唯一の希望だったもの
心崎は心の整理が出来ていなかった。
いや、目の前の惨状自体が現実として受け入れることが出来ない。
人は深い絶望を知ると、目を逸らしてしまう。
そして、心崎は当に、それなのだろう。
「こ、こんなの‥‥‥こんなの違う!!」
そう言って指を指したのは、苦悶の表情を浮かべて死んでいる腐敗した三人の死体。
餓死し、苦しみながら死んだであろうことは特に見当たらない外傷を目前にして明らかだった。
「違う‥‥違う違うッ、こんなの違うッ!!」
ただ、そう呻くことしか出来ない。
これを現実だと認めたくは無い。
たちの悪い冗談だ、そう思い込むことしか出来ない。
だが、心崎は知っていた。
受け入れたくはないが、それを事実として受け入れている客観的な自分がいることに気が付いていた。
この三人の死体は心崎の家族である、と。
拷問の日々で、唯一夢を抱くことが出来た『家族』なのだと。
それが、この死体なのだと。
だが、それを簡単に受け入れることが出来ない感情的な自分もいる。
「あ、あの、一旦外に出ましょう?」
そう言ってくるのは、この部屋に白髪の男と入れ替わりざまに入ってきた金髪の気の弱そうな少女であった。
「‥‥‥」
だが、金髪の少女に言葉に心崎は返事をしなかった。
否、返事をする気力が残っていなかった。
心崎の心やプライドを支えていたものは目の前で壊れきってしまっている。
故に、心崎は崩れ去っていた。
気力もプライドも。
ただただ、静かに手を顔に当てて泣くことしか出来ない。
「へ、返事をしないんだったら、勝手に連れていきますわよ」
そう可愛らしく言っても返事は無く、仕方なくこの惨状が見えることのない部屋の外へと金髪の少女は心崎を引き摺って出ていく。
だらしなく引き摺られる心崎には、既に先ほどの威勢など微塵も残ってはいなかった。
部屋の外から出ようとすると、擦れ違い様にアルミケースを持った黒服たちが部屋の中に入っていったが特に気にすることも無かった。
金髪の少女は、先ほどの診察室とは違った診察室に心崎を連れて行き、ベットの上に寝かせた。
心崎は、呆然自失と言った様子で寝転がっていた。
流石に、気の弱そうな金髪の少女も呆れ返り、部屋を出ようとした時だった。
「あんたも、腕に同じようなモノをぶら下げてんの?」
それは荒々しい言葉づかいだったが、弱さしか見いだせることの出来ない声。
しかし、金髪の少女は微笑んだ。
喋ることが出来るまで精神を持ち直すことが出来れば、後にどうとでもなることを知っているからだ。
「えぇ。そうですわね。私の右腕には『喰絶』あなたと同じようにありますわ。同胞の証、というものですわね」
心崎は、訳の分からない言葉について言及する気力はまだ無いが、自分と同じ仲間がいるという事実に何処か安心した。
人間じゃない腕。
少女らしく無い腕。
人生を台無しにした腕。
しかし、その腕を持つものが近くにいるというのは、何処か親近感が湧き、少しだけ安心することが出来た。
だが、ふと頭に過るのは白髪の男だ。
「ねぇ、あの白髪の男のこと知ってる?」
「えぇ、当然知っていますわよ。私のお兄様ですもの」
「え」
思わず絶句した。
目の前の金髪の少女の顔を凝視する。
金髪で碧眼、人形のような顔立ちだ。
服装はフリルを多用した黒のドレスで、それも相まって西洋人形だと思った。
そして、この金髪の少女があの無愛想な白髪の男の妹ということも信じることが出来なかった。
だが、心崎のリアクションが大きすぎて金髪の少女は、苦笑しながら注釈をした。
「別に血縁関係など、一切ありませんわ。私が一方的にお兄様と愛称を付けたのですよ」
「‥‥‥あんな男にそういう風に呼ぶのって訳が分からない」
拗ねる様に言った。
心崎の中では、確かに棒の医者から救ってくれた命の恩人みたいなものだ。
しかし、それでも家族の死を伝えてくれてもよかったのではないか、と思うのだ。
心崎の憶測だが、あの電話の時点で家族の死は白髪の男に伝えられていたのではないか。
