第八話 薬魔法の効き目
ぼーっとした表情でエレック王子の立ち去った方向を眺めていたジェナは、ふと胸騒ぎを覚えて我にかえる。
「いけない……仕事しなきゃ」
ジェナは他の小間使い達が待っている川へ戻ろうとした。と、何かがジェナの足を止め、進もうとする方向とは反対に足が勝手に動き出した。
──えっ? 何?……
戸惑うジェナ。だが、ジェナの意志に反して足はどんどん進んでいく。
──待って! どこに行くの!?
「も、もう、止まりなさいよ!」
ジェナは手で足を止めようとするが、足は何かに引き寄せられるように強い力で歩めを速める。
「あっ!」
ジェナは早足で歩いていく先を見て驚く。草原の木陰にアビーが立っている。その横には得体の知れない小さな生き物が……。アビーは近づいてくるジェナを見て、ニッコリと笑った。
──アビー……何であんな所に?
アビーの顔を見つめていると、何故か胸がドキドキとときめいてくる。今まで一度も感じたことはないのに、アビーがとても素敵に見えてくる。
──え? 何? この気持ち……。アビーを愛してる。アビーにキスしたい! あの唇に!
「ジェナー!」
アビーがすぐ目の前で両手を広げている。
「アビー様! 愛しいアビー様!」
ジェナは無我夢中で駆け出し、アビーの胸に飛び込む。
「大好きです! 私と結婚してください!」
ジェナは潤んだ瞳でアビーを見上げる。
「ジェナ、やっと僕の魅力に気付いてくれたんだね。今すぐ結婚しよう」
「はい、アビー様」
ジェナはこくりと頷く。アビーの柔らかそうな唇。ジェナは吸い寄せられるようにアビーの唇に自分の唇を近づける……。
──……待って、何か可笑しい……。
アビーの唇に触れる直前、ジェナは正気に戻った。今にも触れ合いそうなアビーの唇から慌てて顔をそむけると、全身の力を込めてアビーを突き飛ばした。
「どういうこと! これは!」
ジェナは、はあはあと荒く息をしながら倒されたアビーを睨み付ける。アビーは力無くその場に倒れ込んでいる。
「あれあれ? 私の薬の力をはねのけるとは! あなた様、たいしたお方です」
リルは激しい形相をしているジェナに近寄ってくる。
「キャー! 化け物!」
ジェナはリルの姿を一目見ると悲鳴を上げる。
「近づかないで!」
ジェナは恐怖のあまり、リルの顔をはり倒した。小さなリルは輪を描くようにはじき飛ばされ、アビーの上に倒れる。
「キャー! 助けて!」
ジェナは地面に転がっている二人を残し、いちもくさんに走り去って行った。
「……あの娘、とんでもない力を……」
リルは腰をさすり、うめき声を上げながら身を起こす。
「旦那様、大丈夫ですか?」
自分の下にのびているアビーの顔を覗き込む。アビーは口を開けたまま意識を失っていた。リルはアビーの体から離れ立ち上がる。
「やれやれ、薬をたくさん飲み過ぎたようですね。エルフの話はちゃんと最後まで聞かなきゃ。薬魔法を使うとその後ものすごい疲労感に襲われるんですよ」
リルは薬の入った布袋を担ぎ上げる。
「旦那様、目を覚ましてくれるでしょうか? それにしてもあの娘、よく私の薬の力をはねのけたもんです。もう少し薬の研究をしなきゃいけませんね、旦那様」
リルはアビーに話し掛けるが、彼は口の端からダラリとよだれを垂らし、死んだように眠っている。
「私の旦那様は少しおつむが弱いようですね。でも、お金はたくさん持っているようです。よろしく頼みますよ、若旦那様。エヘッ」
リルは透き通った美声で語り、夢見る少女のように小首を傾げて微笑む。