68 クソゴミ作戦名
「さっき出て行ったばっかりなのに、また戻って来させられるなんて。クソメガネには謝罪と賠償を要求する」
「すぐに呼び戻してしまってすまなかったね。せっかく志貴クンがやる気になったところだから、少しでも早い方がいいかと思って。ということで、僕は謝罪したから、賠償は志貴クンにお願いするよ」
「はぁ!? 俺を巻き込むんじゃねえよ」
「だったら、シキには会長との契約を破棄して私の使役鬼になってもらう」
「何度も言ってるけど、そりゃ無理だっての。そういうことは俺じゃなくて、あっちの駄メガネに言えって」
「あはは。僕にも無理だなぁ」
「ふざけないで。いい加減、私にシキを渡して」
いつもよりも人口密度が高い生徒会室では、会長とモモが言い合いをして、俺がそこに巻き込まれるといういつもの光景が繰り広げられている。
だが、そんないつもの光景を見慣れていない黄村は、鬱陶しそうな目で俺たちの遣り取りを見ていた。
「あのさァ、そういうのは後にしてヨ。生徒会執行部の関係者が緊急招集されたんだから、そっち話の方が先だろ? おれだって生まれたての使役鬼の調整とか噂の管理で忙しいんだからサ、さっさとしてほしんだよネ」
「そうですわね。わたくしたち全員を集めるなんて、一体何事ですか?」
生徒会室には今、会長によって召集された執行部の三人と、ボランティア活動という名目の俺とモモがいる。
この面子が揃うのは、俺が初めて生徒会室を訪れたとき以来だろうか。
浮居は、クリーンルームとかいう場所に連れて行かれた。
生徒会室と同じ特別管理棟内にある一室で、そこは強力な空気清浄鬼が設置された明鬼素換気施設なのだそうだ。
元々は何かの実験のために作られた部屋だということだが、今はそこを借りている形になっている。
そこならば、浮居がこれ以上陰鬼素に蝕まれることはない。
俺が学園内の陰鬼素を綺麗さっぱり消して、浮居が自由に歩き回れるようになるまで、暫くはクリーンルームで待機してもらうことになっている。
それに、浮居が明の野良鬼だと分かった以上、間違ってもモモと接触させるわけにはいかなかった。
今更ながら、さっきは本当に間一髪モモに浮居の止めを刺されるところだったことを思い出して、肝が冷える思いがした。
思い出すといえば、クリーンルームに連れて行かれるとき、得意気に笑っていたニヤケメガネの顔が脳裏にちらついた。無性に腹が立つニヤケ面だ。
が、なんとなく釈然としないものも感じていた。
うまく説明できない、小さな違和感のようなもの。
注意して目を向けなければすぐに消えてしまうような、小さな小さな違和感。
それが何なのか考えようとしたが、全員の目を集めた会長が話し出したことで、俺の思考は霧散して、考えていたことが有耶無耶になってしまった。
「前に、嫉妬の鬼が増えているという話をしたことは覚えているかい?」
全員が軽く頷いて肯定の意を示したことを確認して、会長は数枚の紙を机に広げた。
「これはここ三か月のデータだ。一定以上の陰鬼素観測データと、蛋および野良鬼の発生率、人鬼鬼害の詳細だよ」
「七月から急激に増えてますわ。けれど、推移を見ると六月には既に予兆があるようですね」
「その通りだよ。ねえ黄村、その頃から増えた噂は何がある?」
「んー、七月なら断然一鬼夜行だけど。六月だと……確か、幸運の黄色いシャープペンの噂と、紛失物の噂が始まった頃だネ。どっちも未だに増え続けてる噂だヨ」
「どっちの噂が先だった?」
「ちと待ち。この辺に資料が――っと、あった。紛失物の方が一週間ばっかり早いかなァ」
黄村が出した資料を、会長と副会長が真剣に眺めている。
こうして見ると、普段はアレな執行役員もちゃんと仕事してんだなと妙に感心した。
「最初に無くなったのはネックレスか。ハンカチ、シャープペン、クロッキー帳と小物から始まって、ユニフォーム、スマホ、楽器――段々洒落にならないものが紛失してるわけだね」
「そうそう。ここまでくると紛失じゃなくて盗難だと誰もが思うケド、不思議と被害届は出ていない。なぜなら――」
黄村が意味深に俺を見た。
「一鬼夜行窃盗説があるからナ。一鬼夜行の報復が怖くて、みんな泣き寝入りだってサ」
「俺はやってねえっての」
「わかってるって。実際、紛失した物は見付かりにくい場所に隠されてたりとか、数日で持ち主のところへ返ってるのが殆どなんだヨ。ほら、こっちが持ち主の詳細だネ」
「なるほど。これは興味深いですわね」
「うんうん。ところで志貴クン、有翔理クン、この紛失物に共通するものは何だと思う?」
突然こっちに振られても困る。皆目見当もつかねえ。
モモもやはりわからないのだろう。小首を傾げながら俺を見てきた。