あの時点で自分に告げてくれれば、私はあそこまで家族の死を鮮明に受け入れざる状況にならなかったのではないか、と心崎は思ってしまう。
『家族が発見された』という言葉に糠喜びした。
それは家族が無事であったことを示す言葉であると、心崎は思ったのだ。
これでいつもの生活に戻ることが出来ると。
やっと普通の少女に戻ることが出来ると。
しかし、それは儚い幻想だと、家族の死体の前で思い知らされた。
これほど悲しいと思ったことは無かった。
そして、怒りを感じた。
死を正直に言ってくれなかった白髪の男にお大きな怒りを覚えたのだ。
故に、金髪の少女が慕っていると分かっていても罵倒せずにはいられなかった。
「まぁ、普通の出会ったばっかりの人はお兄様のことをよくそう評しますわ。無愛想だとか、カッコつけだとか。そういう類の評価ですわね。あなたもそう感じましたでしょ?」
心崎は頷いた。
「オレは、家族が死んだことを‥‥‥殺されたことを知らなかった。知らされてなかった。だから許せないんだ。なんで、あの時行ってくれなかったんだよッ!!『お前の家族が死んだ』ってさぁ」
再び思い出すと、涙が溢れそうになるが堪えた。
涙が出たら、それと同時取り留めも無く弱音が出てきそうだったからだ。
だが、これは先程よりも精神を持ち直していることの証拠でもあった。
「お兄様は弱いんですの」
「弱い?」
思わず白髪の男と対極的な言葉が出てきて、おうむ返しをする。
「うーん、どういったらよいのでしょうか? そうですわね。精神が弱くて、人と付き合うことが極端に苦手なのです」
「‥‥‥それと、何の関係が‥‥‥」
金髪の少女は少しだけ間を置いて、言ってもいいか言わざるべきを悩んでいる様子であった。
だが、どうやら話すと決めたようで、前かがみになった。
「つまりは、お兄様は自分の言葉であなたを泣かせてしまうことが怖かったんですの」
「‥‥‥でも、それって無責任じゃないのか?」
「えぇ、きっと無責任ですよ。でも、多分‥‥‥いいえ、きっとお兄様は後悔していますわ。自分の弱さに」
「自分の弱さに‥‥‥?」
「そうですわね」
心崎は考えた。
それは無責任なのではないだろうか。
そして、そんな男の何処に『お兄様』と呼ぶべき価値を金髪の少女は見出しているのか。
心崎は理解できなかったが、少しだけ興味が湧いた。
「ねぇ、あの白髪の男の何処に『お兄様』なんて呼ぶ要素があるんだ?」
そうすると、まるで自慢する時に浮かべる笑みを浮かべ、話し始めた。
「お兄様はまずは強いんですわ!! 聖者の中では一番力を持っているお方ですし、一番長生きしているお方でもあります」
そして、一旦区切るかのように息を吸って、また話し始めた。
「それ以上に、お兄様の性格は、何処か‥‥‥母性をくすぐるというか」
「母性をくすぐる?」
「乙女心を刺激するというか」
「乙女心を刺激する?」
白髪の男からは全く想像することのできない言葉が出てくるが、金髪の少女は冗談を言っている様子は全くない。
それ以上に、相当白髪の男のことを良く思っているのか、息が詰まるぎりぎりまで話を続ける様子に思わず心崎は微笑んだ。
その後、家に帰宅を許された。
いつもの独りの時間だ。
けれども、この孤独は全く異質なものだった。
今まで心崎はまた家族一丸で頑張ることが出来ると、そう思って独りに耐え抜いてきた。
だが、それは儚い幻想だった。
最初から棒の医者は家族を生きて返す気なんて更々無く、死んでいたも同然だった。
心崎は棒の医者の言葉にまんまと踊らされていたのだ。
そして、それを自覚すると、自然と拳に力が入った。
悔しい、そうとしか思えない。
有り得ない願望に縋って、拷問染みた検診に耐える自分を棒の医者はどう思っていたのだろうか、等と考える。
金髪の少女は心崎に『人喰い』の存在を言った。
『人喰いは読んで字の如くそのままの事を行う人々です。人を喰らう者。あいつらにとって人間は家畜なんですよ』
「家畜‥‥‥か」
そう言えば、と心崎は不意に思い出した。
