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第八十二話 新しき世界へ

 夜明け前まで、細い雨が静かに降り続いていた。雨は薔薇の花々に積もった塵を洗い流し、花の色を鮮やかに甦らせた。

 東の空が白み始める頃、雨は上がり、薔薇の花と葉に小さな水滴を残した。小さな水の粒は、散りばめられた宝石のようにキラキラと輝き始める。

 ハンクは肩に小さな布袋を背負い、一歩一歩踏みしめるように、雨上がりの城の庭を歩いて行く。

「ハンク! ハンク、待って!」

 まだ薄く霧がたちこめる庭に、ぼんやりと影が浮かび、馬の蹄の音が聞こえてくる。ハンクが立ち止まってふり返ると、霧の中から馬に乗ったジェナが姿を現した。

「間に合った」

「何だよ?」

 ジェナはフーと息を吐き、毛並みの美しい茶色の馬から下りる。

「乗馬が上手くなったよな」

 ハンクはフフッと笑う。

「ハンクも長い旅で上手くなったでしょ」

 ジェナは馬の手綱を引き寄せ、ハンクに差し出す。

「旅に馬は必要よ。エレック王子様が、ハンクに馬と旅のお金を渡すようにと言ってくださったの」

 ジェナはニコリと微笑む。

「エレック王子様……? お前等、昨日もまた会ったのか? まさか、エレック王子様のお部屋で一晩過ごしたとか?」

「違います!」

 からかうハンクに、ジェナはポッと顔を赤らめ、即座に否定する。

「晩餐会が始まる前に、少しだけお会い出来たのよ……エレック様も驚いておられたわ。ハンクともっと親しくなりたかったのに残念だって」

「あっそ。けど、俺、王子様とは気が合わねぇ気がする。それよか、ジェナは口が軽いよな。まさか、チェスには言ってねぇだろな」

「言ってないわ……でも」

 ジェナは瞳を潤ませ、目を伏せた。それを見て、ハンクは素早くジェナから手綱を受け取る。

「泣きながらの別れなんてまっぴらだぜ。永遠に会えなくなるって訳じゃあるまいし」

「分かってる……」

 ジェナは片手で軽く涙を拭った。

「きっと、また戻って来てよ。王様も王妃様も、ここが自分の家だと思ってくださいって感謝されていたんだから」

「ああ、お城が家だなんて気分いいよな」

「ハンク、ありがとう。あなたとチェスがいなかったら、私一人で旅なんか出来なかった」

「あぁ、運命的な出会いだったけど、あれも『バラの十字架』のお導きだったのかもな」

 ハンクはニッと笑って、ジェナを見つめる。

「じゃあな。今度会う時はジェナはプリンセスになってて、エレック王子様の子供がたくさん出来てるかもな」

「もう、ハンクったら……!」

 ハンクとジェナは微笑みながら、軽く抱擁する。

「ま、幸せになれよ。それと……チェスを宜しくな」

「えぇ……分かった」

 ハンクは抱擁をとくと、王子のくれた馬にまたがった。

「ハンク、旅のお金も忘れないで。『赤い砂漠』を通って行くのは大変だから、ヨークの町から船でランスまで行くといいそうよ」

 ジェナは金貨の入った袋をハンクに渡す。

「ありがと。エレック王子に借りが出来ちまった。今度会う時に倍にして返してやるって伝えときな」

 ジェナは溢れそうになる涙を堪えて微笑んだ。

「きっと……きっと、また戻って来てね!」

 薄い霧の中、ゆっくりと馬を進めて行くハンクの背に、ジェナは声をかける。ハンクは後ろ姿のままジェナに軽く手を振る。ハンクの姿が霧の中に消えて行っても、ジェナはその場に立ちつくし手を振っていた。



 日が昇ってくるにつれ、次第に霧は晴れてきた。

 ラークホープの広い薔薇園も途切れ、ハンクはヨークとの国境に近づいて来た。

──ペガサスに乗って来た時は、アッという間に到着したのに、ラークホープって意外に広かったんだな。

 辺りは地平線まで見渡す限り草原が続いている。

──けど、人っ子一人いねぇや。ここって、人より薔薇の方がずっと多いんだろうな。

 ハンクは、遠くに見えるラークホープの薔薇園をふり返って眺める。何もない所だが、薔薇だけはとびきり美しい国だったとハンクは思う。

 国境間近に、一本だけ大きな木がそびえ立っていた。太い幹からたくさんの枝を伸ばし、堂々と立ちつくしている。国境と言っても検問がある訳でもなく、その大きな木が国境の境目のようなものだった。

