第122話 ナトリが目覚めました
まおーちゃんの体が浮き上がります。
エスティクで戦略魔法を使ったときも、まおーちゃんは空高く浮き上がったのでした。戦略魔法を使うと思って、私は結界を張った上でまおーちゃんと同じくらいの高さまで浮き上がり、手に魔力をためて放ってみます。
まおーちゃんはそれをあっさり避け、片手を振り上げます。まおーちゃんの背後から、無数の風の刃が襲ってきます。
私はもちろん結界があるので安心‥‥とはいきそうにないです。
刃が私の結界をガリガリ削る音が聞こえます。結界全体がギギギガガガと激しく振動します。
初めて結界が傷つきました。
私の結界も、まおーちゃんの前では無敵とはいきません。
ナトリのときも灼熱責めにあいましたが、結界そのものを破壊されるのは初めてです。
ウヒルのときも私の体は短刀で切り刻まれましたが、私の魔法を正面から破られるのは初めてです。
まおーちゃん相手に油断はできません。私は確信しました。
と、私が結界を耐えている間にまおーちゃんはさらに早口で呪文を詠唱していたらしく、両腕を広げるまおーちゃんの背後から、大量の風の刃が出現します。
どれも光すら反射して、日光に照らされてきらきらと光っています。
言葉はいりません。
破れた結界を補強する暇もなく、風の刃は次々と私の結界を襲います。
私は壊れゆく激しく振動して摩擦音を出す結界の中で、早口かつ正確に、必死に呪文を詠唱しました。
「デ・ガ・カミラ・ル・モルモンド・ホールラ・ヘイラル」
詠唱が終わるか終わらないかのうちに、ひとつの刃が結界を破って私の腕をかすります。
次々と、1つずつ管から出るように、結界の穴から入り込んでくる刃が、私の腕や脇腹、足を切り刻みます。
それでも私は、呪文の詠唱をやめません。
「サンダー」
激しく、全身の力を振り絞って放ったその渾身の魔法は、私の目の前に、電力を増幅させます。
巨大な光の玉となったそれは、膨大な電力、磁力、熱を帯びて私の盾となり、私に向かう風の刃を一気に破壊します。
電流が光の速さで空中を走り、まおーちゃんに襲いかかります。
まおーちゃんは結界で防ぎますが、私の電流は一本の細い線となり、一極集中、結界の破壊を試みます。
「んぐ、ぐううっ!!」
まおーちゃんが耐えてみせるのですが、それも限界に達したらしく、一本の電流が、先の鋭い錐の如く、まおーちゃんの肩をかすります。
まおーちゃんの服の布が破れ、皮膚がむき出しになります。マントにも穴が空きます。
わずかですがまおーちゃんにダメージを与えました。私はすかさず、次の呪文詠唱に入ります。
まおーちゃんも、呑気に話しながら戦う暇はないとみたのか、次の呪文を詠唱します。
私の魔法と、まおーちゃんの魔法が激しくぶつかり合います。
「な、なにこれ‥」
観客席で、メイもラジカも、まおーちゃんの姪のハギスですらも言葉を失っていました。
観客の誰もが、固唾を飲んでその様子を見ていました。
私とまおーちゃんの魔法は光となり、風となり、炎となり、氷となり、2人を取り囲み、お互いがぶつかりあって大きな轟音と暴風を生み、空中の戦いに関わらず大量の砂埃が舞います。
お互いの結界や体が傷つきあい、すかさず回復が入り、次の攻撃が入ります。
攻勢と守勢が目まぐるしく入れ替わり、どちらの選手にも猶予がありません。
その全ては信じられないほどのスピードで展開し、観客同士が少しでも話をしようものなら、大切な一瞬を見逃してしまいます。
「こ、こんな姉さん、見たことないなの‥‥」
ハギスが呆然として、思ったことを言葉にします。
まおーちゃんは今まで、誰に対しても圧倒的な力を持ち、今までの決闘大会でも色々な選手を秒殺してきました。
これはハールメント王国や魔族全体にとって「当たり前」でしたが、まおーちゃんにとっては少しのつまらなさを感じさせるものでした。
それが、私の登場で変わったのです。
まおーちゃんと互角、いや、それ以上の魔力を持つ私と初めて戦えて、まおーちゃんは幸運を感じていました。
私がまおーちゃんを召喚したときにも少し戦いましたが、あれを越えるほどの力を、今のまおーちゃんは放っています。
