救世主なのかもしれない
よろしくお願いします。
神を信じていたのは何歳までだっただろうか。
「止めてくれ!!金なら幾らでも出す!!」
聖書に出てくる聖人や神々に思いを馳せていたのはいつだっただろうか。
「か、神の使徒である私にこの無礼‥‥‥ッ!!決して許されんぞ!!」
床に就くときの母親の優しい声と頬を撫でる手の感触はいつから消え失せたのだろうか。
「このォ、この私に向かって!!」
神はいつからこの世界を見放したのだろうか。
「死ねよ、豚」
ただ、確かなのは人間の形をした者は必ず殺せるということだ。
【人である為に】
「やぁ、心崎君。待ち侘びたよ」
「黙っとけ、気狂い医者が。話し掛けんじゃねーよ」
「随分と態度が冷たいねぇ、ヘッヘ」
口の悪い少女と、見た目が棒のように細く長い医者は、医者が使用しそうにもない器具が多くある『診療室』で診察を受けていた。
棒の医者は、気持ち悪い笑みを浮かべており、心崎と呼ばれた少女は仇でも見るかのような視線で棒の医者を睨んでいた。
暫く、互いに互いを睨むように鎮座していた二人であったが、医者の方が沈黙を破った。
「ここで睨みあっても、僕とここにいる時間が長くなるだけだよ? んん? 」
「ッチ」
少女は明らかに棒の医者に聞こえる舌打ちをし、右腕を差し出した。
「ふむ、やはり素直な子はおじさん好きだなぁ。‥‥‥まぁまぁ、そう睨まないでくれたまえ」
薄笑いを浮かべそう言いながら、棒の医者は心崎が差し出した右腕の服の袖を捲る。
そこには、心崎のようなか弱そうな少女の腕よりも少しだけ筋肉がついて角ばっているような腕が露わになる。
棒の医者は舌舐めずりはしながら、使い捨てメスの袋を破りメスを取り出す。
「取り敢えず、いつもの如く確認はしておくけど、準備はいいかな?」
棒の医者は今にでも齧り付きそうな勢いで右腕に視線を注ぎながら心崎に確認を取る。
いつもの如く、気持ち悪い光景であると心崎は思う。
生理的に受け付けないモノであるし、その光景の一部であり医者が注視しているソレが自分の体の一部であると考えると鳥肌が立つ。
「早くしろよ」
そう答えた瞬間に、棒の医者は勢いよくメスを心崎の右腕に突き刺す。
瞬時に右腕に痛みが走るが、棒の医者は気にせずにそのまま魚を捌くような手軽さで心崎の腕に切れ目を入れていく。
その際も絶え間なく、心崎には激痛が与えられるが棒の医者は気にしない。
心崎もこの激痛には慣れたモノで今では悲鳴を噛み殺して痛みに耐えることが出来るようになっていた。
一通り切れ目を付け終わった棒の医者は、一番最初に切った皮膚の一部を摘まむ。
心崎はそれが何を行動するのかが理解でき、息を止め覚悟を決めた。
「さてぇ、御開帳だねェ」
そう言った瞬間に、医者は腕に力を籠める。
心崎が棒の医者に視線を移すと、そこには血走った目と鼻息の荒くなった男が一人。
だが、そんなことすら考える暇も無い激痛が、五感の全てを支配する。
肉と皮が剥がれる感覚。
その感覚を感じる際に感じる激痛。
余りの激痛に、歯を噛み締める際に立つ音。
目の端に涙が溜まった。
棒の医者は、楽しそうに心崎の右腕の皮膚を剥いでいる。
その様子はまるで玩具で遊んでいる子供のようだが、心崎には悪夢のような光景にしか見えない。
痛みも相まって地獄そのものだ。
それから数十秒後には右腕の皮膚が全て剥がれ、普通ではない皮膚の内側が空気に晒される。
血は出なかった。
外気に触れている露出した腕は機械のように黒光りしていた。
それはおおよそ人間の腕と呼ぶことの出来ない代物だ。
腕の表面は黒く光っている金属のような硬質な物体で角ばっている。
心崎はこの腕を見ることが嫌いだった。
しかし、視線は自然と自分の腕へと移る。
自分の人生を台無しにした腕。
憎き仇にすら思えた。
「痛覚感知機能は通常通り作動しているねェ。さて、ここをつつくとどんな感じがするんだい?」