「あの女の子の名前、聞くの忘れてたなぁ」
だが、いいだろう、とも思った。
恐らくそのうちまた会うことは心崎にも分かった。
その時に聞けばいいか、と心崎は自分の部屋に行きベットで横になった。
服には乾いた血が着いていたが、脱ぐ気にもなれない。
精神的な疲労の次は、肉体的な疲労が出てきた。
あの拷問染みた検診の後はいつもこうなる。
体に倦怠感が出て、強い眠気が心崎を襲うのだ。
「なんで、こんなことになったんだよ」
ただ一言そう呟いて、心崎は眠りについた。
『夢』
それは幸せ夢だった。
家族四人で夜食を食べる夢だ。
これは、いつかの記憶だった。
確か心崎の高校受験合格祈念に、高い焼肉屋に行った時の記憶だ。
父親は値段に戦き、母親と弟と心崎はその父親の様子を楽しげに笑いながら見ていた。
心崎の父親は、普段は無口であり、心崎の前では飲酒をしなかったのだが、この時の父親は焼酎を飲んで酔っていた。
心崎は父親が飲酒をすることに驚き、それ以上に酒が入った父親の饒舌さに驚いた。
弟も同様の反応で、母親に尋ねると優しい微笑を浮かべながら言った。
「お父さんはね、お酒が入るとお調子者になっちゃうのよ。それを本人が自覚しているから、お酒を飲まなかったわけ。でも、今回の心ちゃんの高校合格が余程嬉しかったのね」
そう言う母親の手元を見た心崎は笑った。
母親も滅多に酒を飲まないのだが、どうやら今はそれを放棄して、グラスで酒を煽っていたからだった。
肝心の焼肉も今までに食べたことが無いくらいに美味しかった。
家族でその肉の美味しさを語り合ったほどだ。
楽しかった。
今ではこの取り返しようのない過去を、心の底からそう思う。
この時の心崎は、受験合格という自分を祝う趣旨であったために正直になれなかった。
しかし、今ならばきっと言えるかもしれない。
「ありがとう」
母たちは相変わらず、美味しそうに肉を焼いていた。
「あ」
心崎は起き上がる様にして、夢から覚めた。
ふと、頬から何か伝っている物を感じ、触ってみると手が濡れていた。
眠っている時に泣いてしまっていたのは明らかだった。
「‥‥‥泣いていたのか」
寝惚けた頭で考えられるのはそれだけだった。
もう一回心崎は、布団にうつ伏せで寝転がる。
体の倦怠感がまだ酷く、起き上がるのが辛くてしょうがない。
「ごはん、作らなきゃ」
そう口では言っても、食欲など全く起きなかったし、そもそも家族の死体を見た当日に食事が摂れないのは当然のことだった。
ふと、また涙が溢れてきた。
そのことに気が付いた心崎は心の中で必死に涙が止まることを願っても、止まらない。
逆に止まるどころか、感情が逆流したかのように嗚咽すら出る様になった。
それに伴い、散々巡った思考がまた頭の中で展開される。
考えたくも無いことを考えてしまう。
だが、そんな時にドアのインターホンの音が家中に鳴り響いた。
「‥‥‥誰だ?」
涙ぐんだ声でそう言って、心崎は玄関に近付いた。
心崎が住んでいる家にはテレビドアホンなど着いていないので直接玄関ののぞき窓から姿を見た。
「え、え」
思わずそこに立っている人物に驚愕して声を上げた。
心崎は間の悪い宗教勧誘かピンポンダッシュの類かと思っていた。
しかし、覗いた瞬間に目に入ってきた黒と白。
白髪の男がビニール袋を提げて心崎の家の玄関の前に立っていたのだ。
心崎は中鍵を掛け、ドアを開いた。
「なんであんたがここにいんだよ!!」
そう言うと、白髪の男はビニール袋を心崎の目の前に翳した。
「飯、作ってやる」
「はぁ!? いらねぇよ!!」
そう言って扉を勢いよく締め、鍵を乱暴に締める心崎。
何故、あの男が家の玄関に立っているのだろうか。
いや、とその心崎はその疑問自体を否定する。
白髪の男が所属している謎の組織『聖者』は心崎にとって分からないことが多すぎる。
だが、心崎でも分かっていることは人の家を調べることぐらいは容易なことだろうということだけだった。
普通ではない雰囲気を醸し出しているし、十分に有り得ると心の中で自分を納得させた。
