21 あやっち(笑)
俺は、抵抗しながらも俺に屈して地に倒れ伏す鬼を冷めた目で見ていた。
藍葉を鬼から解放した時のような気持ちは、この男に関しては持てそうもない。
鬼の角を折る行為は、俺にとっても苦痛なのだ。決して好んでやりたいことではない。
覚悟はいるが、藍葉の時とゴリラ君の時ではその種類が違う。
前者は、他人の苦痛を理解してしまうことへの覚悟。後者は、自分を襲うであろう痛みや苦しみへの覚悟。
コイツの角など、探すまでもない。
ポケットの中にある俺の角が共鳴して、さっきからずっと警告音のように頭の中でガンガン鳴り響いている。
一応の脅威が去ったことで、急に意識してしまった不快な音に顔を顰める。
さっさと、折ってしまおう。
「さあ、鬼退治といこうか」
目の前に倒れる男の胸元からスマホを取り出すと、地面に置いた。
徐に自分の角を突き立て、静かに力を込める。瞼の裏と頭の奥がちりちりと痛んで、堪え切れなかった涙がじわりと目尻を濡らす。
画面の表面がパキッと軽い音を立て、罅が入った。小さな亀裂は、俺が少し力を込める度にじわじわと広がっていく。
ゴリラ君の周囲で爆発するようにどろどろと渦巻いていた嫉妬の鬼素も、彼に巣食う鬼と共に煙のように儚く消える。
彼の想いは、とても歪んでいた。
鬼が消えていくにつれ、俺の中に入り込んできた彼の想いも一緒に少しずつ消えていくが、想いの残滓のようや余韻だけはいつまでも俺の中に残っている。
止まらない涙は、彼の心と俺の心のどちらが流したものだったのか。
自分ではとても消化しきれないほど純粋で薄汚い想いと、それを決して見せたくはないというプライドと、自分を見てほしい、認めてほしいという願いと。
小さな子どものような自分勝手な欲望と、子どもではないからこそ抱いてしまった情欲の狭間で、彼はこんなにも歪んでしまった。
――そうか。お前、藍葉のことが好きなのか。
だからこそ、確実に自分の立場が上になるようにして彼女を手に入れたかった、と彼の心が俺に訴えかけてくる。
だけどそれは、ただの独占欲というものだ。藍葉の気持ちはそこに含まれてない。
友達も、好きな女も、自分の側に留めるためには歪んだ愛情で縛ることしかお前は知らなかったんだな。
……というか、藍葉の後をつけて動画撮ったり、家まで押しかけたり、俺よりこいつのがよっぽどストーカーじゃねえか!
なんで平和主義者のこの俺が、お前なんかに嫉妬されたり襲われたりしなきゃならねえんだよ!
ぱきっ、と妙な音がした。手応えが、硬いものから砂に変わったような感触になる。
やべぇ。
個人的な恨みから、予想外に力が入ってしまったようだ。
鍵の下で圧されていたスマホは、脆い飴細工のようにキラキラと舞いながら粉々になって砕け散った。
「モモ」
俺は振り返り、少し離れたところで唇に小指を当てているモモを見た。
何も言わなくても、俺が必要な時には絶対に手を貸してくれる。
モモがいるから、俺はどんなに怖くても安心して鬼と向かい合うことができる。
「助かった。サンキュな」
「おつかれ、シキ」
モモは俺の側まで来ると、背伸びをして、俺の頬を伝う涙を温かい指先で丁寧に拭ってくれた。
それから、優しく俺の背中をぽんぽんと叩いてくれる。
口ではあれこれ偉そうなことを言うけれど、肝心なところでモモが十分俺に甘いことはわかってるんだ。
だから、もうちょっとだけ甘えてみてもいいかな、と思って言ってみた。
「ところで、こいつのスマホ二台目なんだけど、さすがに今回は――「彼は何処かでいつの間にかスマホを失くした。探しても二度と出てこない。そうでしょ?」
「…………」
俺のセリフに被せてそう言い、にこりと極上の美少女スマイルを無駄に振りまく雇用主に、俺如きが意見できるわけもない。
スマホだったものの残骸を適当にその辺に散らし、誤魔化してみる。
見事に粉々になってるから、なんとか証拠隠滅はできてる筈だ。この間みたいに、下手に形が残るより良いと思うことにしよう。
可哀想だが自業自得だ。潔く諦めろゴリラ君。
「それより彼、どうするの?」
問われて、俺は倒れた男を見下ろした。
なんか、なんて言うんだっけこういうの。デジャ・ヴだったっけ? 違うか。
こいつこそ、おっさんがきっちりメンタルケアして未然に鬼化を防いでやるべきなんじゃねえの?
