第113話 ナトリと天界(1)
目覚めると、ナトリは見知らぬ場所にいました。
周り一面が真っ白です。ここは屋外らしく、空が広がっています。地面は真っ白ですが、触るとふわふわして柔らかいです。どういう物質で構成されているのか謎です。周りには白い四角形や半球型の簡単な形状をした建物が並んでいます。ただ空に広がる青色だけが、唯一の有彩色として自己を主張しています。
風景は完全に真っ白というわけではなく、日光が照らしており、建物には明確に影ができていました。薄い灰色の影は、空の青色以外殺風景な景色を彩り、周辺一帯にモノトーンのアートを形成しています。
(何なのだ、この風景は‥‥)
このようなデザインをした町を、今までどこでも見たことがありません。どうやら、自分は今まで訪れたことのない、まったく新しい土地に迷い込んだようです。
ナトリは自分の体を見ます。さっきの試合で全身に負った傷などなく、代わりに真っ白のワンピースのような服を着ています。
「そ、そうだ、ドラゴンは?」
探してみると、いました。緑色のドラゴンが、ナトリのすぐ後ろで眠っていました。
「お、起きるのだ!」
ナトリはドラゴンを揺り起こします。ドラゴンは少し眠たそうにあくびをしたあと、やわらかい地面の上で立ち上がります。
「た、立てるのか?」
ナトリはひざを立て、足の裏を地面につけます。手で触った時の感触とは全く違い、地面は硬く、摩擦があります。地面を手で触るときと足で触るときとで、全く異なる物質のように変化しているようです。不思議な地面です。
ナトリは「よっと」と言いながら立ち上がります。よく考えると、はだしです。
(それにしても、ここはどこなのだ?ナトリはさっきまで、闘技場でテスペルクと試合していたはず‥‥ここは闘技場ではないようだ。じゃあ、夢なのか?)
ナトリはそう思って、ほっぺたをつねります。
確かな痛覚が、頬から広がります。
(これは現実‥‥なら、ここはどこだ、どこなのだ‥‥?)
ナトリは辺りをうろうろします。ここは柵に囲まれた空き地のようで、家に囲まれています。囲まれていると言っても家がぴっしり並んでいるわけではなく、それぞれの家に広い庭があって、道があって、ゆったり囲まれている感じです。道も網目状ではなく、規則性もなく、家なりに伸びています。
「と、とにかく辺りを探して調べるのだ」
ナトリはそう言って歩き出します。ドラゴンも後ろについていきます。
ナトリが空き地から出たところで、誰かと出会います。見た目はナトリと同じような年齢ですが、頭に羊状のツノをつけています。透き通ったような薄い水色の髪の毛を伸ばしています。顔立ちを見ると、女かと間違えそうになりますが、男のようにも見えます。
その魔族がナトリたちの行く先を塞いだので、ナトリは立ち止まります。見知らぬ場所で出会ったこの魔族は敵かもしれません。ナトリと一緒に、隣のドラゴンも構えます。しかし少年は、腹に手を置いて、礼儀正しく頭を下げます。
「ボクはあなたの敵ではありません。ボクはハク・ハールメントといいます。姉がお世話になっています」
「ハク・ハールメント‥‥だと?」
ハクと名乗ったその少年は、頭を上げると、にこっと微笑みます。
魔王ヴァルギスの弟にして、ハギスの父でもあるハク。国姓|(王族のみが名乗れる特別な苗字)を名乗っている以上、人違いはないでしょう。
ハクはなぜ自分を姉の知り合いだと知っているのでしょうか。自分はハクが死んだ後に、ハクの姉と知り合ったはずです。ナトリは一瞬にして、その答えを確信しました。
「嘘だ、ハクは死んだと聞いたのだ」
「はい。ボクは3年前に死にました。ここは天界です」
「な、なっ‥」
ナトリは尻餅をつきます。天界と聞いた瞬間に全身の力が抜けたのでしょうか、あまりにも驚いて体が動かなくなったのでしょうか。尻や手を受け止める地面は、柔らかくぷにっとしていました。