しかし、それを踏まえた所で何故あの男がここで料理をしようとするのかが分からなかった。
「開けろ。開けないと開けるぞ」
言っている意味が分からなかったが、すぐにその意味を理解することになる。
「開けるかよ!!」
そう言った瞬間に、全ての鍵が不自然に開いた。
当然、心崎が開けたわけでも無い。
そして、扉が開く。
そこには白髪の男が立っていた。
「ちょ、ちょっと!!入んなっつてんだろ!!」
威勢よくそうは言うが、男は余裕綽々と玄関に入る。
当然、家に侵入するのを防ごうと心崎は蹴ったり殴ったりしているのだが、白髪の男はびくともせずに靴を脱ぎ終え、そのまま堂々と家の中に入っていった。
既に心崎は蹴る殴るを止め、その場で踏ん張って白髪の男を止めようとしているのだが、如何せん体格や力の差がありすぎるせいかそのまま引きずられる。
「勝手にひとんち入んな!!」
だが、止まる気配が無く、とうとう台所に到着してしまった。
「調味料は勝手に使わせてもらうぞ」
「いや、だから料理はするなって言ってんだろ!!」
「美味いの作ったやるから待ってろ」
「いや、だから‥‥‥もう」
白髪の男を静止させることが出来ないと思った心崎は溜息を付きながら椅子に座る。
背もたれに体を預けて、足を伸ばして、かなりみっともない格好だ。
「おっさん。何でうちで料理作んの?」
「おっさんじゃない」
「ん?」
「おっさんじゃない。俺は靖也だ」
今度は心崎は表情を変えなかったが内心で驚いていた。
堀の深い端正な顔立ちと、体格から外国の人であると思っていたからだ。
それと同時に、絶対に名前で呼ばないと悪戯に思ったりもしていた。
「へー、おっさんって、日本人だったんだ?」
「‥‥‥今は日本国籍を取得している」
「じゃあ、やっぱ外国人なんじゃん、おっさんって」
「そうだな」
「出身地はどこなん?」
「パレスチナだ」
「‥‥‥パレスチナ? それって何処?」
だが、白髪の男改め靖也はそのまま口を閉じてしまった。
効率良く手を動かしているのには変わりなかったが。
もしかしたら、靖也は出身地を馬鹿にされて怒ってしまったのかもしれない、と心崎は思った。
その後、サラダを刻む音が聞こえてきた。
普通のまな板でサラダを小気味良く切る音だが、不思議と感慨深い音だった。
何故か分からなかったが、心地の良い音。
久しく聞いていないような、昔は聞いていたそんな音だった。
何故こんな気持ちになるのか、思考を巡らし思い出した。
それは母親が料理を作っている時の音だ。
心崎は料理が得意ではない。
棒の医者の所へ通っていた時、生活費はポストに入れられていたし、不思議と学校や電気代やガス代、水道代も支払われていた。
故に、心崎は何不自由なく過ごすことができ、ずっとコンビニ弁当でサラダと一緒に購入していた。
それでも、生活の不自由は無かったが、それで心が満たされるわけでも無い。
テレビが無いので、騒がしいことも無く、そもそもインターネットも嗜まない心崎にとっては静かな家は、独りであることをより実感させる空間だった。
だが、今の靖也が料理をしている音は久々にこの家で奏でられた生活の音。
それは欠けていた何かだと、心崎は思った。
気が付くと、心崎は料理している靖也の後姿を見ていた。
後ろ姿を見て心崎は、思わず笑ってしまった。
心崎の母親が使用していたエプロンを無断で拝借していた様で、今の靖也はフリルを多用しているピンクのエプロンを着ていたのだ。
最初は堪えていたが、思わず堪え切れずに噴き出した。
「ブハッ!!おっさん、そのエプロンは何だよ!!」
足をバタつかせながら言うと、背後を見た靖也と目が合った。
すぐに狼狽したように視線を左右に動かし、料理に視線落とした。
心なしか、サラダを切り刻む音が早くなり、なるほど、と思った。
これは確かに、乙女心を擽るかもしれない。
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