第七十八話 兄弟の誓い
「……どうかしたの?」
ハンクもジェナも使用人も、じっとチェスを見つめたまま何も言わない。一斉に三人の視線を浴びて、チェスは戸惑いの表情を浮かべる。
「痛っ……」
花束を持つ手に力が入り、薔薇のトゲがチェスの指を刺した。
「あ……チェス、花束は私が生け直すわ。トゲに気をつけなきゃならないから」
ジェナは慌てて立ち上がると、チェスから薔薇の花束を受け取った。
「ありがとう」
「チェスはここで待ってて」
ジェナはそう言うと、花束を抱えて、奥の王子の部屋に向かった。
「あっ、それ、『黄金の木の実』だね!」
チェスは、テーブルに置かれた朽ちた木の実の殻に気付く。
「チェス」
テーブルの方に歩いて来たチェスに、ハンクは声をかける。
「……覚えてるか?」
「何?」
『黄金の木の実』に触れようと伸ばしたチェスの手を、ハンクは掴んだ。チェスの小さな柔らかい手のひらは、薔薇のトゲの引っ掻き傷でうっすらと血が滲んでいた。
「俺達が孤児院にいた時、『親子の誓い』ってやっただろ」
ハンクはチェスの手を放すと立ち上がった。
「『親子の誓い』? うん、覚えてるよ。孤児院の他の友達とは『兄弟の誓い』って言ってたけど、ハンクと僕は『親子』にしたんだよね」
チェスは傷ついた手のひらを見つめて微笑んだ。
チェスが物心着いたばかりの、もっと小さかった頃、手のひらをナイフで十字に切って、お互いの血を交わす遊びが流行っていた。誰一人身よりのない孤児院の子供たちは、みんな肉親の愛に飢えていた。たとえ他人だとしても、血を交わせば本当の兄弟姉妹になれる気がした。
「そうさ、何たってチェスは海で生まれた赤ん坊なんだ。そのチェスを拾ったのが俺なんだから、当然俺はチェスのパパになるよな」
「うん、ハンクは僕のパパさ」
チェスはハンクを見上げて笑った。
「……あの誓いをまたやってみようと思うんだ」
ハンクは真顔でチェスに言う。
「もう一回?」
「あぁ……その前に、お前の『バラの十字架』ちょっと見せなよ」
「うん、いいよ」
傍らで使用人が心配そうに見守る中、ハンクはチェスの首もとから『バラの十字架』の鎖を引っ張った。その先から、見慣れた『バラの十字架』が現れる。十字架の表には薔薇模様の彫り物がされている。いつも見るのは表だけで、裏側までじっくりと見たことはなかった。キラキラと美しく輝く金色の十字架が目に眩しい。ハンクは軽く深呼吸すると、ゆっくりと十字架を裏返した。
ハンクはじっと十字架を見つめる。
「……」
「どうなんだ? 何と書いてあった?」
使用人の問には答えず、ハンクは黙ったまま十字架をチェスの首に戻した。
「ハンクもその文字が気になるの? さっきの女の人も──」
「チェス、『誓い』をやるぜ。ただし、今度の相手は俺じゃないけどな」
ハンクはチェスの言葉を遮り、テーブルの上の『黄金の木の実』を掴んだ。
「少しの間、エレック王子と俺達三人だけにしといてくれよ。試してみたいことがある」
ハンクは使用人の返事も待たずに、チェスの手を引き奥の部屋へと向かった。
ジェナはエレック王子の枕元の花瓶に、白い薔薇を生けたところだった。グイグイとチェスの手を引いてエレック王子の部屋に入って来たハンクを見て、驚いた顔をする。
「どうかしたの?」
ハンクはジェナに『黄金の木の実』を差し出す。
「三つの品は揃った。多分……」
「えっ……?」
ジェナはハンクから木の実を受け取り、ハンクとチェスの顔を交互に見た。
「それじゃ、やっぱりチェスは──」
「チェスは今からエレック王子と『兄弟の誓い』をするんだ」
「王子様と『兄弟の誓い』? どうして?」
きょとんとした顔でチェスはハンクを見つめるが、ハンクは答えずにズボンのポケットからナイフを取り出した。
「『兄弟の誓い』って何よ? ちょっと、エレック王子様に何するの!」
