第八十一話 決心
「髪、伸びたな……」
城の部屋の鏡の前に立ち、ハンクは髪を束ねていた紐を振りほどく。無造作に伸びた茶色の髪が、バサバサッと肩にたれた。
「思い切って切るか」
ハンクは鏡に向かってニッと笑うと、愛用の小型ナイフを取りだして、髪を切り始める。大胆に切り落とされた髪は、ハラハラと床に落ちていく。
「フー、スッキリした」
短くなった髪をくしゃくしゃっと手櫛でとき、服についた髪をはらうと、ハンクは部屋を出ていった。
「ハンク様、お出かけですか?」
廊下で城の小間使いの女に会い、声をかけられた。彼女はハンクの散切りに近い髪を見て、驚いた表情を浮かべる。
「ちょっとな。あっ、部屋に髪が散らかってっから、掃除しといてくれよ」
そう言ってハンクは笑うと、そのまま城を出て行った。
ジェナは『ラークホープローズ』を片手に持ち、花籠をさげてヨロヨロと立ち上がった。エレック王子が去った後も、腰が抜けてしまったかのように、しばらくその場に座り込んでいた。エレック王子の唇の感触と甘い囁きが、まだ鮮明に残っている。
──王子様は私に何をしたの? 私に何て言ったの? 明日もまた会いたいって言われたわよね……?
ジェナの口元が自然とほころび、嬉しさで頬が染まる。
「嘘みたい。エレック王子様、私のこと愛してるって言われた」
ジェナは王子のくれた薔薇にそっと口づけすると、顔中に笑みを浮かべながら薔薇園を出ていった。
「ジェナ! ジェナー!」
幸せ気分に浸り、ふわふわと城の庭を歩いていたジェナの耳に、叫び声にも似た声が響いてきた。
「……あーっ!」
ジェナの後ろから派手な飾り付けをした大きな馬車が近づく。その馬車の窓からアビーが身を乗り出してジェナに手を振っている。
「どうしたの、アビー? どこに行くの?」
アビーは城の牢に入れられていたはず。
「許しが出たんだよ。もう自由の身さ。僕は何も悪くないんだから、当然だけどね」
「何も悪くないって……!」
悪びれもせず反省の色全くなしで、アビーは平然と言ってのける。
「そんなのあり得ない!」
アビーの罪は死刑になっても当然くらいの重罪だ。
「お父様が王様に話しをつけてくれたんだ。二人は昔からの知り合いだからね」
アビーは嬉しそうに笑う。
「これで、また君と自由に会えるよ。そろそろ婚約披露パーティのことを考えた方がいいね」
「何言ってるのよ! 全く、王様も王妃様もお優しすぎるんだから!」
ジェナは声を荒げアビーを睨み付ける。
「それにアビーと婚約披露パーティなんて絶対しないわ!」
「何で? 恥ずかしがらなくてもいいよ、ジェナ」
「私は、エレック王子様と結婚するんです!」
「……えっ!?」
「……!」
ジェナは勢いで発した自分の言葉に狼狽する。アビーは目を丸くし、ぽかんと口を開けている。
「あ、あの、だから……」
「……ジェナ、何だって?」
「アビー様、お家にお帰りになさいませんと……しばらくお家で謹慎させるようにと、お父様からも伺っております」
「まだ、ジェナと話しが終わってない! ジェナ、どういう事!?」
アビーは馬車から飛び出してきそうなほど身を乗り出すが、使用人に馬車の中に戻される。
「ア、アビーと婚約なんて絶対ないから!」
ジェナは顔を真っ赤にして、くるりと背を向ける。
「ジェナーッ!」
アビーの叫び声を残し、馬車は速度を上げ走り去って行った。
──い、嫌だ。私、頭に血が上っちゃって、何考えてるんだろう……。
ジェナは真っ赤な頬を両手で押さえ俯く。エレック王子がくれた白薔薇が、ジェナの頬にあたった。
──で、でも……エレック王子様は、私にキスされた。ずっと側にいて欲しいって。私のこと愛しているって!