俺たちの様子を見ていた黄村が、にやりとしながら手元の資料をぱしぱし叩いた。
「んじゃあヒントな。ネックレスは彼氏からのプレゼント。ハンカチは有名ブランド物。シャープペンの持ち主は成績優秀、クロッキー帳と楽器はコンテスト受賞者、ユニフォームは全国大会出場者。スマホは、最近動画投稿サイトでバズった奴が持ち主だ。さて、わかるかナ?」
そこまで言われりゃ、なんとなく察しはつく。
「持ち主は、嫉妬された?」
「有翔理クン、正解! 答えられなかった志貴クンには罰ゲームでーす」
「なんでだよ」
「はいはいはいはい異論は認めません! 罰ゲームとして、志貴クンには囮になってもらいまーす」
「なんでそうなるんだよ」
「だって、志貴クンがやるって言い出したんだろ。僕は、その手助けができるかなーと思っただけだよ」
頭痛がしてきた。
罰ゲームとか関係なく、最初から俺を囮にするつもり満々だったんじゃねえか。
「順を追って整理しよう。まず、六月頃から嫉妬されたヒトの物が紛失する鬼害が出始めた。それはエスカレートしていって、七月には嫉妬の鬼が急激に増えた。その中にはヒトに紛れた人鬼もいて、現在では把握できない数の潜在的人鬼が学園内を跋扈している。蛋知鬼にかからない人鬼を見付けるために志貴クンに協力してもらっているけれど、正直それも捗々しくない。奴らの『頭』は相当小賢しい奴のようで、簡単には尻尾を掴ませないからね」
全員が頷く中で、俺だけが疑問符を浮かべていた。
奴らの『頭』とはどういうことだろうか。
「ああ、志貴クンには説明してなかったか。えーと……めんどくさいなぁ。央蘭々、説明してあげて」
「畏まりました、会長。では志貴クン、ヒトに紛れる人鬼についてはどのくらい把握してるのかしら」
「ヒトの理性と行動をコントロールして普段通りの生活を送っている、ってくらいなら聞いたけど」
「つまり殆ど知らないのね。その様子だと『原初の鬼』という言葉も聞いたことはなさそうね?」
頷く俺を見て、一瞬眉根を寄せた副会長が指先でとんとんと机を叩く。
「実は、鬼という概念が生まれるよりもずっと昔――まだヒトが国すら作れていなかった頃から、鬼についての記録は受け継がれて残っているの。その中に、ヒトの身でありながら神になった者たちの記述があるわ。後世の研究と鬼学の発展で、それらの『神』は元々『人鬼』だったことがわかっているの」
「鬼が……神になる?」
「そうよ。いくつかの条件を満たすと、鬼は神になるの。といっても、鬼学的に言えば、神も妖怪も幽霊も全部同じ鬼なのだけれど」
そういえば、前に会長がそんなようなことを言っていた気がする。
ヒトが安穏と生活する圏外にいる異界の存在――確か、それが鬼と呼ばれるモノだとかいう話だった。
思い出し、納得して頷くと、黄村が横から口を挟んできた。
「神といっても、悪神とか邪神とか呼ばれるような碌でもない代物サ。ただ、さすがに神とか呼ばれるくらいだからなァ、おっそろしく強いワケなんだよネ」
「そう。神と呼ばれる鬼は、ヒトに対してとても強い影響力を持っていることがわかっているの。見た目はヒトと変わらないのに、鬼としての性質がヒトの欲を喰らう。神は人鬼と違って、ヒトを集めて効率的に欲を喰らうのよ」
「人鬼は、理性が焼き切れるまで寄生したヒトの欲を喰らうデショ。けど神は、理性的に他のヒトから欲を奪う。欲を喰われたヒトは、寄生されたワケでもないのに理性を失くして――まァ、後はお察しってとこだよネ。昔は、大勢のヒトから無差別に欲を喰った鬼のせいで、村一つ消えたなんてこともザラにあったらしいヨ」
「人鬼なら、最悪寄生されたヒトが死ねば鬼も一緒に消えるけど、神の場合はそうはいかないわ。死ぬのはヒトだけ。神は残って、また新たなヒトから欲を喰らうの」
そりゃ悪心だの邪神だの呼ばれるわけだ。いわば神は、人鬼製造機みたいなもんじゃねえか。
理性を失くしたヒトの恐ろしさは、俺自身よく知っている。
そんな奴らがうようよと徘徊する光景を想像して、ぶるりと身震いをした。
「その神ってのは、どのくらいいるんだ?」
「七体よ。鬼学の徒では、これ以上原初の鬼が増えることはないと判断しているわ。尤も、つい最近イレギュラーで増えた神がいるけど――これに関してはある意味人為的に生み出されたとも言えるし、どちらにしても七体とも鬼学の徒がしっかり把握して管理下に置いていたのよ」
何故か副会長がじっと俺を見た。艶やかな視線に晒されて気後れしてしまい、視線を逸らす。
と、副会長だけではなく、この場の全員が俺に注目していることに気が付いた。
憐れまれているような妙な視線が気になるが、なんだかそれ以上考えてはいけないような気がする。
