暴力
p.m.6:42。
ルクソフィア、滑走路横のハンガー――――――
「なんでダメなんだ!いいから出せ!」
一人の女性が数人の整備員に詰め寄る。目は充血し、額には汗。息を切らし、心なしか足も少し震えている。いや彼女だけではない。そこにいる誰もが唐突の、謎の、正体不明の襲撃に自分を保ってはいられなかった。泣き喚く者や、仲間同士で肩を寄せ励まし合う者、中には出発前に食べた物を吐いている者もいた。皆、恐怖心で心を満たされていた。その離陸不可能の状況によりハンガーへ逆戻りとなったD、E班総勢約二百人の中で唯一一人がずっと声を上げていた。
「・・・ダメですよ。今行けば確実に死にます。そんなの、見過ごせません・・・」
機体に無理やり乗り込もうとする彼女をとおせんぼするように立つ整備員。顔からは困ったような、困惑したような表情が見て取れる。
「見過ごせないだと・・・?すぐそこで戦ってるやつらの生きる可能性を見過ごそうとしてんのはどっちだ!あぁ!?」
女性が一人の整備員の胸ぐらを掴む。途端、周囲がざわつき始める。
「なんの騒ぎだ」
奥の扉が重そうに開き、一人の男性が入りながらそう呟く。
「ソル大佐!」
そばにいた女子がソルに駆け寄り事情を説明する。状況を飲み込んだのか、呆れ顔で騒ぎの中心に歩み寄り、
「部下を目の前にして、不満を爆発させて、一人騒ぎ立てて、恥ずかしくないのか貴様は」
女性の眉がピクっと、ソルの言葉に反応する。
「てめぇ・・・。こんな時に何してた」
整備員の襟元を鷲掴みにしたまま、ソルを睨みつける。その眼光だけで、周りの者を威嚇するには十分だった。今度は静けさに包まれる。だがクワイン・ソルE班大佐は、わずかの怯みも見せず、
「管制塔までたどり着けるかと思ったが、案の定、こことをつなぐ通路が瓦礫の山でで塞がれていた。おそらく敵のミサイルが運悪く直撃したんだろう。通信も妨害されている以上、われわれ――――――」
ゴッ ドシャッ
そばにいた整備員は唖然としていた。周りの者は口を抑え、あっ、と思わず口に出す者もいた。皆の視線の先には、女性が右腕を突き出し、ソルが倒れている光景があった。拳の先端は、血の色が滲んでいた。女性は吹き出しそうになる笑いをこらえるような、爆発しそうになる怒りをこらえるような震える声色で、
「ちげーよ。ちげーよ。そんなこと聞いてんじゃねえ」
外でミサイルが着弾する爆音、ハンガーのすぐ上を通過する戦闘機の轟音と重なり、女性の言葉は一層迫力を増した気がした。
「仲間が、いつ死ぬかわからないこんな状況で、なに呑気に散歩してやがんだって聞いてんだ。クソ野郎」
女性がソルにのしかかるようにして、顔を近づけ、胸ぐらを掴む。
「横暴だな。私は通信ができないなら直接管制室の指示を仰ごうとしただけだ。君は単に、空で戦っているであろう弟君の安否が気になるだけだろう。フラム・ミユ大佐。それでこんな錯乱状態に。いつもの君らしくないぞ」
フラムは弟だけを戦闘させていることに我慢ならなかったのだ。それだけじゃない。防護フィールドで覆われているこのハンガーもいつ爆発するかわからない。すぐに助けに行かなければと考えていた。
「あたしが冷静じゃないってか?あぁ、そうだよ、冷静じゃないさ。冷静なんかでいられるか。あたしはこんな状況でも平然としていられるあんたとは違う。これでも血の通った人間だからな」
「酷いな。まるで俺が人間ではないかのような言い草じゃないか」
鼻から血を流しながらも表情を変えず淡々と言葉にするソル。
「どこが人間だ」
瞬き一つせずソルを睨みつけるフラム。
「全否定か」
「ああ、そうだよ。あんたには分からないだろな!あの時、妹を見殺しにしたあんたには――――――!」
ドスッ
突然、鈍い音が室内に響き渡る。
「ごふっ・・・」
うめき声を上げたのはフラムだった。脱力し、ソルにもたれかかる。やれやれ、とでも言うように血を手で拭いながら地面から立ち上がりフラムを見下ろすソル。
「何を言い出すかと思えば・・・。まだとらわれているのか、貴様は」
冷たく言い放つ。哀れなものを見るように。
「あ・・・くっ・・・!」
フラムは腹のあたりを抑え、うずくまる。ソルの右足がフラムの下腹部を蹴り上げたのだ。うめき声を上げるフラムに背を向けながら相変わらず淡々とした調子で、何かを探すように歩き始める。
「それでは出撃などとてもできんな」
「く・・・てめ・・・」
「少し寝ていろ。直ぐに終わらせてやる。貴様の気が済むようにな」
ソルの目線の先には、一機の戦闘機があった。
彼の足取りは、この非常時になってでさえも変わらない。慌てる様子もなく、気持ちが悪いほどに普段通りの彼だ。
周りは彼がどんな人間に見えていただろうか。冷静沈着。寡黙。行動の一切に無駄がない。だが同時に、非情すぎる。彼はかつて仲間を裏切り、一人生き残ったという噂が皆の中であった。あくまで噂だった。これといった確たる証拠もなければ、誰かが目撃していたというわけでもない。そう、あくまで噂。根も葉もない虚言。誰だそんなデタラメ吐かしやがったのは、とソルを擁護する意見が大半でさえあった。それがまさかこんな形で常識を覆されるとは、誰が想像しただろうか。今まさに目の前にいるその男が女性に暴力をはたらき、過去妹を殺した、という事実が周囲を更なる混乱に陥れようとしていた。疑心暗鬼。信頼していた男の人物像が徐々に崩れ去る。
「ソ・・・ソル大佐・・・!」
どこからか声が上がる。声の主を探す皆の目線の先には一人の女性が立っていた。
蓮衣だった。
ソルは相も変わらず気にも止めない様子で、自分の機体のコックピットに右足を入れる。
「あ・・・あの・・・!」
蓮衣も自分が何を言いたいのか、呼んでも無駄だと分かっているのになぜ彼を呼び止める自分がいるのか、わからなかった。だが何もせずにはいられなかった。
「どうしてこんなことを・・・」
こんな時に、こんな場所で、こんな状況で、それも皆がいる目の前で、あんな暴力を仕掛けるなんて無意味だ。それは彼にもわかっているはず。不和しか生まない。現に周囲の様子は一目瞭然、形容し難い、脱力というか、生きる気力を失ったというか。ならばなぜ?こうなることを見越して暴力を働いたのか、それとも彼女の言葉に反応して自分でも衝動が抑えられなかったのだろうか。そう、さっきたしか彼女は、ソル大佐が妹を殺したと――――――
まさか。そんなことあるはずがない。ソル大佐のことなら私が誰よりも知っている。あの人に限って絶対ありえない。
そう考え、機体を見遣ったが、彼の機体は既にハンガーから姿を消していた。