15 昼休みの残り時間、あと四十分
「あのっ!」
彼女がそう言うと、誰も声をあげないまま教室中に緊張感が走った。
俺の教室は、いつも静かだ。
大人しいやつらばかりが集まったクラスなんだろう。クラスメートが教室で無駄話してるのなんて見たことない。
ヒソヒソコソコソ俺の方を窺いながら小声でなんか話してたりとか、俺が教室の外にいるときだけ大きな笑い声が聞こえてきたとか、そんなことはたまにある。
けど、基本的には静かで大人しいクラスだ。
もっと高校生らしく友人とバカ話したりとかすればいいのに、なんて余計なことを思うけど、俺が言うのは本当に余計なことだよなそうだよ知ってる俺のせいだよな俺一人いるせいで雰囲気悪くしちまってゴメンなクラスのみんな俺はできるだけ教室の外に出るようにしてるから俺のいない間に存分に俺の噂話とか俺の噂話とか俺の噂話なんかして交流を深めてくれよちくしょう!!
だから俺も、まさか朝っぱらから教室で自分に話し掛けてくる奴がいるなんて思わなかった。
しかも相手が、あの藍葉礼嶺だったから、ビビったなんてもんじゃない。
彼女を認識した瞬間、俺はびきっ、とフリーズした。
その上、彼女が突然とんでもないことを言い出すもんだから、反射的につい俺もとんでもないことを言っちまった。
「夜行先輩のせいで、友達がいなくなっちゃったんですけど! どう責任とってくれるんですか!?」
「えっと? じゃあ、責任とって俺が友達になり、ます?」
今度は、クラスの奴らがフリーズする番だった。
いやもう本当に申し訳ない。
*****
昼休みの、第一学習棟。
俺にとっては馴染みの場所で、彼女にとっても縁深い場所。
殆ど物置と化した校舎の、嘗て教室だったであろう空間の中。適当にその辺の椅子を持ってきて、俺たちは差し向かいになる。
「へえ。意外とキレイなんですね。もっと埃っぽいかと思ってました」
開口一番、藍葉礼嶺がそう言った。
そりゃそうだろう。普段全く使われてない場所だけど、俺がこまめに掃除してるからな。なんだか誉められたような気がして、嬉しくなる。
で、俺たちがどうしてここにいるかというと。
「友達だったら、毎日一緒にお昼ごはん食べるのは常識じゃないですか!」
という、彼女の主張による。
何処で食べるかと迷っていた彼女に、あまり人目につかないこの場所を提案した。
しかし、友達にそんな常識があるなんて、友達スキルレベル0の俺は全然知らなかった。友達いない歴=ほぼ年齢じゃ、いきなり友達ができたってどうすればいいかさっぱりわからなかったもんな。
だから彼女は、俺にとって友達の師匠でもある。
子どもの頃から毎夜寝る前、友達の神様に「明日こそ友達がてきますように」とお祈りしてたのが効いたのかもしれない。
今夜は念入りにお礼を言わなければ。なんならお供えもしよう。
それにしても、いきなり学年の違う女子の友達とは、友達神も奮発したものだ。
一年前には親友と過ごしたことはあったが、アイツは同級生の男だったからな。勝手が違う。
贅沢をいうわけじゃないけど、友達初心者の俺にはちょっとハードル高過ぎやしませんかね、神様。
俺たちは二人きり、差し向かいで、それぞれ弁当をつつく。
観識学園では、生徒には昼食に弁当が用意される。毎日メインが肉か魚か選べるようになっているのだが、俺たちは今日二人とも肉の弁当だったから、全く同じ弁当を向かい合ってそれぞれがつついているような状況だ。
もそもそもそもそ。
もぐ、もぐ、もぐ、もぐ。
お互い、特に会話はない。
食事中だからな。会話がなくても仕方ない。
…………。
いやいやいや。
正直、居心地悪いぞ。
友達ってこんなに神経を遣うものだったのか。
味なんてわからないし、口の中が妙に渇いて飲み込むのすら苦労する。
これが毎日続くなんて、ちょっとした苦行だろ。案外しんどいな、友達って。
食事の合間に俺が彼女を盗み見ているように、彼女も様子を窺うようにちらちら俺を見ているのを幾度となく感じている。
それでも言葉は発さず、口には弁当を詰め込むだけ。
お互い決め手がない、といったところか。
既に俺の心は折れかけている。
食事中だからという言い訳に縋りながら、俺はもう彼女との会話を諦めてしまっていた。
いきなりのことで、心の準備もできてなかったからな。まあ仕方ない、うん。
昼休みの残り時間、あと四十分。
ここで一つ問題が発生した。
友達の常識では、毎日昼飯を一緒に食べないといけないらしいが、食べ終わったらどうしたらいいのだろうか。
即解散しても問題ないならば、俺は残りの弁当を一気にかき込むつもりだ。
だがそうでないなら、会話をしなくてもいいように、残りの弁当を最長四十分かけてちびちび食べ続けなければならない。
どっちだ? どっちが友達の正解なんだ!?