だが、そんな心崎の心情などいざ知らずに、そう言いながら棒の医者は手の甲を綿棒で軽く突いた。
棒の医者が手の甲に突いた綿棒は医療用の綿で出来た綿棒であったが、心崎はまるで手の甲を刃物で貫かれたような痛みが走った。
「いたッ」
思わず口から言葉が漏れた。
「そうかい、痛いかい」
だが、か弱い少女の言葉を嘲笑するように口角を上げて、今度は手首から肘に掛けて撫でるように綿棒を滑らせた。
瞬時に、腕に刃を喰いこませたまま腕の中身を掻き混ざられるような痛みは心崎を追い込む。
早く、この地獄が終わってくれないか。
そう願わずにはいられない。
だが、そう願っている間にも棒の医者は嬲るように綿棒を腕に滑らせ心崎に痛みを与え続ける。
これに何の意味があるのか、心崎には理解できない。
けれども、我慢するしかない。
家族の為に我慢するしかないのだ。
あれは一年前のことだった。
心崎がまだ普通の女子高生として学生生活を満喫していた頃だったかもしれない。
変化は突然に起きた。
何の兆候も無く、ドラマすらも無く、朝起きていたら右肩から可笑しなものがぶら下がっているのが見えた。
最初はそれが寝惚けた頭では理解できずに、黒く光っている物体だと呆然と思っていた。
しかし、思考が鮮明になるにつれ、それが自分の腕であることを理解し、驚愕した。
それは、右肩からぶら下がっており、黒い機械的なフォルムをした腕だった。
急いでベットから這いずる様に落ち、そして両親に相談した末に学校を休むことになった。
そして、腕に包帯を巻き急遽大学病院に行ったが、当然碌な処置もされずに時間だけ取られた。
そして、運命の歯車が狂い始めたのはその翌日だった。
早朝に目を覚ます癖を付けている心崎は、心の動揺など関係無しに体が覚えた時間に起床した。
だが、目を覚ましたのはいつもの畳の上の敷布団ではなく、何も置かれていない清潔で白い部屋の中心にあるベットの上だった。
起き上がろうとすると、上手く起き上がれずに背中を柔らかい布団に打ち付けた。
良く見てみると手足が鉄の輪のようなもので拘束されていた。
状況も理解できないまま、数分呆然としていると一人の背の高く棒のように細い医者が入ってきた。
その棒の医者は怪しい口調で言った。
家族を誘拐した。
その言葉にどれだけ信憑性があったかは理解できないが、手足を拘束された時には既に冷静さを失っていた。
心崎は、叫んだ。
何でこんなことをするのかと。
それに対して、棒の医者の返事はこうだった。
芽は早いうちに摘んでおいた方が良い、と。
そうして、何も理解できないまま、約一年を過ごしている。
ずっと拘束されっぱなしであるということは無かった。
棒の医者の言葉に頷くと、拘束を外されて家に帰ることは出来た。
もしかしたら、今の出来事はサプライズで家に帰ったら家族が待っているのではないか、そう思ったが現実は無慈悲だ。
家に帰宅しても、いつも聞こえてくる母親の声は無く、夜になっても帰宅してくる中学生の弟や父親が帰ってくることもなかった。
一人の孤独な夜は辛かった。
静かな静寂が心崎の身を包み、蝕んでいくような感覚だった。
何が起こったか分からないまま、眠ることも出来ずにいると深夜近くに郵便ポストが開くような音が聞こえた。
何かと思い玄関を開けるが、そこには既に人影など無かった。
ポストを開けると一通の手紙が入っており、その手紙には病院の地図と病院に通院する詳細の日程。
それからは拷問染みたこの検診が待っていた。
最初は、見っとも無く泣いた。
麻酔無しの腕の手術で、皮膚を自動作成する装置や痛覚を発生させる装置を取り付けられた。
比喩では無く、死ぬほど痛かった。
痛みで気絶しては、気絶から痛みで目が覚めるを繰り返した。
そのような出来事が、幾つも続いた。
それは一人の少女に絶望の淵に立たせるのは充分な出来事であり、学校生活でさえ満足に送ることが出来なくなっていた。
