47 ぼっち言うな!
「話ってのはね、志貴クンに生徒会執行部の仕事を手伝ってほしいんだ。そもそも観識学園生徒会ってのは、学園内の鬼を駆除する目的でつくられた組織だからね。有益な鬼を遣って、有害な鬼を駆除するのが生徒会の役割なんだよ」
鬼を駆除すると会長は言う。
それは、『悪い奴』を消すってことだ。ついさっき、無我夢中で俺がやったような――。
手にこびり着いた血が、吐瀉物を撒き散らしながら意識を失った人が、正気をなくして虚ろな目をしていた奴らが、脳裏にフラッシュバックする。
気分が悪い。吐きそうだ。
耳鳴りがして、自分でもざあっと顔から血の気が引いていくのがわかる。
指先が冷たくなって、震えが止まらない。
俺に、またあれを、やれというのか……?
またあんなふうに、俺の手で誰かを傷付けろと?
いやだ。できない。むりだ。
あのときは無我夢中で覚えていなかったのに、今になって人を殴った感触が拳に戻ってくる。
いやだ。痛い。
できない。怖い。
むりだ。苦しい。
もう二度と、俺のせいで誰かが傷付くのは耐えられない――。
「でき……ない……」
掠れて震えた声で、拒絶の言葉を絞り出す。
――頼むから、もう俺にあんなことはさせないでくれ……。
懇願するように目を向けると、会長は憐れみとも呆れともつかない微妙な表情で俺を見下ろし、深い溜息を吐いた。
「あのね。ヒトにとって有害な鬼を駆除するのに、ヒトに危害を加えるようなやり方するわけないだろ。志貴クンみたいに無理矢理引っ剥がすような方法は……あんなやり方初めて聞いて、こっちが驚いたくらいだよ。あれなら寧ろ、こちらからお断りしたい。この先また万が一何か起こったときに、志貴クンの方法で駆除しなくて済むように、執行部のやり方で仕事を手伝ってもらいたいと思ってるんだけど」
心底嫌そうにそう言った会長の言葉に、安心してがくりと脚の力が抜けてしまう。
といっても、俺は命令されて傅いたままの姿勢だったから、無様に腰を抜かすことだけは免れた。
全身の緊張が解けて、震えも緩やかに止まっていく。
「今回は、予測していなかった事故だったから仕方ない。けど、本来は人に寄生する前に駆除するんだ。もし孵化して人鬼になってしまったとしても、専用の道具を使ってできるだけ目立たないよう速やかに駆除する。勿論、本人や周囲の人間に配慮した方法をとるから、志貴クンが心配するようなことは何も起きないよ」
俺は内心でほっと息を吐く。
会長は、椅子から立ち上がるとゆっくりこちらに近付き、跪いている俺の横にしゃがみ込んだ。
俺の顔を横から覗き込むような形だ。
「志貴クンはあの事件以来、極端に他人と関わることを避けてきているね。良くも悪くも突出せず、ヒトの群れに埋没するよう必死に努力してきたんだろう? 志貴クンの悲痛なまでの想いは、知っているつもりだよ」
心の殻を無遠慮に触れられたようで、居心地の悪さと奇妙な安堵を感じた。
隠し事を暴かれた恥ずかしさと、隠し事がなくなった安心感だろうか。
視えてはいけないものを視ている異分子の俺が、誰かをを巻き込んで危害を加えることなんてあってはいけない。そう思って誰とも関わらないことを決めたあのときの覚悟を、いま鮮烈に思い出す。
「それと同時に、志貴クンは誰かの役に立ちたいという相反する願いも持っているね。これはもう本能のようなものだよ。君の本質――抗うことのできない、鬼としての欲の性質なのだから」
――どういう、ことだ……?