「ヨークに到着!」

 ちょうど木の下まで来た時、ハンクは馬の手綱を引いた。馬は小さくいなないて立ち止まる。

 と、その時、頭上から何かが落ちる気配がして、馬の直ぐ横にドサッと音を立てて落ちてきた。

「ん……?」

 落ちてきたのは見覚えある布袋。ハンクは大木を見上げた。

「あっ!?」

「一人で行っちゃうなんてずるいよ」

 木の枝にチェスが腰掛けている。驚いているハンクの顔を、チェスは枝の上から見下ろす。

「……何でそんなとこにいるんだよ?」

「昨日の夜中にお城を抜け出して、ずっとここで見張ってたんだ。ここならハンクが何処を通っても分かるからね」

 チェスはスルスルと慣れた様子で木から降りてくる。

「お前はもう王子様なんだぜ。ちょっとは、らしく振る舞いな」

 ピョンと木から飛び降りたチェスを見て、ハンクは軽くため息をつく。

「何で、今日俺が出て行くって分かったんだ?」

「ハンクのことなら全てお見通しだよ。孤児院を抜け出す時だってちゃんと分かっただろ」

 ハンクは軽く舌打ちする。

「……まぁ、お前は、ペガサスの気持ちも分かるくらいだからなぁ」

「ハンク、僕も乗せて」

 チェスは微笑んで馬に手をかける。だが、ハンクはその手を払った。

「ダメだ。今回は俺一人で行く。お前はこの国の王子なんだぜ。勝手に出ていく訳にはいかねぇだろ」

「僕、ハンクと一緒に旅に出たいんだよ。王様も王妃様もエレック王子様も、みんな親切にしてくれるけど、僕はハンクと一緒にいたいんだ」

「……」

 チェスは顔を上げ、じっとハンクを見つめる。チェスの素直で真っ直ぐな眼差しに、ハンクの心は揺らいだ。孤児院を抜け出した時は、チェスが後をつけて来てくれたことが、内心嬉しかった。だが、今回は事情が違う。

「ダメだ。俺は一人で行きたいんだよ。いつまでもガキと一緒じゃ、成長出来ねぇしな」

 ハンクは心を鬼にして、グッと手綱を引くと、チェスを残して馬を進める。

「とっとと帰りな。お前がいないことが分かったら、城中大騒ぎになるぜ」

「ハンク!」

 チェスはハンクを追いかける。

「ハンク、行っちゃ嫌だ! ハンクは僕のパパだって言ったじゃないか。ずっと側にいてくれなきゃ嫌だ!」

 ハンクは後ろを振り返る。涙を流しながら走ってついて来るチェスの姿に、ハンクの胸はズキリと痛んだ。

「……な、何言ってんだ! お前には本物の両親と兄弟がいるじぇねぇか! 俺とは赤の他人なんだよ」

 ハンクは馬の速度を速める。

「早く帰れ!」

「ハンク!」

 チェスは泣きながらハンクの後を追いかけるが、途中で足がもつれて転んでしまう。その場にうずくまり、肩を震わせすすり泣いているチェス。ハンクはそのまま去ろうと思ったが出来なかった。本当は今にも涙が溢れそうだ。

 ハンクはゆっくりとチェスの元まで引き返し、馬から下りた。

「お前がグラント王子様じゃなけりゃ、もう一度一緒に旅に出てみてぇんだけどな……」

 チェスはその場に座り込んだまま、俯いている。

「お前だってよく分かってるだろ? 一国の王子が勝手に旅に出る訳にはいかねぇってさ……もうすぐお前は十一才になるんだぜ。今までお前の誕生日っていつか分かんなかったけど、本当の誕生日も名前も分かったな」