まおーちゃんの全力。それは、ハギスですら見たことのない、私と戦うときにしか見られない、激しい魔法でした。
誰もが、初めて見る必死なまおーちゃんの姿に驚き、困惑し、声援を送る者、恐怖を感じてお互いに抱き合う者、様々でした。
観客席入りしたケルベロスですら、初めて見る規模の魔法が、そこに展開されていました。
「こ、これが魔王様の力‥‥」
もっとも、その力を引き出す原因になった私もまた、まおーちゃんに負けないほどの魔力で、魔法をぶつけていました。
戦略魔法の許可は出ていますが、それには詠唱時間が必要になります。
隙を作って戦略魔法を詠唱しようとするまおーちゃん、それを阻止しようと次々と攻撃をぶつける私。攻撃の威力のひとつひとつが大きく、結界を張っても戦略魔法の使用すらかなわないでしょう。
私は空中で、虚空を蹴り、上へ跳び上がります。
まおーちゃんも私へ向かって猛スピードで飛び、拳に強い力を集めます。
私とまおーちゃんが、またぶつかり合います。
すれ違います。
お互いの体から血しぶきが上がります。
お互いは目を大きく見開いて、そして睨み、鋭く魔法を放ち合います。
◆ ◆ ◆
闘技場全体が、大きな地響きで揺れます。
それは、医務室ですら例外ではありませんでした。
私とナトリの試合が終わった後、瀕死のナトリが運ばれた医務室にまおーちゃんが駆けつけ、必死で回復魔法をかけました。
自分の親友を失うまいと必死にヒールをかけ、離れかけていたナトリの命をどうにかして留めました。
まおーちゃんは、ナトリの試合直後に心配して医務室まで駆けつけたメイやハギスに、箝口令を敷きました。
「奴は‥アリサは、友の死を乗り越えられるかを試したい。それが戦争というものだ。貴様らはナトリの容体を、決勝が終わるまで黙っておれ」
「そ、それでナトリは‥」
メイが尋ねると、まおーちゃんはかすかに笑って返事しました。
「心臓は動いているし、息もする。あとは意識を取り戻すだけだな。本人次第だ」
そうしてまおーちゃんと、安堵した様子のメイやラジカは医務室を離れます。
ナトリはそのあと、決勝が始まるまでずっと眠っていました。
決勝が始まる頃。
無人の医務室で、ベッドで横になっていたナトリの指が微かに動きます。
外から、激しい轟音が響きます。地震かのように、医務室全体が振動するかのように、ナトリのベッドも揺れます。
「‥‥ん?」
ナトリはその衝撃で、ぱちりと目を覚まします。
「‥‥あ、あれ!?」
医務室の天井が見えます。
ナトリは、意識を失っている間にあったことを思い出します。
自分はアリサに負けて瀕死の大怪我を負って、仮死状態になって、天界へ行って、デグルに送り返してもらいました。
自分の服装は天界で着ていた真っ白な服ではなく、さっきのアリサとの試合でぼろぼろになっていた、安い生地を使った作業用の服装でした。
ふと、自分の右手が何かを握っているような感覚に気づきます。ナトリは右腕を上げて、手を見ます。確かに、ハクからもらった手紙、そしてその中にある2つの固体――デグルからもらった薬が見えました。
あれは夢ではなかったのです。
ナトリはゆっくりと身を起こします。
医務室ですが、部屋には誰もいないようです。大抵は試合が終わった直後に控室の中でスタッフや他の選手が治療しているので、医務室にスタッフが待機する必要自体がなく、実際に常時待機するスタッフの割当もありませんでした。
そういえば使い魔のドラゴンは?辺りを見回すと、自分の隣に小さいベッドがあって、そこですやすや眠っていました。
ナトリはそのドラゴンに手を伸ばして頭をなでてあげるのと同時に、ひざを曲げて脚が動くことを確認した後に、ベッドから立ち上がります。
そして、右手を開いて、握りつぶされた手紙を見ます。
「‥‥ナトリは本当に天界へ行ったのだな」
自分が気を失っている間に天界へ行ったこと、そこで見聞きしたことをまおーちゃんに説明しなければいけません。
そして‥‥アリサに謝らなければいけないこともあります。
ブライドの高いナトリにとって謝るということは愚の骨頂でしたが、それでも謝らなければいけないと思っていました。だって、アリサは大切な大切な友達なのですから。




