第12話 魔王に洗脳されました(1)
「‥ここだな」
まおーちゃんは、エスティク市郊外にある神殿近くの森をかき分け、道なき道を進んでいました。
ゆうべも通った道です。
「なんでこんなところまで?」
私もまおーちゃんの後を追います。せっかくのよそゆきの服に汚れがついているので、後でクリーニングに出す必要がありそうです。
馬車に乗っている時、まおーちゃんが急に、ここまで来たいと言い出したのです。ちなみにニナは、学校の近くで下ろしてあげました。
「妾はさっき、領主は貴様を攻撃していると言った。その理由を、貴様に身を以て知ってもらおうと思ってな」
そう言って、地面に生えている雑草を10本くらい引き抜きます。
「ええー、まおーちゃんがどうしてもって言うなら止めないけど‥」
「これでよい、戻ろう」
「えっ、それだけでいいの?」
「ああ。どうせ貴様は、薬草の授業の時も寝ていたのであろう」
「な、なぜそれを!」
夕日に照らされたまおーちゃんは、紅い手でぎゅっと薬草を掴みます。
「貴様は純粋すぎると思ってな。この魔王ヴァルギスから貴様への特別授業だ。ありがたく思え」
「わあい、まおーちゃんの授業なら寝ないで聞きますー!」
「授業は寝る時間ではないぞ?」
◆ ◆ ◆
寮に戻る頃には暗くなっていました。食事もお風呂も、ニナが「今日も夜遅くギリギリの時間になるけど、一緒にどうかな?」と言ってきたのでその誘いに乗ることにして、まずまおーちゃんによる薬草の調合を待つことにしました。
「この部屋に高度な結界を張るから、しばらく部屋から出て欲しい」
「ええー、まおーちゃんと一緒にいたいよー!」
「安心しろ、妾は逃げたりせん」
というやり取りがあって、私は廊下の、自分の部屋のドアの前で、ふわふわ浮きながら時間を潰しています。
と、そこにニナが通りかかりました。
「おーい、ニナちゃーん!」
「あっ、アリサ?どうしたの、今は1人?」
「うん、まおーちゃんが私の部屋で1人になりたいんだって、追い出されちゃった」
「そうなんだ‥」
ニナは不安げに、私の部屋のドアを見ます。
「‥アリサって、すごいね」
「えっ、何が?」
「アリサって、何があっても魔王のことを怖がらないし。それだけ強いってことだよね。私なんて、少しでも行動間違えたら殺されそうな気がするし‥‥」
そんなニナの様子を見て、私はニナの頬をぷにゅっと掴みます。
「ねえねえニナちゃん、私のことは怖くないの?」
「えっ?」
「ニナちゃんがまおーちゃんのこと怖いんだったら、そのそばにいる私は何なの?」
「えっ、えーっと‥‥」
ニナは回答に窮している様子です。私はにっこりと笑顔を作りました。
「私が怖くないんだったら、まおーちゃんも怖くないよ!安心して、まおーちゃんいい人だから!」
「そ、そうかな‥」
「いつでも気軽に話しかけてみて!」
「‥‥あ、あの、魔王が私に何かしないよう、アリサのほうからも見張ってくれる?それなら‥」
「おっけー☆」
二つ返事でためらわず即答しました。実際のところ、まおーちゃんがニナに危害を加えるようなシチュエーションが思いつきません。心配することはないでしょう。
その時、ドアが開いて、薄暗い部屋の中からまおーちゃんが顔を出しました。
「用意が終わったぞ。‥‥あれ、そやつも一緒か?」
「え、えっ、用意って‥?」
ニナが不安げに、ぎゅっと私の手を掴みます。
「まおーちゃんが特別授業してくれるって!ニナちゃんも、どう?」
「特別じゅ‥!?え、えーっと、私は遠慮しちゃうかな‥」
「そんなこと言わずにー!」
私は、ニナの手を無理やり引っ張って、部屋の中に入れてしまいました。
窓から月の光が差し込み、部屋の中をほんのり照らします。
ニナはドアの前で身構えています。いつでも逃げると言わんばかりです。一方の私は、まおーちゃんに誘われるがまま、部屋の真ん中まで来ました。
「それでは、これを飲んでみろ」
まおーちゃんがひとつのカップを私に差し出します。無色の液体ですが、ほんのり甘い香りがします。
「さっき取ってきた薬草を調合した」
「なるほど!いっただきまーす!」
何のためらいもなく、こっくんと飲み干します。
「‥飲んだか。して貴様、体に変化はないか?」
「うーん、そうだな、手がしびれて頭がちょっとくらくらするくらい?」
「そうか。じゃ、おでこを妾に差し出せ」
「うん、これでいい?」