ポケットナイフの鞘を抜いて、エレック王子の手を掴むハンクに、ジェナはビックリする。
「『呪いをかけられた者と血の繋がった兄弟か姉妹の血』が必要なんだろ? やり方わかんねぇけど、やってみる」
ハンクはエレック王子の手のひらに、浅くナイフで十字を描いた。
「大丈夫なの?」
「ちょっとチクッとするだけさ。痛くもなんともねぇよ。それに、王子は眠ってるんだし」
「僕の血で良いの……?僕が王子様と血が繋がってるってこと!?」
状況が飲み込めず、チェスは何度も目を瞬かせる。
「それを確かめてみるのさ……」
ハンクは薄く血の滲んだ王子の手を放し、今度はチェスの手を取った。
「チェス、自分でやってもいいんだぜ」
チェスの手のひらに近づけたナイフをとめて、ハンクが言った。
「ううん、ハンクがやって。ハンクの方が上手いから」
──ハンクは無茶苦茶なところもあるけど、いつもその判断は間違ってない。ハンクの言うことなら、僕は何だって聞くよ。
チェスは安心しきってハンクに手を差し出す。
──いつも素直なんだよな。馬鹿正直で、人を疑ったりもしねぇで。
ハンクは、真っ直ぐに自分を見上げるチェスの清らかな緑色の瞳に目をやる。エレック王子は瞳を閉じているが、見れば見るほどチェスはエレック王子に似ている。十字架を調べなくても、二人を見比べれば血の繋がりはハッキリと分かるような気がした。
──俺がぐれたりしねぇで、まともに大きくなったの、こいつのお陰かも。
チェスはハンクにとって、息子であり兄弟であり、父親でもあった。血が繋がっていなくとも、本物の家族より心は深く繋がっている。ハンクは一呼吸おいて、チェスの手のひらに軽くナイフで十字を描いた。じわじわっと、チェスの白く柔らかな手のひらに血が滲んでくる。
──それと……チェスの『バラの十字架』が幸運を運んできたんだよな。
「本当に大丈夫なの? チェス、痛くない?」
傍らで心配そうに声をかけるジェナに、チェスは微笑んで首を横に振る。
「チェス、血が乾かないうちに、王子様と握手をしろよ」
「うん」
チェスは、エレック王子に近づき、その手をそっと両手で包み込む。エレック王子の手のひらの傷とチェスの傷が重なり合う。
「ほら、後はジェナの熱いキスだ」
ハンクはジェナに囁いた。
「えっ!!」
「俺やチェスが王子様にキスする訳もいかねぇし」
「もう! ハンク!」
面白そうに笑うハンクにジェナは声を荒げる。
──王子様にキスなんて!? あぁ、どうしよう。私がしなきゃいけないのかな……?
ジェナの頬は見る見る赤く染まっていく。ドキドキしてエレック王子の寝顔を間近で見つめていると、ジェナの両手の中の『黄金の果実』が微かに熱をおびてきた。
「あ……」
固く朽ちた果実の殻がにわかに色づき始める。ふと見ると、眠る王子の胸元から光が溢れていた。チェスの胸元からも光が輝いている。
「聖なる光……?」
エルフ達を消し去った時と同じ光の線が、二人の『バラの十字架』から発せられ、一つに繋がっている。
「木の実が黄金になったわ」
ジェナの手の中の木の実は、いつしかその名の通り黄金色の果実に変わっていた。
「エレック王子様」
チェスは温もりのあるエレックの手を両手でギュッと握った。
「目を覚まして」
チェスは身を乗り出し、エレック王子の顔を覗き込む。十字架から溢れる輝かしい光。その美しい光がチェスとエレックの顔も照らし出す。と、エレック王子の安らかな寝息がピタリと止まった。
「エレック様!」
ジェナの悲鳴にも似た声が光の中で響く。
読んで下さってありがとうございました。
いよいよ大詰めになりました! 今回は割りにスラスラと書けていつもより長くなってます。この長い長編もラストまで後僅か、ラストスパート頑張ります!
が、そろそろ「夏ホラー」も近づいてきましたので、しばらく「夏ホラー」の作品に専念したいと思ってます。
続きはもうしばらく待っていてくださいね〜