20 いくら俺でも、そろそろ泣くぞ?
後日談です。
情けない俺の、情けない後日談。まだ聞きたいんですか?
はあ。もう勝手に一人で話してくので、聞きたかったら勝手に聞いてください。
それもこれも、全部あのクソおっさんが悪いんだ。あいつなんて、コーラと間違えて冷蔵庫の麺つゆ一気飲みする呪いにかかればいいのに。
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あやっ……いや、藍葉が特別技術科に編入になると聞いた翌日、性懲りもなくまた、マウンテンゴリラ君がしょうぶをしかけてきた。
なんとなく予想はしてたけどな。本当に来るとは。
どんだけ暇――もとい、藍葉のことが気になってるんだ。
「おっ、おい! 昨日はよくも話の途中で、に、逃げやがって! 今日こそ逃がさないぞ!」
逃げたわけじゃないんだけど。まあどうでもいいか。
鬼素の色を視るに、ゴリラ君の震えの原因は恐怖6:怒り3:嫉妬1ってとこだ。
なんだその嫉妬って。
俺は昨日、やっとできた友達に振られた男だぞ。いっぱいの友達にマウント取って悦に浸ってるようなお前に、嫉妬される謂れは微塵もない。
「おまえ、一体アヤになにをしたんだ! アヤは学校辞めたんだぞ! まさか……まさか、本当に、噂になってるみたいに――」
はい、きました。俺の黒い噂。
その時点で嫌な予感しかしない。あんまり先を聞きたくねえ。
かと言って、この件に関して俺がゴリラ君に話せることは何もない。釈明も弁明の機会もなく、ただ黙って彼の言うことを受け入れるしかないのが面倒くさい。
「おまえが、あっ、アヤに暴行して……に、に、妊娠させた……って、本当じゃねえだろうな!!」
おおおおおおおおおいっ!!
本当じゃねえに決まってんだろ!!
噂にしたって酷い。いくら俺でも、そろそろ泣くぞ?
「あ、アヤにずっとメッセージ送ってたけど、とうとう夜にはスマホが通じなくなった。だからアヤの家まで行ってみたら、家の人がアヤのスマホは解約したって教えてくれただけで、アヤがどうしてるかは全然話してくれないし……お、おまえ、まままさか家族まで脅してるんじゃないだろうな!」
藍葉の家族なんて知らねえよ。
つーか、昨日あいつの家まで行ったのか。どんだけ行動派だよゴリラ君。
俺が黙秘を貫いていると、ゴリラ君の周囲の鬼素の揺らぎが急に激しくなってくる。
恐怖の鬼素がだんだん少なくなり、代わりに怒りと嫉妬の鬼素が増大して、ぐるぐると彼の周囲を取り巻いている。
そういやコイツ、素養があるんだったか。
にしたって精神脆弱すぎだろ。こんな欲望に忠実な精神構造では、本当に君の将来が不安で仕方ないよ。
確実にヒトからヒトでないものへ変わっていく様子に、俺は目を眇めてゴリラ君の変化をじっと見つめていた。
……おや!? マウンテンゴリラのようすが……!