「愛している……!」
ジェナはまた、さっきの温室のことを思い出し、うっとりとした表情で顔を上げた。
「愛している? 俺に惚れたのか?」
「……え?」
お城の庭にぼんやりと突っ立っていたジェナは、直ぐ側にハンクが来ていることに気付かなかった。
「何、デレーッとした顔してんだよ?」
ハンクはジェナの顔を見て、ニヤニヤと笑っている。
「あ、ち、違うわよ。ハンクに言った訳じゃないから」
「何だそれ、いちいち否定すんな」
「ごめんなさい。でも、勘違いされると困ると思って」
ジェナは謝りながらも、自然と口元をほころばせる。
「余計頭にくんな。で、何? エレック王子様に告白でもされたのか?」
「告白っていうか……あ、そうなのかもしれない。嘘みたいなんだけど、さっき薔薇園で王子様に会って、そして、私、王子様と」
とろけるような笑顔を浮かべるジェナを、ハンクはからかう。
「え? 王子と何だって? キスしたって?」
恥ずかしがりながらも、ジェナは嬉しそうに頷く。
「あっ、でも、そんな軽く触れただけで……でも、私キスなんて初めてで、もう」
「へぇ、は・じ・め・て、な」
ハンクは、手の甲で自分の唇をキュキュッと擦ると、意味深に笑った。
「あの、前は夢の中だったし。嫌だ……もう、変なこと言わせないで」
「って、全然嫌そうじゃねぇよな」
ジェナは薄水色の瞳をキラキラさせながら、話しを続ける。
「王子様は明日も会って下さるのよ」
「あっそ、薔薇園の温室でな。二人っきりで何するつもりだ?」
「何って……薔薇の世話に決まってるじゃない。王子様に色々教えていただくの」
「愛し合ってる二人がそれだけじゃねぇだろ。今日よりずっと情熱的なキスがもらえるかもな」
「えっ……! や、やだ変な想像しないで」
「どんな想像だよ? あ〜あ、やってらんねぇや」
ハンクは軽く舌打ちすると、ポケットから緑色の小さなボールを取り出し、片手で二、三度宙に放り投げる。
「あ、それ……」
ようやく頬の赤みが引いてきたジェナは、ハンクが弄んでいるボールを見つめる。ランスの街を出る時、シェリンがハンクに投げたボールだ。
「あっ、ハンクどうしたのその髪?」
ボールからハンクに目を移したジェナは、ハンクの髪が短くなっていることにようやく気付く。
「チェ、どこ見てたんだ? 今頃気付いたのかよ。益々かっこよくなっただろ」
ハンクは不揃いな髪を撫でて笑う。
「けど、お前にはエレック王子がいるしな」
投げていたボールを空中でキャッチし、ハンクはそれをギュッと掴む。
「俺……明日の朝、ここを出ていく」
「え……?」
緑色のボールを握ったまま、ハンクはジェナを見つめる。ハンクの急な発言に、ジェナは戸惑いの表情を浮かべる。
「出ていくって、どこに行くの? 明日の朝だなんて、急過ぎない?」
「ここは俺の故郷じゃねぇんだし、平和過ぎて俺には合わねぇんだ。もっと刺激があった方がいいや。薔薇の花も香りもどうも俺には合わねぇしな。ま、『ハンク様』だなんて呼ばれる生活も悪くないけど」
ハンクはフッと笑う。
「でも、チェスは……?」
「彼奴はこの国の王子様だろ。俺とは赤の他人だ」
「でも……」
「彼奴には家族がいるんだし、ジェナも側にいる。俺は旅を続けるよ。最初からそのつもりだった訳だし」
ハンクは軽く咳払いする。
「シェリンから手紙が来ててさ、彼奴、しばらくはセント・ベリーにいるらしいんだ」
「セント・ベリー、懐かしいわね」
「あそこには、ジェフリーやドロシーもいる。ま、もう一度会いに行ってやろうかと思ってな」
「きっと、シェリンはすごく喜ぶと思うわ」
ジェナは微笑む。少年のような少女シェリン。彼女はとうとうハンクへの気持ちを打ち明けられないでいた。
「でも……出発はもう二、三日後でもいいんじゃない? あまりに急だから……チェス、グラント様にも会ってから──」
「グズグズすんのは嫌なんだよな。明日の朝一番に出ていく。もう決めてんだ」
ハンクはフーと息を吐く。
「チェスには言うなよ」
「黙って行っちゃうの……チェス、寂しがるわ」
「いいんだよ……彼奴に会うと、決心が揺らぎそうだし」
ハンクは目を伏せる。十年間、ずっと側にいたチェス。血のつながりはなくても、真の家族以上に深い絆で結ばれている。
「……」
「あれ? 何だよジェナ、お前、薔薇園に行ってたのに、摘んできたのは白薔薇一本だけかよ」
ハンクはジェナが提げている花籠を覗く。花籠は空っぽだ。
「あっ……いけない! 私、薔薇の花を摘みに行ってたんだわ!」
ジェナの顔色がサッと変わる。薔薇の花を摘んでくるようにと言われ、もうかなり時間が経っていた。ジェナは空の籠を抱えると、慌てて薔薇園へと引き返して行く。
「王子のことばっか考えてるからさ。ちゃんと仕事しろよな」
ハンクはその後ろ姿に声をかけて笑った。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
いよいよ次回は最終話!! 最後になるにつれ一話分が長くなってきましたが…^^; もう少しなので最後までお付き合いしてくださると嬉しいです。
最終話となると毎回寂しくなるんですが、また新しい連載も始めたいし心を鬼にして? 終わらせます。(^^)