「夜行先輩」
俺が超難問を前に、弁当の配分をどうするか考えていると、意を決したように彼女が話しかけてきた。
さすが師匠。この膠着状態に一石を投じるとは。会話を諦めて逃亡しようとしていた俺とは場数が違う。
そういえば、確か会話は野球に例えると聞いたことがある。
先制は彼女のターンか。
オーケー、俺は守りに徹して、彼女の話に相槌を打ち返せばいいんだろう。
案外楽勝だな、年下女子の友達! はっはっは!
「あの。わたし、この前まで友達だと思ってた子たちには、あやっちって呼ばれてたんです」
「ふーん」
初球はヒット!
そういえば、俺に全く心当たりはないが、彼女は俺のせいで友達がいなくなったと言っていた。俺としても、その辺の話は少し聞いておきたい。
「わたしたち友達になったんで、今日から先輩もあやっちって呼んでください」
「…………」
二球目でいきなりの大暴投だなおい。
友達の話どこいった。
楽勝とか思ってすみませんでした友達神!
どんどんハードル上げてかないでください!
「呼んでください」
「いや、それは……」
「友達同士はニックネームで呼ばなきゃダメです。常識ですよ」
「ええと……その」
「あやっち、です。さん、はい!」
彼女の、謎過ぎる気迫に圧されてしまい、とうとう俺は呟いた。
「…………………あ、あやっち……」
友達を得たのと引き換えに、俺の中の何かが失われた気がする。
彼女――あやっち……は、やり遂げた、というように小さくガッツポーズをし、誇らしげな顔をした。
自信と勢いがついたのか、更に会話が続けられる。
「先輩は、普段友達からなんて呼ばれてるんですか?」
ごふっ! デッドボール!!
こいつは、友達の顔をして近づいてくる刺客か?
友達いない俺を殺す気か、あやっち!!!
「いや、俺は……」
待てよ。
別に友達にこだわらなくても、普通に俺が呼ばれている名でもいいのでは。
よし。自分が周囲からなんと呼ばれているか、ちょっと考えてみよう。
✕ おっさん = 下僕くん
△ モモ = シキ
◎ 親友 = 夜行
✕ 下僕くんは論外だ。
△ 年上の男をいきなり呼び捨てにするのも、彼女には無理だろう。俺だって無理だ。あやっち呼びだって相当無理してるのに。
◎ となると、親友の呼び方がベストだな。さすが親友。親愛なる友よ、さすが。親友さすが。
「夜行、かな」
「はぁ?」
途端、あやっちが険のある声を出した。
「全然友達っぽくないじゃないですか。なんですかそれ、本当に友達なんですか? 脳内フレンズですか?」
もうやめてください! 俺の寿命が三百年は縮んだぞ!?
モモといい、なんで俺の唯一の親友をいない存在にしようとするんだよ。
「まあいいです。志貴センパイって呼びますから」
「……ああ」
だったら最初から聞かないでほしかった。無駄にダメージをくらっただけだったぞ。
もうね、好きに呼べばいいと思うよ。
「あの、志貴センパイ。わたし、どうしても聞きたいことがあるんです」
まだ弁当が残っているが、あやっちは箸を置いて、姿勢を正した。
彼女の真剣な雰囲気を感じ取って、俺も同じように居住まいを正す。
俺たちが出会ったのは、今いる第一学習棟の廊下だった。
確かあのとき、まだあやっちは鬼に呑まれていなかった筈だ。ということは、俺がその場にいたことはなんとなく覚えているだろう。
鬼憶装置の厄介な所だ。
あれは、鬼に呑まれた人の記憶を沈めることができるが、蛋が孵化するまではまだヒトだと見做されるからか、完全には記憶に干渉することができない。
彼女にとってみれば、さぞ不可解だろう。
鬼に呑まれてからのことは、眩い光の中で必死に目を凝らすように、思い出そうとしても思い出せない。
思い出せない記憶の前後で、説明できない齟齬が彼女に起こっているのかもしれない。
俺に聞きたいことというのは、恐らくそのあたりのことだろう。
マウンテンゴリラ君にも一緒に鬼憶装置を使ったから、彼からも事情を聞けなかった筈だ。
そもそも奴はずっと眠らせていたからな。何も知らないだろうが。
だからこそ、彼女は俺のところに話を聞きに来た、と考えるのが妥当なところだろう。
どうしたものか、と思う。
知らぬ存ぜぬで通してもいいが、俺がマウンテンゴリラ君を連れて行ったことまで覚えていられると厄介だ。
そこを言及されたら、なんと誤魔化しても誤魔化しきれない気がする。
鬼のことに触れないように、慎重に話さないといけない。
俺は、どんな話が飛び出ても動じないように、腹を決めた。
しかし、現実はいつだって俺の予想を遥か斜めに超えてくるものだってことを忘れてた。
「志貴センパイ、わたしのことストーキングしてますよね」
俺は死んだ。
社会的に。
あやっち……背後から後頭部目掛けて剛速球投げてくるキミは、もう立派な刺客だよ。
次回予告*試合終了まで、あと二十分。逆転のチャンスはあるのか……!?
予告は嘘ですけど、今更それが何か? ご了承ください。