私は手で前髪を上げて、おでこをくいっとまおーちゃんに近づけます。
「‥‥ここまであっさりしてくれる奴は貴様が初めてだ‥‥まあいい」
まおーちゃんは手を私のおでこにかざして、何やら呪文を唱えます。
私のおでこが一瞬、少しだけ光りました。
「‥‥あれ?」
なんだか頭の中がもやもやしてきます。
というより、得体のしれない何かが、私の体の中に入ってくるのです。
それはまるで、私の体を害するような、暴力的な、どす黒い何かが。
自分が自分でなくなるような気がします。
「ひっ‥」
ドアの前にいたニナが、ひざから崩れ落ちます。
後から聞いたのですが、私の体を黒いもやが包んでいたそうです。
私はまおーちゃんの顔を見ます。
このお方は。私より偉い人。
まるでそれが最初から私の中の常識であったかのように、記憶が刷り込まれていきます。
気がつくと、私は浮遊の魔法を使うのをやめて、魔王様にひざまずいていました。
「‥して、どうした貴様、何か言うことはあるか?」
「特にございません、魔王様」
「この世界で一番偉いのは誰か?」
「魔王様でございます」
「妾のことが恋愛の意味で好きと言ったな?」
「私めがそんな畏れ多いことを‥‥あれは言葉のあやでございます」
「妾は多忙なのだが、今すぐ魔物の国に帰ってもよいか?」
「はっ、一刻も早くお帰りいただけるよう、私もお力に‥」
そんな魔王様と私のやり取りを見て、ニナは手で口をおおっていました。完全に全身ががたがた震えています。
ニナを見て、魔王様は頬に笑みを浮かべたようです。魔王様は、ドアノブを指差します。同時に、ドアノブが黒く光りました。魔法がかかったのです。
ドアノブの光に気付いたニナがあわてて立ち上がって、ガチャガチャと回します。ですが、ドアノブは全く回りません。
「そ、そんな、ち、ちょっと‥‥」
ニナの狼狽ぶりをひと通り見た魔王様は、私に声をかけてきました。
「貴様、妾に忠誠心はあるか?」
「ございます」
「それを示して欲しい。今から、あの女を生け捕りにしてこい」
「ははっ」
私は魔王様に頭を下げた後、立ち上がります。
「い、いや、いや、いやあああああ‥‥あ、アリサ、わ、わかる、私だよ?冗談だよね?嘘だよね、こんなの‥‥私たち、あんなに仲良しだったじゃん、ほら、ねえ、ねえ‥‥」
近寄ってくる私を見て、ニナは涙を流してぶんぶんと首を振りながら、ドアノブにしがみついています。
「少し痛めつけても構わない」
後ろから魔王様の声がしたので、私はゆっくり、ニナに手をかざします。
私は手に魔力を集中しました。指先が、ぼうっと光ります。
ニナはその場に座り込んでしまい、死を待つ鴨のように、口元をピクピク動かして、私を見上げます。
「‥‥‥‥これくらいでいいだろう、生け捕りはやらんでよい。こっちに戻れ」
「はい、魔王様」
魔王様のご命令が出たので、私はそのまま何もせず、魔王様のところへ戻りました。
「はぁ、はぁ、はぁ、ああ‥‥」
後ろからニナの荒い息遣いが聞こえてきます。魔王様はふんと鼻をならして、私に次の命令を授けました。
「この部屋に明かりをつけよ」
「はい」
魔法でスイッチを操作して、部屋の明かりをつけます。
魔王様は片腕を上げて、ぶつぶつと呪文を唱えます。ばりーんと、結界の割れる音がしました。
「さて、次は貴様だな」
そうつぶやいて、私のおでこにちょんと指の先を当てます。
「‥‥‥‥あれ?」
私は目をぱちくりとさせます。
何か、自分に憑いていたものが取れたような、頭の中が軽くなるような気がします。
しばらく私の様子を眺めていたその少女は、次に私に質問します。
「妾のことを呼んでみろ」
「まおうさ、ま、‥‥まおーちゃん?」
「うむ」
「‥‥あ、あれ、私、今まで‥‥」
今までの自分が全く別の自分だったみたい。
自分の中にもう1人の自分がいたみたいで‥‥あれ?頭の中が混乱してきました。
「混乱するでない。今、貴様を洗脳したのだ」
「せ‥洗脳?」
私は戸惑うように尋ねました。まおーちゃんは、ベッドにぽすんと座って答えます。
「うむ。貴様はあまりにも魔力が高すぎるのでな、さすがの妾でも一工夫が必要だったぞ。まず、貴様に最初に渡した薬は、魔法防御力を下げるものだ。この部屋を暗くしたのも、高度な結界を張って妾の魔力を増幅したのも、すべて貴様への洗脳が中途半端ではいかんと思ってな」