別れ
「B―01はどうした、まだ着艦しないのか」
そう聞いてきたのは、この艦の長、篁一。白のロングコートを身にまとった、長身の男だ。解けば腰まで届くのではないかというほどの長髪は白く、ポニーテールにしている。中性的に感じるかもしれないが、その顔は凛々しく、少しばかりのシワが見え、荒波のような人生を過ごしてきたことを彷彿とさせる。
「はい、やはり妹さんのことが気になるのでしょう・・・」
艦内の様子は慌ただしい。今すぐにでも出航か、ロック機の格納準備か、そして敵からの攻撃に備えたりと、予断も許さない状況にある。いつ上空の敵九機がこちらにミサイルを落としてくるかもしれず、さらには新手の攻撃もあるかもしれない。
「神宮寺通信兵、彼にあと二分だけ待つと伝えろ。今すぐに降りて来いとな」
「――――――待ってください!」
隣に立っていた楪蓮衣二等准尉が振り返り、抗議の意を示す。が、艦長はそんな彼女を意にも返さず、長髪を翻し、操舵室へと戻っていく。
「くっ・・・。ロックさん!はやく着艦を!!」
それでも彼女――――――楪さんは上空の味方機を説得する。座っている自分の手に水滴がポトリ、と落ちる。彼女の顔を少し覗き込むと、目には涙が溢れていた。異色眼、その両目から次から次へとこぼれ落ちる。右目は髪と同じ薄藍色、だが左目はこちらも薄いが紅色だった。間近で見るのは初めてだから、少し見とれてしまう。
――――――何を考えているんだ私はこんなときに。しかも女性同士で。雑念を振り払い、レーダーで上空の様子を確認し、私も未だに降りてこようとしない彼を促す。
「クォーク四等准尉、時間がありません。直ちに着艦を」
返答はない、聞こえてくるのは、上空の戦闘機の爆音とミサイルが乱れ合う様子。どうやらソル大佐が敵を足止めしてくれているようだ。だが大佐とはいえ、敵の数が多すぎる、あまり長くは持たないだろう。
「・・・今の我々では、奴らに勝ち目はありません。上層部は一度戦力を整え、反攻作戦を開始することを決定しました」
これ以上この場に居続けるのは得策ではない。彼を早く説得しなければ。
『妹を置いてはいけない』
少しの間の後、返答があった。
「ロックさん!お願いです!ここは一度下がって出直しましょう!」
横の彼女は涙ながらに訴えている。乗艦した彼女は数箇所から出血しているにもかかわらず、医療班の静止も無視して、真っ先にこの通信室に駆けつけてきた。
『蓮衣ちゃん・・・。レイズは無事かい?』
「はい、無事です・・・!今治療を受けて――――――」
そこで、ハッと思い至る。もうひとつ気がかりがあった。聞くべきかどうか逡巡したが、耳の装置に手を当て、彼女に聞こえないように艦長に連絡を取る。
「艦長、――――――ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
と、その時艦内に放送が響き渡る。
『各員に告ぐ、これより本艦はこの場を離脱。潜行し、B、C班との合流ポイントへ向かう』
「!!」
蓮衣は動揺を隠せなかった。直後、艦内のあらゆる部署から通信が入ってくる。
『――――――機関室了解。潜航準備!ハッチ開放、バラスト注水!』
『確認。深度150、方位347!』
「そんな――――――、待って!!まだ――――――」
突然、彼女の顔が徐々に青ざめていく。
「・・・・・・まさか――――――」
ラティアは海面で潜行を開始しようとしている潜水艦を見つめる。
この事態は少し予想外だったわね、まさか仲間を見捨てていくなんて。
《去ろうとしてるわよ、あなたの仲間たち》
ソルもこの状況に気づいていないわけはない。それでもこちらから決して目を離そうとしない。だが何も喋ろうとしない。
《わかるわ、何も言わなくていい。あなたといえど、この展開は予想していなかったんでしょ。放心するのも無理ないわ》
戦況は相変わらずの拮抗。どちら側も無傷。