この腕が無ければ、と何度も思った。
家族が誘拐されることも無く、自分は学校に行ってこんな狂人染みた医者に右腕を弄らせることも無く、平凡に過ごしていたに違いない。
けれど、この腕のせいで全てが壊れた。
それは修復しようも無い人生への絶望と取り戻すことの出来ない時間。
そう過去への回想で現実逃避をしていると、拷問染みた検診は終了していた。
これは心崎がここ一年で身に着けた、苦痛を回避する術だ。
「さて、今回の検診はこれで終わりだねェ。僕としては実に残念なことなんだけど、仕方がないんだよねぇ」
「黙っとけよ、気狂い」
ここ一年で、心崎の言葉遣いは随分と荒くなった。
それは心が荒んでいくのと比例していた。
「まぁまぁ、君がここで僕の検診を受けることで君の家族が無事であるということが、何よりじゃないか」
思わず心崎は苛ついた。
罵倒したとき、扉から軽い音が聞こえた。
「おやおや、何かな?」
どこか不満げに言いながら、棒の医者は扉に近付いた。
この背中を心崎は憎々しげに見た。
一度、この医者に壁に立てかけられているペンチで襲い掛かったことがある。
心崎からは、棒のような虚弱な医者だと思っていた。
しかし、それは見当違い、心崎が振り下ろしたペンチを、背中を手で掻くようにしてペンチを軽々と受け止めたのだ。
それ以来、そのようなことはしていない。
心崎が苦い記憶を思い出し、目を逸らす。
どうせ、看護師か何かだろうと思っていた。
だが、違った。
「え?」
棒の医者は扉ごと診察室の部屋の壁際まで吹き飛んだ。
突然の出来事に理解が追い付かず呆然とした。
しかし、血生臭い臭いが鼻につき現実に戻らされる。
吹き飛ばされ、壁に激突した棒の医者は頭に何か刺さっていた。
それは黒い大剣だった。
「ヒイィッ!?」
余りにもグロテスクで惨い光景であったが絞り上げる様な悲鳴が出た。
だが、そんな心崎を意にも介さずに状況は刻々と変化していく。
「やっと見つけたぞ」
低く唸るような声が診察室に響き渡った。
棒の医者に目が釘づけになっていた心崎は声のした方へと顔を向けた。
そこには、特徴的な男性であった。
白髪に鋭い目、それにかなりの高身長であり、診察室に入る時に少し頭を屈ませながら入ってきたほどだった。
その男は診察室に入ると、手短な壁に掛けてある刃物を手に取り、棒の医者に投擲する。
唯でさえ、既に頭部を割られてかなりの量の血を出している。
だが、それでも男は容赦が無かった。
死んでいるはずの人間に凶器を投擲し続ける光景は異常としか言えず、心崎は恐怖を感じずにはいられなかった。
そして、粗方刃物を投擲し終わり、棒の医者に近付いていく。
棒の医者は体全身に隈なく刃物が突き刺さっていた。
いや、刃物だけではなく工具のような鈍器さえ投げられている。
棒の医者の死体の惨状に思わず目が釘付けになっていた心崎だったが、革靴の音を聞き白髪の男へと視線を向け、絶句した。
人を殺めたという事実がここにある。
自分はここまで恐怖している。
あが、肝心の白髪の男は何も感じていないような表情をして近付いていた。
心が無いのだろうか。
既に理解が追い付かない心崎であったが、そんな心崎でも混乱した頭でそう感じるほどの、白髪の男は無表情に徹していた。
「これで、チェックメイトだ。言い残すことはあるか?」
既に事切れているはずの棒の医者に、そう問う白髪の男は異様であった。
しかし、白髪の男がそう問うた瞬間に、あの気持ち悪い声が聞こえた。
心崎が知っている声とは多少異なり、かなり弱弱しい声であったが聞こえないはずの声が、だ。
心崎は死体を見てみると、微かに口が動いていた。
「白衣は‥‥‥安くないんだけどねェ」
その言葉に一瞬だけ目を瞑った白髪の男は、こう言い返した。
「白衣を売買することで世間に貢献するよりも、お前が死んだ方が世界にとっては利益だ」
そう言って、白髪の男は心臓目掛けて手を突き刺し、引く。