ナトリは首を横に振りながら、少し後ろにさがります。
「嘘だ‥嘘なのだ。ナトリは死んだのか?認めない‥認めないのだ。ナトリにはまだやることがあるのだ。テスペルクとまだやることがあるのだ‥‥」
「ナトリさん」
ハクはナトリに手を伸ばします。
「一度起きてしまったことは取り返しがつきません。過去のことは忘れて、これからのことを考えましょう」
その口調はどことなく優しく、ナトリの体の震えを少し弱めます。
「大天使があなたをお呼びです。大丈夫です、怖くありません」
「大天使だと‥‥!?」
「はい。大天使は姉や、あなたの友達のアリサさんのこともよく知っていますよ。大丈夫です」
ハクはもう一度、華奢な女の子のようににっこり微笑みます。
もしかしたら大天使に会えば、自分はまた元に戻れるかもしれない。元に戻って、またテスペルクと会えるかもしれない。ナトリは、そのようなかずかな希望を抱きました。
「‥‥大天使とやらの場所に案内するのだ」
ナトリはハクの手を握って、立ち上がります。
◆ ◆ ◆
ナトリはハクの後ろについて歩きます。
実のところ、ナトリの頭の中は、まだ不安でいっぱいでした。
歩けば歩くほど、さっきの試合のことが思い出されます。あの大量の雹に全身を粉々に破壊され、打撲し、満身創痍で、全身から血を流しぼろぼろに骨折したはずです。ナトリはあの時の、今まで味わったことのないような感触、痛覚を少しずつはっきり思い出します。
「う、ううっ‥」
ナトリは立ち止まって、自分の胸を両腕で抱きしめます。
思い出せば思い出すほど、全身が恐怖で震えます。背筋が凍ります。
自分はあれだけの技を受けてしまった。全身がぼろぼろになって、身の毛もよだつような体験をした。あのあとの自分の体がどうなったのか、想像したくない。自分自身が血まみれになって、体のあらぬ場所が折れ曲がって‥‥他の人の死体なら少し嗚咽を覚えながらも見ることができます。でも、もしそれが自分の死体だったら?それを想像するだけでも恐怖に感じるのです。同時に、自分が死んだということが少しずつ生々しい現実として自分の体に刻み込まれてきます。
「大丈夫ですか?」
ハクは心配そうな顔をして、そんなナトリの背中を優しくなでます。
「少しここで休まれますか?」
「‥‥ナトリは平気なのだ」
早く大天使に会って、生き返らせてもらおう。体がぼろぼろなのも、きっと大天使がなんとかしてくれる。ナトリは何度もそう自分に言い聞かせて、前に歩き出します。ハクもナトリに合わせて、前へ進みます。
大天使の家は、周りとあまり変わらぬ、四角形の形状をしていました。見た目は1階建ての小さな民家のようにも見えます。本当にここが大天使の建物なのでしょうか。
ハクはそのドアをノックします。
「ジュギル様。ハク・ハールメントです。ナトリを連れてまいりました」
「入れ」
中から声がしたので、ハクはドアを開けて、ナトリとドラゴンを招き入れます。
「なんだと‥‥」
ナトリが思わずため息をつくくらいに、その中身は、家の外観とは全く想像できないくらい広いものでした。天井という概念はなく、白く円い柱が空高くまで伸びています。自分の前には、赤い絨毯でできた道が伸びていました。伸びる先には、玉座のように赤く立派な椅子があり、そこに1人の老爺が座っています。
ナトリはふらふらと、そこまで歩きます。ドラゴンやハクも、あとに付いていきます。
その老爺は白い立派な服を着ていて、身長を越えるほど大きな杖を手に持ちながら座っています。
ナトリはその玉座の階段の前まで来ます。老爺の威厳を全身にひしひしと感じます。この人は自分より偉い人であるというオーラを感じます。気がつくと、ひざまずいていました。
大天使を恐喝してでも元の世界に戻ろうというさっきまでの意思はどこへやら、ナトリは自分でも何がなんだか分からず、大天使に頭を下げます。