《ここまでよく耐えたわ、一人で。でも流石にあなたの運も尽きたかしらね。唯一の逃げ場の、最期の切り札も今失おうとしている、ルクソフィアの滑走路も既に私たちが占拠。まさか、このまま燃料が尽きるまで私たちとやりあう気かしら》
すると、下から戦闘機が登ってくる。さっきやり損なった機のようだ。
《・・・てっきり着艦したものだと思っていたけれど。どういう心境の変化かしら?》
そしてそのまま、ソルの機体の後ろにつく。まるで自分がソルの二番機だとでも言うように。
「ソル大佐」
ロックはソルに呼びかける、が、反応はない。なんだ、敵が多すぎて疲れたのか。慣れないことするからだ、このやろう。
『何故来た』
・・・第一声がそれかよ、来てやったことに感謝しろよな。ま、先に助けられたのはこっちなんですけど。
「いえ、なに、“漆黒の五芒星”ともあろうお方が少々手こずっておられる様子ですので、微力ながら、ほんの微力ながらお手伝いさせて頂こうかと」
『貴様が俺の二番機を?百年早いな』
ちっ。こんな状況でもいつもと全く変わらねぇ。愛想のねぇ奴だ。
『――――――この世には、自分が信じ込んでいるものほど、実際はそうではないということが多い』
――――――いきなり何言い出すんだ、こいつ。
『覚えておけ。お前が今まで生きてきた中で得た“常識”、それらはすべて単なる“偏見”にすぎない』
「・・・何を」
構わず、やつは続ける。
『自分の力で答えを見つけろ。物事の本質を見誤るな。・・・そうすれば、本当に自分が何をすべきかがわかるだろう』
『彼から報告は受けている。ここに残る腹積もりのようだ』
・・・やはり・・・。周りが出航準備慌ただしくしている中、艦長から通信でそう聞かされた神宮寺は、蓮衣に目を向ける。・・・このことを知ったら、彼女は正気を保っていられなくなるかもしれない。今交戦中の大佐は彼女の直属の上司に当たるはず。同僚だけでなく、慕ってきた上司とも別れることになると知ったら・・・。
「本気ですか・・・?彼らは今回誰よりも――――――」
『活躍した――――――か?・・・確かに、彼らの奮戦がなければ、被害はこの程度では済まされなかっただろう。だからこそ、彼らの犠牲を無にするわけにはいかない。君もわかっているだろう、神宮寺通信兵』
確かにそうかもしれない。これが最善策なのだろう。・・・だが――――――
『このままではこの艦の乗組員全員が死ぬことになりかねん。そうなればルクソフィアの奪還など今以上に現実的ではなくなる』
・・・いや、今は考えないでおこう。考えたって仕方がない。どうせ私一人なんかの力じゃ、どうにもならないんだから。
「・・・失礼しました。任務を続行します」
『敵ミサイル発射!応戦しますか!?』
『構うな!潜れば振り切れる!』
『潜水開始!』
『くそっ・・・間に合いません!衝撃に備えてください!』
ズゥン・・・!!
ザザッ・・・ザザー・・・――――――
『蓮衣』
突然、ノイズ混じりの音声が流れる。するとそれまで横でうなだれていた彼女がピクっと反応する。
「・・・・・・え――――――」
『今までありがとう、蓮衣』
ザザーーーー・・・・・・
「ソル大佐・・・!ソル大佐!!」
なおも潜航していく。二人を引き離していく。ここまで潜ればもう通信はできない。
「応答してください!!ソル大佐!!ソル大佐!?ロックさん!!聞こえる!?ソル大佐に早く――――――」
彼女は潜っていることに気づかないほど、混乱してしまっている。もう通信が切れていることに気づいていないのだ。ソル大佐はもちろん、ロック准尉にも、もうその声は届かない。
「ロックさん!・・・何してるんですか・・・?」
目には溢れんばかりの涙。その涙が彼女の頬を伝って流れ落ちる。
「聞こえないの!?ねえ答えてよ!!答えてよ二人とも!!ねえ!!」
止めるべきなのだろう。言うべきなのだろう。だが私にはできなかった。
「・・・答えてよ・・・!・・・お願い・・・」
全身から力が抜けたように膝をつき、うなだれる彼女に、私はかける言葉が見つからなかった。
「――――――ごめんなさい・・・・・・」