そして、引いた手には赤い塊が握られていた。
心崎にはそれが一瞬何か分からなかったが、目を細めてみて分かった。
心臓だった。
しかも、まだ動いている。
生を誇張するかのように、動き続けていた。
だが、男は容赦無く心臓を握りつぶした。
心臓は破裂し、部屋中に血が飛散する。
心崎にも大量の血が掛かり、気に入っていた衣服が赤に染まった。
白髪の男は暫くそのまま立っていたが、こちらに振り返り近寄ってくる。
「‥‥‥あぁッ」
先程から恐怖で足が竦み身動きが取れない。
「ち、近寄ってくんな!!」
そう言って牽制しようとするが、強がる声には涙の色が滲み部屋に情けなく響き渡る。
だが、白髪の男は心崎に従う様に動きを停止させる。
「いつまでだ」
白髪の男が言葉を発した。
「は?」
言葉の意味が分からずに聞き返す。
「いつまで近寄らなければいい」
言葉の意味を混乱しきった脳で理解するには少しだけ時間がかかった。
だが、どうやら心崎の目の前に立っている白髪の男の狙いは心崎自身である、ということは理解できた。
「お、オレの質問に答えろ!!素直に答えたらいいぞ!!」
白髪の男はその言葉に返事は返さずに、頷くことで肯定をした。
「え」
その反応に思わず心崎は驚いた。
今の言葉は、生来高い心崎のプライドから来た高飛車な言葉であった。
故に、この言葉を発言した直後にかなり後悔したのだ。
怒らせてしまっただろうか。
そう思うと、顔も見れない思いだった。
故に、余りにもあっさりと了承した白髪の男に驚いてしまったのだ。
「質問に応対すれば、俺の指示に従ってもらうぞ」
そう言って、診察台の近くに倒れていた椅子を立て直し、心崎に対峙するように座る。
「それで、聞きたいことは、なんだ」
問い詰めるかのような言い方に思わず狼狽してしまうが、何とか言葉を捻り出す。
「あ、あんたは何者‥‥‥なんだ?」
「俺は人喰いを殺す組織『聖者』に属する聖人の一人だ」
「せ、せいじゃ?」
聞きなれない言葉の羅列に混乱するが、既に慣れきってしまったのか立ち直るのは早かった。
「‥‥‥意味の分からない言葉は置いておいて、何で俺を助けようとしたんだよ」
これは、先ほどから一番聞きたいと思っていたことだ。
何故、一番最初に聞かなかったのかと言うと、唯々混乱していた故に思い浮かべることが出来なかっただけだった。
「俺はお前を助けに来た」
「それはさっきと同じだろ!!俺はその理由を‥‥‥」
「だから、助けに来たんだ」
そう言ってから、白髪の男は黒いコートを脱ぎ、タンクトップ姿になった。
白髪の男は相当鍛えているのか、タンクトップから浮き出るほど筋肉の形がはっきりしていた。
しかし、それ以上に右腕に視線が行く。
心崎の視線の先にある、右腕。
それは、心崎と同じ形をした銀色の腕であった。
「な、何で」
思わず言葉が出た。
直後に、音楽が何処からか鳴り始める。
そして、白髪の男が慌てた様子で自分のポケットからスマートフォンを取り出した。
どうやら、白髪の男の着信音のようだ。
随分とシンプルな着信音なんだな、と呆然とした頭でそう考えていると白髪の男は電話を切った。
落ち着いた様子でスマートフォンをズボンのポケットに仕舞い込んだ白髪の男はこちらに再度視線を移す。
思わず心崎は目を逸らした。
それほどに、白髪の男の目力は強く、そして何処か冷たいのだ。
「安心しろ。間もなく俺の同胞が到着する。誘拐されたお前の両親と弟も発見されたみたいだ」
その言葉に顔を上げた。
白髪の男は相変わらず心崎を見ている。
表情の変化は無いに等しく、それ故にその話は本当かどうかは分からなかった。
ただ、自分が白髪の男の言葉で泣きそうになった、ということは理解できた。
だが、男の視線は変わらず、冷たかった。
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