19 考えるな。考えたら負けだ
俺が勢い込んで生徒会室に入ると、そこには予想外の先客がいた。
――呆れ顔のモモと、驚いているあやっち。
何故ここに、という思いもあったが、とにもかくにも彼女の顔を見て安堵した俺は、その場に崩折れてしまった。
杞憂に終わって良かった。何事もなくて本当に良かった。
「なんで夜行先輩がここに居るんですか!?」
「そりゃ、こっちの、セリフ、だ、」
息も絶え絶えに言葉を絞り出す俺に困惑して、助けを求めるようにあやっちがモモを見た。
「何を遊んでるのか知らないけど、お客さんの前だよ、シキ。おすわり」
当然、モモの唇には小指の先が。
俺は自分の執務机に『おすわり』した。
胡坐でも正座でもない。おすわり、だ。
尻は浮かせた状態のまま曲げられた膝と腿と脹脛が、限界のその先へと突入しようとしていた。
*****
モモの専用ソファには、いつものようにモモが座り、その横にはあやっちが座っている。このソファにモモ以外の誰かが座っているところを初めて見た。
ロングタイプのカウチソファだから、余裕であと二人くらいは座れそうだが、俺の席はいつもの執務机だ。
ソファ前のローテーブルには、ティーカップが二つ。今日の副会長専用ティーは、ニルギリにオレンジスライスとクローブを浮かべたものにしてみた。
俺の淹れたお茶を飲むと、モモは満足そうに小さく「ん」と呟く。あやっちは相変わらず困惑した顔で俺とモモをちらちら見比べながら、出されたお茶を飲み更に困惑顔になる。
あやっち、考えるな。考えたら負けだ――俺が。
なんで俺がモモにお茶を淹れているのかとか、なんで俺がモモの好みを把握してるのかとか、なんで俺が必死にお茶の淹れ方を習得したのかとか。そんなこと、絶対に考えたらダメだ。
「とにかく、来週から文ちゃんには生徒会執行部に所属してもらうことになったから。私のデスクの上の書類にサインしといてね、生徒会長サマ」
モモが発した生徒会長という単語で、あやっちが驚いたように目を剥いた。
あの反応。あやっちも、俺が生徒会長だってことは知らなかったのか。
「いやいや。とにかくじゃなくて説明をしろよ」
「説明は、簡潔に結論から、が鉄則でしょう?」
「そうだけど。いくらなんでも簡潔過ぎるだろ」
俺とモモが言い合っていると、そこにあやっちが口を挟んできた。
ふかふかのソファでバランスを取り難そうにしながらも一生懸命姿勢を正して、俺を正面に見据える。
「あのっ、すみませんでした! 知らなかったとはいえ、夜行先輩には危ないところを助けて頂いたのに、お礼もしないで失礼なことばっかりしちゃって。本当に、あのときはありがとうございました」
俺が助けた危ないところだなんて、あのときのことしか思い当たらない。でもあれは、確かに鬼憶装置で記憶を沈めたはずなのだが。
口をぽかんと開けた俺に、あやっちは悪戯がバレた子供のようにくすっと笑う。
「実は一昨日先輩と会った後、先生に呼び出されて色々と話を聞いたんです。それが呼び水になって、大体全部思い出しちゃいました」
「文ちゃんは、特別技術科に編入になったの。中途編入なんて滅多にないから、私が面倒みつつ、生徒会の仕事も手伝ってもらうことで落ち着いたの」
「なんで!?」
待った待った。幾らなんでも青天の霹靂過ぎる。予想もしていなかった怒涛の展開に、頭が追いつかねえ。
あやっちは、一般区域の鬼害者だったろ。なんでそんなことになるんだ?
「昨日は特別技術科の編入試験を受けました。鬼とかなんとか、実を言うとまだよくわかってないんですけど……。でも、あのとき自分が普通じゃない状態だったことは、今ならわかります。先生からも桃山センパイからも沢山お話を聞いて、自分が正しくあるためにはもっと知識を身に着けなきゃな、って編入を決めました。今日付けで普通科からは籍が抜ける予定です」
「まったく。全部あのおっさんの言う通りにしなきゃいけないのが腹立つけど」
モモが言うには、鬼を遣う才能を持つ人は、得てして鬼に呑まれやすいそうだ。
だからこそ、鬼学の徒の連中が早めに才能ある子どもを見つけて監視し、自分の意思で鬼学を学ぶかどうか決められる年齢――高校に上がる時に、鬼学の徒の一員となるかどうか選択させるのだという。
選択とはいうが、特別技術科の推薦を受ける者は殆ど全員が学園に入学することになる。
というのも、鬼学の徒は監視している子どもを周囲の環境から長年かけてうまーく誘導し、学園に入るべくして入るという状況にしていくのだそうだ。
ところが、元々鬼を遣う素質を持ちつつも、その才能がはっきり発現しないため、鬼学の徒から見過ごされるヒトもそれなりにいるらしい。
大抵はそのまま一般社会で生活しても何の問題もないのだが、稀に鬼と接触することで急に才能を発現させることがあるのだとか。
それが、あやっちだった。
彼女のように途中編入したり、大人になってから観識学園とは違うルートで鬼学の領域に足を踏み入れる者もいないではないが、それでもかなり珍しいそうだ。
「文ちゃんは、私と同じ鬼を操る能力持ちだし、生徒会に在籍してれば不要なトラブルも減るだろうから」
「トラブル?」
「色々あんのよ、鬼学科にも。選民意識の固まりみたいなのとか。まあ学園側にも思惑があって、文ちゃんと私を一緒にしておきたいみたいだし」
――ああ、と納得する。
モモは言い方が気に入らない、と特別技術科ではなく鬼学科と呼んでいる。つまりは、自分が『特別』な人間だと錯覚している者も中にはいるのだろう。
そこに、途中編入という『特別』でありながら、鬼学は素人同然のあやっちが入れば、どうなるかは推して知るべしだ。
だからこそ、モモが面倒をみることになったのか。
生徒会執行部は特別技術科の中でも一部の人間しか関われない更に特別扱い的な場所だから、モモの庇護下にいればある程度の虫除けにはなるのだろうし。
それにしても、あやっちが使役鬼を持つかもしれないのか。彼女に寄生した鬼を知ってる俺としては、妙に感慨深いものがある。
考えてみれば、確かにあやっちは向いていると思う。
彼女の直向きな心の強さに鬼学知識が加われば、もう二度と鬼に呑まれたりすることはないだろう。
「そうか。ということは、俺があやっちと契約することもできるのか」
単純にそう思ってなんとなく口にしただけなのだが、俺はもっとよく考えてから発言するべきだったと後悔した。
口は災いの元。
後悔先に立たず。
あっ、と思ったときには遅かった。
「つまり、私との契約を反故にしたいってこと? いい度胸じゃない」
「あの、すみません。先輩とはもう生徒会活動以外では接点がなくなるわけですし、生徒会でも役員同士ですから、友達関係は当然解消になります。……なので、申し訳ないんですけど、その呼び方もうやめてもらえませんか?」
俺はこの日、新しくできた後輩への学習教材として『躾』の見本にされた上、やっとできた友達までまたいなくなりました。
次回予告*降りかかる厄災。呪いのかかった黒い液体が、今……!
予告は予告なく呪いの黒い液体は絶許。ご了承ください