へぇ。そういえば、今まで何度も鬼になったヒトは見てきたけど、鬼になる瞬間を見るのは初めてだな。
理性を失くすっていうのは、見た目からしてこうもヒトを獰猛な獣に変えてしまうものなのか。
これは、何も知らない奴がみれば突然、化け物にでも豹変したようにしか思えないだろう。
理解できない現実に恐怖し、自分の身を守る安全への欲が急上昇しそうだ。
安全への欲はヒト以外でも生物に共通する、生きるための根幹を成すものだが、ヒトはもっともっと欲深い生き物だ。
自分の身に危険が迫っていることを感知すると、安全以外にも、もっとこうしたかった、とか、生き延びたらこれをしよう、といった普段は抑えられている欲望が表層に現れたりすることがある。
これが蛋持ちだったりしたら、欲望が膨れ上がって一気に人鬼と化すことだって当然あるだろう。
藍葉もそうだった。
あいつ、全部思い出したって、普通に笑って受け入れてた。
自分の理解しがたい凶暴で衝動的な行動も、鬼に襲われて怖かったことも、鬼になってしまって辛かったことも、全部全部、受け入れることにしたんだな。
その上で正しい知識を学びたいって、家族も友達も置いてすぐに編入することを決めたのか。
それから、俺にもお礼を言ってくれた。
俺は今更ながら、彼女の覚悟の重さと、潔さ、前向きな心の強さを改めて感じていた。
一番衝撃を受けて辛いのは彼女自身だったろうに、あいつは周囲の人間のこともしっかり考えられる強い人だ。
モモが言っていたが、特別技術科には敵も多そうだ。確かな知識と技術がない鬼学生は、蛋を制御できずに鬼に呑まれることもあると聞く。
藍葉なら大丈夫だと信用はしているけれど、それだって可能性として全くないわけじゃない。
ヒトの悪意に対してはモモが助けてやれるだろうが、鬼の悪意なら俺の管轄だ。
友達として藍葉の役に立つことは無理だったけど、これからは先輩としてあいつの役に立ってやらねえと。
ところでマウンテンゴリラ君、キミ新しいスマホ買ったんだね。それも最新型なのかな?
どうでもいいけど、そのスマホまた角になってるよ?
ほらほら、危ないからそれ、壊すからな。
口の端から泡を吹きながら一声大きく咆哮し、零れ落ちそうなほど目玉をひん剥いた鬼が、地を蹴った。
爪先が地面にめり込み、くっきりと踏みしめた跡をつける。――そう思った時には、目の前から鬼が消えていた。
欲望に従い理性というストッパーがなくなった人鬼は、ただのヒトの時ではありえないくらいの力が出せるようになる。
鬼が俺の視界から消えるくらいに高く飛んだことはわかったが、上を向いてそれを確認する余裕はない。
俺の身体は、考えるまでもなく横に転がっていく。その方が走るより速い。
ぐるぐると回転する視界の片隅で、今まで俺のいた場所に鬼が拳を突き立てているのが見えた。
衝撃が地面を伝わり、派手に舞い散る土や小石が空中でぶつかる小さな音まで耳が拾う。
間一髪。
あんな力で殴られたら、堪ったもんじゃない。一発でも喰らったら、その時点で俺の負けが決まってしまう。
ゴリラ君の拳は痛々しげに拉げて血に塗れているが、痛そうな素振りも見せず自分の手を一瞥しただけだった。
まだ危機が去ったわけじゃない。
血走った鬼の目がぎょろりと動き、俺を捉えた。
目が合った、と思った瞬間には既に目の前に鬼がいた。一瞬で近付いてきた血走った目と開いた瞳孔に、内心ぎょっとする。
それでも俺は、冷や汗がつうと背中を流れていくのを妙に冷静に感じていた。
鬼が振りかぶった拳を、腕を廻して絡め捕れたのは奇跡に近い。
それでも、単純な力では鬼には到底敵わない。
押し負ける前に素早く、正面からぶつけられる力を斜めに逃がして身を翻す。
鬼からは目を離さず、縺れないのが不思議なくらい滅茶苦茶に脚を動かして、一気に距離を取った。
鬼も俺から目を離さずに、ぎろりと睨み続けている。
少しだけ距離を稼ぎ、俺に余裕ができた一瞬――その一瞬で勝敗は決した。
≪眠れ≫
鬼は、俺を睨みながらも抗えない力に抑えつけられて膝を折る。
意味不明な何かを吼えながら、それすらも段々小さな呻き声に変わってゆく。
それから、鬼は意識を手放してぐらりと地面へ傾いでいった。
次回予告*探し物は、どれだけ探しても出てこない。何故なら……
予告は予告なく見つからないのは、既に捨ててしまったからだと思います。ご了承ください。
空だと思っていた紙袋に一万円札が入っていた疑惑に、膝から崩れ落ちました。……ご了承……ください……うううっ




