろう」
それを聞いたメイは、ナトリの顔を見つめます。
「‥それってつまり、アリサが今夜魔王への謝罪に失敗して、万が一魔王を怒らせた場合‥解呪の方法が見つからない限り植物状態になって戻らなくなるかもしれないって意味?」
「そうなのだ」
「その特別な解呪の方法を知ってる人はいるの?」
「方法は文献として残っているので時間はかかるが可能なのだ。ただ習得できるのは選ばれた人だけで、それを探すのに苦労しそうなのだ」
「絶対最悪よ!」
メイはナトリから視線をそらします。
ナトリは私の顔を見ます。
「そういうわけだ。お前には、万が一の場合に備えて今夜魔王と話さない選択もあるんじゃないのか?」
「そんなの、ダメなの!」
ハギスが割り込んできます。
「姉さんは10年くらい前に信頼していた人から裏切られて7年間閉じ込められたことがあって、裏切りには特に厳しい人なの。ただでさえテスペルクが姉さんを裏切って他の女と2人きりになったから怒っているなの。テスペルクが今夜姉さんと話す約束すら守れなかったら、いつまでも仲直りできなくなるかもしれないなの。仲直りは早いうちにしたほうがいいの」
「そうはいっても、テスペルクにはこれからの人生もあるのだ。万が一の時は残念なのだが、魔王だけがテスペルクの人生ではないのだ」
ナトリが反論します。ナトリも軽い気持ちで言っているのではなく、ところどころ声のトーンが不安定です。声を荒げたかと思えば急にしぼんだり。ナトリも本当はこういうことを言いたくないんでしょう。
それを感じ取ってもなお、ハギスは食い下がります。
「仲直りできるのは、一生でこの一度しかないかもしれないなの!絶対今夜中に仲直りしやがれなの!」
「他にいい人が見つかるまでの辛抱なのだ。大切なのはテスペルクの命なのだ」
ナトリとハギスは言い争いを始めます。見かねたメイが止めに入ります。
「待って。魔王に謝罪して許しを請うか、自分の命を大切にして魔王と別れるか、決めるのはアリサ本人よ?」
2人は黙ってしまいます。
メイは、私と目を合わせます。
「アリサ、こんな重い選択、あたしだってあんたにさせたくないんだけど。どっちがいいか選んで。しゃべるのはまだ難しいから、挙手でいいわよ。今夜謝るなら右手を挙げて、謝らないなら左手を挙げて」
メイが言います。
その場に沈黙が走ります。
みんな、私を注視しています。
私はしばらく目をつむります。
答えは最初から決まっていました。
メイやナトリに心配をかけるようなことはしたくないけど、でも自分ならきっとうまくやっていける。根拠はないけど、自分とまおーちゃんはきっとうまくやっていける。
ここで不安になっちゃいけない。私はまおーちゃんと仲直りできて、明日デートに行ける。ダメだったら、その時に考えよう。
私はゆっくり、右手を挙げます。