眼球だけを動かして、横目で会長を見る。
驚きを隠せない俺に、会長はにいっと細く笑いながら俺の肩をぽんぽんと叩いた。
「悪いけど、こちらは鬼の専門家だよ。鬼としての志貴クンのことは、志貴クンよりよく知ってる。『貢献』が、キミのアイデンティティ――いや、本能と言った方がいいのかな。とにかく、志貴クンは誰かの役に立つことをずっと渇望している筈だ。けれど、誰とも関わらないと決めたことで、それが満たされない気持ちを持て余している。そこで僕のお願いなんだけど……執行部の仕事を手伝うことは、鬼害に苦しむ誰かのためになると思わないかい? 少なくとも、僕たちの仕事を減らしてくれるだけで、生徒会の役にも立っている。どうだい、悪い話じゃないだろう」
俺は、自分の中に燻っている――自分を支配しているといっても過言ではない、大きな感情をずっと持て余していた。
『誰かの役に立ちたい』『誰かに必要とされたい』
それは、肥大した承認欲求が歪んだ形になったものだと考えていた。
誰も知らない、自分の視ている世界を知ってもらいたい。人知れず、努力している自分を認めてほしい――。
そんな気持ちから生まれた感情だと、そう思っていた。
だけどそれが、叶わない願いだということも重々承知している。
誰とも関わらなければ、俺の願いは絶望的なまでに叶う可能性がなく、このまま重くなる感情に圧し潰され、苦しみながら生きていかなければならないこともわかっていた。
でも、それでも。
多くは望まないから。たった一人でいいから。
俺の居場所になってくれる人がいたら、俺はそれだけで頑張れるから――。
「志貴クン、答えを聞かせてくれないか。僕らを――この観識学園の人々を君の力で護ってほしい。君だけが持つ力を、学園のために役立ててくれ」
すうっと、身体を拘束していたものが消えていく感覚があった。
息切れするほどではないが、それでも手足がひどく重くて、怠い。
自由に動くようになった自分の体を感じながら、ゆっくりと会長に向き直る。
会長は、人当たりの良い穏やかな笑顔で俺の返事を待っていた。
これだ。この笑顔が信用できない。
コイツは、一見して爽やかな笑顔の裏に、狡猾で酷薄な笑顔も隠している。
飴と鞭のように二つの笑顔を上手く使い分けながら、巧みに誘導されてまんまと言いなりになるように仕向けられたことに酷く腹が立つ。
だというのに、俺の本能はコイツに従えと叫び声を上げ続けている。
――ああ、煩い。何もかもに腹が立つ。このどうしようもなく信用できない男に、俺の心の安息を委ねるなんて。
だけどどうしても、嫌だという選択だけはできない。
これが俺の抱える業だというならば、なんて面倒なんだろう。
「わかった、協力する。ただし、絶対に目立たないという条件で。だったら、大人しく言うことをきく」
俺の出した答えに、会長は何度も大きく頷いた。
俺の手を無理矢理とって、痛いほど固い握手を強要する。
「勿論だよ! 志貴クンが大人しく手伝ってくれるというなら、もう君に命令はしないと誓おう。自由登校期間中に、志貴クンを生徒会ボランティアとして登録しておくよ。活動開始は終業式から。それからは毎日、宜しく頼むね」
「ああ、わかっ――」
はたと、会長の言葉の違和感に気付く。終業式から毎日、とは……。
「夏休み中ずっとってことか!?」
「いやいや、さすがに週末は来なくていいよ。生徒も職員も誰も来ないし」
「そういうことじゃない」
「えー、ぼっちの志貴クンは夏休みの予定が何かあるのかい?」
ぼっち言うな! 確かに課題くらいしか予定はねえけども!
ぐうの音もでずに俺がぎりぎりとしていると、すっと会長の目が細められた。
「何モゴザイマセン。御主人様ノオ召シトアラバ、何時如何ナル時デモ馳セ参ジマス」
俺の意思と無関係に、俺の口が何か喋ってやがる。
もう命令しないとか言った舌の根も乾かないうちにこれかよ、と憤慨している俺に、クソメガネのあっけらかんとした声が降ってきた。
「大人しく手伝ってくれるなら、って条件が付いてたでしょ。ほんと、志貴クンは迂闊だし詰めが甘いし、いつか悪い人に騙されてとんでもない目に遭うんじゃないかって心配になるよねぇ」
正に今、悪い人に騙されてとんでもない目に遭ってるけどな! という俺の心からの叫びは、俺の意思に反して声に出されることはなかった。
*****
「じゃあ、執行役員の仕事について説明しよう。志貴クンにやってもらいたいのは、主に一般区域の清掃だね。鬼素の澱みを払って、蛋があれば回収する。こちらでもある程度やってはいるけど、とにかく一般区域は広いし、ヒトには鬼素も蛋も視えないから効率が悪い。志貴クンが手伝うって言ってくれて、ほんとに助かるよ」
すったもんだあったけれど、俺は結局生徒会の仕事を手伝うことにした。
