第130話 ナトリとデグルの話
私、ナトリは夕食後、まおーちゃんの部屋に行って、机の前に並んで立ちます。
ナトリが、決闘大会で私に倒されて意識を失っていた間にあったことを説明し、まおーちゃんの机に折りたたまれた手紙と2個の薬を置きます。
「天界か‥にわかには信じられぬが、本当だろうな」
ナトリの予想通り、話を聞いた時のまおーちゃんは困惑気味でした。私も「ナトリちゃん、今の本当?」とやや懐疑気味でした。
「本当なのだ。その手紙の筆跡を見てくれれば分かるのだ」
ナトリが言うと、まおーちゃんは机の上の手紙を広げてみます。
まおーちゃんのまぶたがびくっと動きます。
「‥‥確かにこれはハクの字だ」
まおーちゃんはまだ信じられないという顔をして、それでも手紙をしっかり読みます。
途中で目頭が熱くなったのか、目を片手で隠しながら手紙を読み続けます。
「‥‥して、その大天使の名は覚えておるか?もしかしたら神話に出てくるかもしれぬ」
まおーちゃんがそう尋ねると、ナトリは「うーん‥」としばらく考えてから返事します。
「ジュギルと言うんだそうだ」
「ジュギルだと?」
まおーちゃんは目から手を離して、顔を上げます。何かを知っているような顔です。
「まおーちゃん、その人のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、魔族神話に出る人だ。平和と秩序の神が産んだとされる天使の名前だ。まさか実在していたとはな」
私の質問に答えると、机の端に置いてあったコーヒーカップを手にとって、飲みます。
ナトリはさらに続けます。
「地上ではデグルを名乗っていると言った」
「ええっ!?」
最初に私が驚きます。まおーちゃんも驚いた様子で目を見開いて、コーヒーカップを机の上に置くと、身を乗り出してナトリに尋ねます。
「それは本当か?」
「本当なのだ。ナトリは嘘をつかないのだ」
まおーちゃんと私はお互いの目を見合わせます。
私とまおーちゃんの前に度々現れて助言してきたあのデグルが、大天使だったのです。
「知ってるのか?」
逆にナトリが尋ねます。まおーちゃんは「ちょっとな」とうなずいて、身を引いて椅子に座り直します。そして、さらにナトリに質問します。
「‥この薬を飲めば、死なずに天界へ行けるのだな?」
「行けると言っていたのだ」
「そうか」
まおーちゃんは引き出しからビニールのような小さい透明の袋を取り出し、机の上の薬2個を入れて結びます。
「‥これは戦争の時に持っていこう。にわかには信じられぬ話だが、デグルが言ったのなら仕方あるまい。‥‥それで、ハクはどんな様子だった?」
袋を引き出しにしまうと、まおーちゃんはまたナトリを見上げます。
「物静かだが優しい人だったのだ」
「元気にしていたか?」
「ああ、ぱっちり元気なのだ」
ナトリが明るい声で答えると、まおーちゃんはふふっと笑って、手紙を折りたたみます。
その後もまおーちゃんはナトリに、天界の様子、ハクやデグルについていくつも質問していましたが、その後でにこっと私たちに笑顔をみせて言います。
「‥‥天界の様子はよく分かった。デグルからの伝言も理解した。今日の話はここまでにしよう」
その表情がどこか物寂しけだったので、私はナトリの横顔を見ます。ナトリも同じく察していたようで、「戻ろう」と言ってきたので、私はうなずきます。
「それじゃまおーちゃん、私たち先にお風呂入るね」
「うむ」
ナトリはできるだけ足音を立てないように歩いていました。私もそーっと、ドアにぶつからないように慎重に、ナトリの後ろに続いて部屋を出ます。
ばたんとドアが閉められたのを確認するとまおーちゃんは手で顔を覆います。
すすり泣きの声が、部屋中に漂います。
「ハク‥‥今も妾のことを見守っているのか。妾のために死んだというのに、貴様は‥‥」