まあ、人鬼になっちまったら、何度でもまた俺が面倒見てやるけどさ。
ふと、思う。
もしかして。俺とこいつは、もう既に友達なのではないか、と。
何度も衝突し、その度に絆を深め、いつしかライバルと書いて友と呼ぶ、的な――……わけがないか。
いくら友達に困ってるからって、さすがに俺も友達はゴリラじゃなくて人間がいい。
それに、鬼になったコイツのことを、その気になれば俺は簡単に殺すことだってできる。
ただ一言、≪死ね≫と命令すればいい。
俺たちは対等ではない。そんな関係、友達でもなんでもない。
「ほっといていいだろ。俺が離れれば勝手に目が覚める」
モモは、小さく肩を竦めてみせた。
いつも無理矢理主導権を握られているから忘れがちだが、俺とモモは契約上対等の存在だ。
契約で、モモは俺が本当に嫌がることは命令できないし、そもそもモモは俺が嫌がるとわかって強要するような人間じゃない。
なんだかんだ言ったって、俺はモモを受け入れているのだ。それはきっと、モモも同じ。
もしかしたら、俺が真に友達になるべきは、俺の横に立つこの人ではないのだろうか。
思い付くと、それはとてもしっくりきて、これ以上ない名案だと思えた。対等で、お互いを受け入れていて、時々ムカつくけど、絶対に信頼できるパートナー。
俺は真っ直ぐ前を向いて、軽く息をつく。
いつでも側にモモがいてくれるから、俺の心はこんなにも凪いでいるんだろう。
「なあ、明日一緒に昼飯食わねえか?」
元はあのおっさんの言葉なのが癪だが、友達とは昼飯を毎日一緒に食うものなんだそうだ。
俺は、モモと新しい関係を築いていきたい。それはきっと、今よりもっと居心地の良い関係だと思っている。
緊張してまともにモモのことが見られないが、鬼素の揺らぎがないから、きっと嫌がってはいないだろうと少し安心する。
「できれば、明後日も。その次も。それで……」
「それで? 私のことも、あやっち(笑)みたいな名前で呼ぶ?」
思わず、思い切りモモに顔を向ける。
穏やかな微笑みを貼り付かせ、静かに燻るような鬼素を纏わり付かせたモモが、俺を真っ直ぐ見ていた。
あるぇー?
なじぇか怒ってらっしゃる?
「随分親しそうに呼んでたよね、あやっち(笑)って。でも残念だけど、契約上私のことはいつもの愛称でしか呼ぶことは許されないから」
「いや、ちょ、ま、そういう、アレじゃなくて……」
「それに、鬼学科は食堂で豪華昼食バイキングが食べられるんだよ。私はあやっち(笑)と一緒に明日も明後日もその次もずーっと食堂に行くから、シキは一人寂しく冷めたお弁当でも食べてれば」
モモが何に怒ってるのか知らんが、ここは平謝りに謝っておくに限る。
俺は、魂を込めて全力で謝った。何に謝っているのか全くわからないが、そんなことは問題じゃない。謝ることこそが重要なのだ。多分。
「私は、友達なんかじゃなくて……――」
だから、モモが何か呟いていたが、小さすぎるその声を完全に聞き逃してしまっていた。
こうして今日も俺には友達ができなかったわけですが。
しかも、どうやら巷で俺は凶悪な強姦魔と噂されているようなんですが。
友達の神様、こんな俺には、一体いつになったら友達が現れるのでしょうか。
次回予告*テキーラ! 飲めや歌えや陽気に騒げ!
予告は予告と関係なく未成年の飲酒は法律で禁止されています。ご了承ください。
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お読みいただきありがとうございます。
次回、新章です。やはり主人公には友達ができないようです。