「……とにかく。わたくしたちは、ヒトから神になった鬼を『原初の鬼』と呼んでいるわ。何故かはわからないけれど、原初の鬼と同じ性質の鬼は自然発生しないことがわかっているの。だから、原初なのよ」
「ま、その代わりに『眷属』が生まれるんだけどサ」
「現代では、鬼学の発展と共に原初の鬼についても色々とわかってきたことがあるの。原初の鬼は、駆除することは実質不可能とされているのよ。七体のうち五体は大昔に一度駆除されているのだけれど、それでも蛋の状態にすることしかできなかったわ。ただ、一度駆除してしまえばそうそう簡単には生まれないこともわかっているの」
駆除しても尚、蛋の状態にしかできない。それだけで、神と呼ばれる鬼がどれほど強大な力を持っているか、同じ鬼として本能的にわかってしまった。
できることなら、そんな恐ろしい鬼とは出遭いたくもない。
とはいえ、話の流れからそうもいかないのだろうということは簡単に予想がついた。
「七体のうち二体は契約で縛られているし、ヒトに有益な鬼だと判断されているから今のところ問題ないわ。蛋になった五体についても、厳重に封印して管理していた。ただし――」
「最近、そのうちの一体が行方不明になっていることが発覚したんだよネ」
それが、今回問題になっている嫉妬の鬼だということらしい。
「嫉妬の鬼の狙いは、まず間違いなく孵化することでしょうね。ただ、強大な力を持つゆえに原初の鬼は膨大な鬼素を集めないと孵化できないの。そこで生み出されたのが『眷属』――つまり、ヒトに紛れることのできる人鬼なのよ」
「眷属は、子飼いの人鬼だ。言ってみりゃ、女王アリに食い物を運ぶ働きアリってとこだネ。眷属の恐ろしいとこは、宿主の行動をコントロールして他者にまで影響を与えられるってことなんだヨ。今回の場合は、誰かが誰かを嫉妬するように煽っている奴がいる。働きアリのリーダー、そいつが『頭』だネ。そうやって際限なく子飼いの人鬼である『眷属』を増やして、少しずつ原初の鬼の蛋に鬼素を溜め込んでくのが奴らのやり口なのサ」
黄村と副会長の話を黙って聞いていた会長が、態とらしく大仰な溜息をついた。
「まったく。どっかの無能が杜撰な管理をしてくれたおかげで、余計な仕事が増えてしまった。まあ、無くなった蛋については見当がついてるし、暫くは放っておいてもいいんだけど。放っておけないのは増えすぎた眷属だよね。どのくらいの数になってるか、僕らにももうよくわからない」
鬼学の徒が警戒するような強い影響力を持った鬼の眷属は、六月頃から学園に現れた。
それが今や、生徒会執行部でも把握できねえくらいうじゃうじゃ湧いてるってのが現状だ。最悪の場合、既に学園全体が鬼共の巣窟になっている可能性がある。
もしも全校生徒が何らかの形で眷属にされていて、これが一斉に孵化でもしたらと思うと――ぞっとするどころの騒ぎじゃねえ。
「そんなわけで、学園内に蔓延る鬼を一網打尽にするために、志貴クンには囮になってもらおうと思います! 作戦名は『嫉妬の炎を纏めて鎮火・バーニンジェラシーホイホイ大作戦!』だよ」
高らかに宣言された作戦名に、会長以外の全員が微妙な顔になった。
「そりゃないデショ」
「ダセェ」
「ネーミングセンス死滅メガネ」
「僭越ながら、わたくしも……それはちょっとどうかと……」
「ええええー!? 考えるのに一か月もかかったんだよ? 作戦名が決まらないと行動できないから、一生懸命考えたのに!?」
驚嘆の声を上げる会長に、モモが一瞬だけぴくりと眉を動かした。
表情の消えた顔から、ぎゅっと握られた拳から。苛烈な色がゆらりと染み出していく。
「もしかして……そのクソゴミ作戦名が決まらないから、一か月も嫉妬の鬼を放っておいた、の……? そのせいで、私や先輩が襲われたかもしれない、と……?」
「いやっ、そんなことないよ!? 物事にはタイミングってものがあるから。ね、央蘭々、そうだよね?」
「会長の深いお考えは、とてもわたくし程度の者には理解できませんが……だた、一か月も事態を先延ばしにしてまで考えた挙句がその作戦名だというのは、ちょっとどうかと……」
「ええっ!? 待って待って、何かなその、僕に向けられる剣呑な雰囲気。まるで怒ってるみたいだよ? ほらほら、女の子はいつでも可愛くスゥイートスマイルで、ね? ね?」
殆ど笑った顔を見たことない女子のツートップが会長を両側から威圧するのを眺め、俺と黄村は思わずこっそり視線を交わす。
ヒエラルキーの序列がなんとなく見えてしまったこの瞬間、俺と黄村の口から「ざまあみろ」という呟きが同時に漏れていた。
次回予告*イチャイチャ、イチャイチャイチャ。イチャ、イチャイチャ? イチャ!!
予告はいちゃいちゃしたり、いちゃもんつけたり、いちゃも何かと忙しいようです。ご了承ください。