 ハンクは軽く笑う。

「孤児院で適当につけられた名前や誕生日より、本物の名前と誕生日の方がずっと良いじゃねぇか」

「……」

「これで、永遠の別れって訳じゃねぇんだし……いつかまた会えるさ」

 チェスはようやく顔を上げ、ハンクに目を向ける。緑色の瞳には、涙がいっぱい溜まり、今にもこぼれ落ちてきそうだった。

「……絶対また戻って来て。約束だよ」

「分かってるよ。何たって王子様と友達だ。何かあったら助けてくれよな」

 チェスは溢れ出た頬の涙を手で拭って頷く。

「エレック王子様やジェナの力になってやんな。薔薇の世話ばかりしてるエレック王子より、チェスの方がずっとしっかりしてると思うしな」

 ハンクはフフッと笑う。

「お前、この旅の間にも随分身長伸びたよな。きっと、今度会う時は俺やエレック王子より背が高くなってるぜ」

「ハンク!」

 チェスはスッと立ち上がると、勢いよくハンクに抱きついた。

「ハンクは、ずっと僕のパパだよ! ハンクがいなかったら僕は死んでたかもしれないんだ。僕はハンクのためなら何でもするよ」

「……」

 胸に顔を埋めてすすり泣くチェスを、ハンクは抱きしめる。笑って何か言い返そうとしたが、堪えていた涙が溢れ出て声にならなかった。ハンクはチェスを抱きしめ、声を殺して泣いた。

──だから、チェスには会いたくなかったんだよ! ガキみてぇに泣きたくねぇんだよ!

 ハンクは心の中で叫ぶ。だが、意に反して涙は止めどなく瞳から流れ出た。

「ハンク……」

 ハンクは肩を震わせて泣いている。ハンクの震えがチェスにも伝わってくる。チェスは、ハンクが泣いている姿を見たのは初めてだった。

「……俺だって……俺だって、お前がいなけりゃ、どうなってた分からねぇや……」

 子供のように泣きじゃくるハンク。チェスはハンクの背に腕を回して、なだめるようにトントンと背中を叩いた。ハンクの涙がおさまるまで、チェスはずっとハンクを抱きしめていた。

「大丈夫だよ、ハンク」

 ハンクがようやく落ち着くと、チェスはハンクの体を離してハンクを見上げた。

「『バラの十字架』がずっとハンクを守ってくれる」

「『バラの十字架』……?」

 チェスは微笑むと、首からかけていた『バラの十字架』をはずした。

「……何、やってんだ? それはお前の大切な十字架じゃねぇか」

「旅には『バラの十字架』が必要だよ。僕達の旅がうまくいったのは十字架のお陰だもの。ハンクは時々無茶なことするからね」

「そりゃ、そうだけど……そんな大事な物もらうわけにいかねぇや」

 チェスはゆっくりと首を横に振る。

「これは僕の大切な『バラの十字架』だから、僕の大切な人にあげるんだ。僕の代わりにこれを持って行って。そしたら僕もハンクと一緒に旅することになる」

「……ったく、狡いよな、お前って」

 ハンクは、また新たな涙が溢れてきそうだった。チェスの純粋な真っ直ぐな瞳で見つめられると、もう何も言い返せなくなる。どんな悪党だってチェスの笑顔にはかなわないんじゃないかとさえ、思えてくる。

 チェスは背伸びしてハンクの首に『バラの十字架』をかけると、もう一度ハンクを抱きしめた。

「これで僕達ずっと一緒だよ。僕がいつもハンクを守ってあげるね」

「ありがとな、チェス」

 手で頬の涙を拭い、ハンクは口元を弛めた。

「元気でね、ハンク」

 ハンクが馬に飛び乗った頃には、霧はすっかり消え去り、眩しい朝の光が草原一面に降りそそぎ始めていた。すがすがしい朝の風。澄み渡った青い空。旅立ちには相応しい朝だった。

 ハンクはチェスに軽く手を振ると、ゆっくりとヨークの町に向かって馬を進めて行った。涙は乾き悲しみはもうない。胸元にはチェスの『バラの十字架』が揺れている。新しい世界への旅は始まったばかりだ。








本当は、エピローグと一緒に投稿するつもりでしたが、エピローグも長くなってしまい(まだ修正出来てません…^^;)最終話なんですが、まだ終わってません。今回も随分長くなりました。いつもの二話分くらいありますね〜最後になるにつれ、色々と書きたいことがたくさんで出てきます。

次回はいよいよエピローグ! もう少しだけお付き合い下さいね。

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