涙で汚さないよう手紙を机の端にのけてから、まおーちゃんは顔を机に伏せ、泣き声をあげます。
小一時間くらい、そうやって一人で泣き続けていました。
◆ ◆ ◆
その翌日の夕食終了後。
私はうきうきした気持ちで「ごちそうさま!」と言いました。
「アリサ、今日は楽しそうね」
隣のメイが、不審そうに頬杖をついて尋ねます。
だってだって、今日は久しぶりにまおーちゃんと2人きりで話せるんですよ!?大会が4日間で、昨日も含めて5日連続で話してなかったんです。
「えへへ、ちょっとね」
そう言って私はいつも通りの調子で、椅子から浮き上がります。
同じく食べ終わったまおーちゃんも、椅子から立ち上がります。
「気になっていたのだが、人間たちは食事が終わった後に挨拶するのか?」
それを聞いて、私ははっと気づきます。そういえば、「いただきます」「ごちそうさま」と言う習慣は、この世界にはないのでした。
「子供の時にアリサが勝手に言いだしたのよ。あたしも不思議に思ってたけど、もう慣れたわ」
メイがそうぶっきらぼうに答えて、皿の上にフォークとナイフを置いて、ナプキンで唇を拭きます。
私の前世の記憶って、こんなところにも影響しているんですね。
「まあ言いたいことは分かるし、あたしは止めないわ。結婚相手に理解してもらえれば、それでいいんじゃない。‥あ、結婚しろと言ってるわけじゃないからね」
メイは最後のセリフを、慌てて付け足すように言いました。頬杖をやめて、椅子から立ち上がります。
うう、まおーちゃんと一緒にいる時に結婚とか言われると少し緊張しちゃいますね。でもこれくらいなら大丈夫です。
「大丈夫です、ねえまおーちゃん?」
「あ、ああ」
まおーちゃんは一瞬ためらったように返事します。
◆ ◆ ◆
これから、5日ぶりにまおーちゃんと2人きりです。やったー!
私は張り切って、魔族語の絵本と、決闘大会の前にまおーちゃんと交換した封筒を持ってきます。この封筒の中に、私がまおーちゃんにしなければいけないことが書かれてあります。あまり過激じゃなければいいんだけど。どきどきします。どっちみち初デートは確定です!この前は遊園地行ったけど、はじめから2人きりのデートってないですよねー!いやー!いやー!いやー!
私は初デートのことで頭がいっぱいです。まおーちゃんの部屋に入って、まおーちゃんの座っている机まで行って、これみよがしに封筒を机の上に置いて、両手を組み合わせてきゃっきゃっ言ってみます。
「ふむ‥この封筒は魔王様にしか開けられない魔法がかかっているようだね。さて、ここは私の部屋なのだが、何の用だ?」
なぜか男の声がしたので見てみると‥‥ケルベロスでした。
「え、え、ええっ!?」
私は顔を真っ青にして、机の上に置いた封筒を引っ込めます。それから私はケルベロスから目線をそらして、取り繕うように言います。
「あ、あ、あの、ケルベロスさんもお城に住んでるんですね」
「正確には執務用に部屋を借りている、だがね。残業がある時は家に持ち帰ることもあるが、たまにはこうして城内で仕事しているのだ」
「そ、そ、そうなんですねっ、すごいですね、あ、あの、えーっと‥‥」
さっきまで私がケルベロスに見せた愛らしい態度、もしかして多分、絶対に誤解されてませんか?
「あの、えっと、あの、私、別にケルベロスさんに異性として気があるわけではなくてですね、その‥‥」
たらたら冷や汗を流しながら弁明します。
ケルベロスは「ふふっ‥」と小さく笑った後、右を親指で指差します。
「魔王様の部屋は、君から向かって右だ。この部屋は私以外が使うこともある。次は間違えるな」
「は、は、は、はい、わかりました!!」
私は何度もぺこぺこ頭を下げて、急いでこの部屋から出ていきました。
私とまおーちゃんの関係がばれませんように!