役立つとか助かるとか、そんな言葉一つで尻尾を振る自分もどうかと思うが、それが俺の本能ならばもう仕方がないと諦めた。
「基本は只管地味な仕事だよ。掃除鬼で鬼素を集める、空気清浄鬼のフィルターを交換する。蛋知鬼の反応を見て、鬼素溜まりや蛋が発生していないか行って確認する。それから、もし人鬼を見つけたらすぐに僕か央蘭々へ連絡してくれ。志貴クンは手を出さなくていいから」
「わかった。人鬼が出たときは、黄村さんには伝えなくていいのか?」
「黄村はまだ自分の鬼を持っていない――というか、育てている最中なんだ。そっちに集中してるから今は生徒会活動も休んでるんだけどね。今日はさすがに人手が足りなくて、急遽手を貸してもらったんだ。だから、連絡は僕たちだけでいい。その端末鬼械にある通信鬼のアイコンをタップすればいつでも連絡できるから」
俺は、会長から貸与されたスマホによく似た機器を見た。
画面にずらりと並ぶアイコンの中に『通信鬼・会長』『通信鬼・副会長』というアイコンがある。
端末鬼械は、電話やインターネット回線を使用して通信するわけじゃない。
特別区域内は外部との情報交通を遮断するために、一切の電波がシャットアウトされているそうだ。
代わりに使われているのが鬼素を使った伝達経路で、そのための通信機器がこの端末鬼械ということらしい。
学園の随所に設置された蛋知鬼のモニタリングも、この端末でできるのだという。
「それと、一応だけど報酬も用意しているよ。その一つが、生徒会執行部公式発表のガス漏れと志貴クンの救命活動。ただこれはねぇ、目撃者が多すぎてどこまで信憑性があると思ってもらえるかわからないけど」
色々あって忘れかけていたけど、そうだった。
俺自身は無我夢中でよく覚えていないが、あの惨状を思い返すに、傍から見ていて大勢の人間に暴行したと思われたとしても仕方ないと思う。
今頃はもう、だいぶ噂になっていることだろう。写真も撮られていたみたいだし。
「そうそう。あの場にいた野次馬に撮られた写真や動画なら心配ないよ。騒ぎが起きてすぐ、一時的にあの付近の電波を乱しておいたからね。一帯のあらゆる電化製品は正常に動いてなかったよ。勿論、監視システムで確認済みさ。使わないに越したことはないけど、念のために学園内にはそういった防衛システムも完備しているんだ。万が一鬼のことが明るみに出ても、証拠がなければただの噂話として火消しもしやすいからね」
なんだか、とても聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がする。
もしかして生徒会がその気になれば、インフラを操って学園内の人間を丸ごと軟禁することもできるんじゃないのか……?
よし。俺は何も聞かなかったし、何も気付かなかった!
「それと、人鬼の鬼害者の記憶も封じ込めておいたよ。志貴クンのことも、あの場所で何があったかも覚えてない。本当はあの場にいたヒト全部の記憶を封じられればいいんだけど、残念ながら今の鬼学力ではそこまでは無理なんだよねぇ」
うわあ。なにそれ。鬼学えげつねえ……。記憶まで弄るとか、まじ……うわあ……。
原理なんか知らねえし知りたくもねえけど、確かに鬼学は扱いが難しいってのはわかった。
学ぶために厳正な審査があって、外部との交流を遮断されるのも納得な気がする。
「もう一つ。志貴クンは鬼学者ではないから、暫くは鬼学や鬼械に詳しいオブザーバーをつけてあげよう。それじゃあ、これからよろしくね」
そこで俺はやっと解放された。
体と心がすり減り疲れきって、よろよろともたつきながら第一学習棟まで辿り着く。
窓の外の見慣れた光景に安心するが、とっくに空が赤くなる時間だと知って一気に疲れが増してきた。
昼飯を食いっぱぐれたから腹も減った。
そういえば、生徒会室で出されたお茶菓子に手を付けていなかったことを思い出した。あのときはそれどころじゃなかったけど、今になって勿体なかったなと思う。
ふ、となんとなく廊下の隅に目を向けた。
俺がでろでろと呼んでいたもの――陰鬼素がぐるぐると漂って滓のように澱んでいっている。
俺はそれを、忌々しい気持ちで踏み潰し散らしてやった。
今までは意識して視ないようにしてきたが、こいつらはどこにでも存在する。
これからこの広い学園内、これを掃除して歩くのかと思うと、更に疲れが増してきた。
俺は「はぁ」と重い溜息を吐いて、怠い体を抱えながら、やっと帰路についたのだった。
次回予告*この世で最強の理不尽な存在を目指して日夜研鑽する者たち。人は彼らを理不人と呼んだ。
予告は予告なく理不尽なことをいわれるのが世の中です。「お、理不人は今日も元気だな!」と思うとあまり腹も立たなくなります。ご了承ください。




